一戸城 Ichinohe-jou Ichinohe Castle
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建長年間(1249〜56)、南部義実の築城。その子・行朝の代に一戸氏を名乗り、代々の居城となる。
天正九(1581)年、一戸政連は九戸政実に暗殺され、一戸城は九戸氏の属城となり、以後、政実と南部信直の抗争の拠点として、両氏の間で激しい争奪戦が行われる。
天正十九(1591)年、豊臣秀吉の討伐軍により落城。その後に廃城となった。
馬淵川右岸の丘陵上に位置する平山城で、北から北館・八幡館・神明館・常念館の四郭からなり、北館が主郭と考えられている。一戸城の西側は20〜30mの段丘崖で、馬淵川を自然の濠とし、北・東・南側は空堀で区画されている。
国道4号線(陸羽街道)沿いの一戸公園が城跡で、空堀の一部と主郭であった北館跡が残る。
天正九(1581)年、一戸政連は九戸政実に暗殺され、一戸城は九戸氏の属城となり、以後、政実と南部信直の抗争の拠点として、両氏の間で激しい争奪戦が行われる。
天正十九(1591)年、豊臣秀吉の討伐軍により落城。その後に廃城となった。
馬淵川右岸の丘陵上に位置する平山城で、北から北館・八幡館・神明館・常念館の四郭からなり、北館が主郭と考えられている。一戸城の西側は20〜30mの段丘崖で、馬淵川を自然の濠とし、北・東・南側は空堀で区画されている。
国道4号線(陸羽街道)沿いの一戸公園が城跡で、空堀の一部と主郭であった北館跡が残る。
- 住所
- 〒028-5300 岩手県二戸郡一戸町
- 名前
- 一戸城