NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/29


うんすんかるた Unsun-karuta Unsun Card Game

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 「うんすんかるた」は室町時代にポルトガルの船員から伝わった南蛮カルタ、すなわちトランプを日本で作りかえたカルタのことである。
 もともとは、天正年間(1573~91)に、南蛮かるたを模して初めて国産のカルタが作られる。福岡県大牟田市三池でのことで、これが「天正かるた」である。江戸時代に入るとこの天正かるたが発展し、「うんすんかるた」が作られたのである。
 天正かるたは48枚なのに対して「うんすんかるた」は75枚もあり、ゲームの内容も複雑であった。名前の由来はポルトガル語で、「ウン」は一番、「スン」は最高という意味からきているらしい。
 うんすんかるたは流行するにつけて賭博性も強くなり、江戸時代中期には禁止令までだされた。その後、途絶えたと思われていたが、熊本県の人吉地方で遊び継がれていた。
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道才かるた Dousai-karuta Dousai Karuta

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 道才歌留多(どうさいかるた)は江戸時代に上方で流行した歌留多(かるた)である。
 起こりは江戸時代。花札が禁制となり、花札の代わりに小倉百人一首のかるたを使った博打(ばくち)「むべ山」が広まっていった。道才かるたはこのむべ山の賭博性がエスカレートして誕生したものである。
 かるたであるので、絵札(えふだ)と詠札(よみふだ)があり、詠札にはことわざが記され、そのことわざに関連した絵札の取得を争うゲームであった。
 詠札には、懲りることのない人を皮肉ったことわざが記されており、その中の「これに懲りよ、道才坊」の札がこの名の由来である。
 最初は子どもの勉強用に作られたようだが、大人が賭博用に使用し、流行していった。
 江戸時代の庶民の文化、生活の名残を留める貴重なかるたである。
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2007/2/23


花札 Hana-fuda 

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 日本にカードゲームが初めて上陸したのは安土桃山時代である。
 宣教師が伝えたとされており、日本のかるたの語源は、ポルトガル語のcartaからきている。
 天正時代(1573〜91)には既に国産のかるたが作られ、賭博として流行した。以後、為政者が禁止してはデザインを変え、禁止される度にデザインを変え、次々と新しいゲームが作られた。
 花札は、その過程で生まれた。花かるたとも呼ばれ、12ヶ月×4枚の48枚1組となっている。
 こいこい、花合わせ、八八といった遊び方が一般的であるが、地方カード、地方ルールも数多く存在する。
 花札は李氏朝鮮に渡り、韓国にも流入し、花闘(ファトゥ)と呼ばれ人気になっている。
 花札は、日本独自の伝統的カードゲームであり、今でも広く人々に愛好されている。
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