NIPPON Kichi - 日本吉

記事数8件: 1~8 件表示          

2007/11/12


調べ緒 Shirabe-o Shirabeo

Jp En

 調べ緒(しらべお)は、調べとも呼ばれる、小鼓・大鼓・太鼓などで使用される紐のことである。
 二つの鼓面をつなぐ役割だけではなく、鼓の奏者は、演奏中にも胴と皮を結ぶ調べ緒をきつくしたり緩めたりすることによって楽器の音の調律をするため、出来具合で鼓の響きが決まってしまう。
 古くからあるものだが、専門の調べ司(しらべし)が生まれる明治一〇(1877)年ごろまでは、楽師などがあり合せの丈夫な繊維で調律をしていた。
 調べ緒は、日本麻2本をより合わせた後、25もの細かい手順によって作られる。奏者が握っても伸びずに元にもどるコシと、長い時間使っていても手の皮を痛めない柔らかさが同時に求められ、製作には技術と経験が必要とされる。
 調べ緒は、鼓が使用される能楽、歌舞伎、長唄、民謡などで大変重要な部品となる伝統的な紐である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/7


能代 役七夕・シャチ流し Noshiro-yaku-tanabata Shachi-nagashi Shachi Float in Noshiro Yakutanabata Festival

Jp En

 能代の役七夕(のしろやくたなばた)、シャチ流し(しゃちながし)は、秋田県北部、日本海に面した能代市にて毎年8月上旬に行われる。
 役七夕の起源は阿倍比羅夫や坂上田村麻呂が蝦夷との戦いに灯籠を用いたことに由来すると伝えられ、炎暑の眠気を払い、秋の豊作を祈願して、最後に疫病払いのために灯籠を焼き流したのが始まりとも言われる。
 役七夕では、聳えるような迫力ある高い灯籠が、のびやかな笛の音、夜空に響き渡る太鼓の音に乗り、田楽を先頭に、大勢の人々に引かれて町を練り歩く。
 そして、最終日には、灯籠上部のシャチを米代川に流すシャチ流しが行われる。
 お囃子が止み、街頭の灯りが消え、辺りは静寂に包まれる。川面に浮かぶイカダにのせられたシャチに火が放たれ、威勢の良かったお囃子が、寂しい調べを奏でる中、米代川から日本海へと焼き流されて行く。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/21


瀬浜海岸(堂ヶ島のトンボロ) Sebama-kaigan(Douga-shima-no-tonboro) Sebama Beach (The Tombolo in Dogashima)

Jp En

 瀬浜海岸(せばまかいがん)は、静岡県賀茂郡西伊豆町の景勝地・堂ヶ島(どうがしま)にある海岸である。
 干潮時になると、海に浮かぶ三四郎島と総称される、象島・中ノ島・高島の3つの島と、瀬浜海岸とを結ぶ、幅約30mの歩いて渡ることが出来る瀬石の橋が現れるトンボロ現象が起きる事で知られており、県の天然記念物に指定されている。
 源氏再興の昔、瀬浜がつなぐ中の島に隠れ住む「伊豆の三四郎」と呼ばれる若武者と恋に落ちた、小雪という娘の悲しい伝説も伝わっている。
 訪れるならば、日程によっては渡れない日も存在するので、あらかじめよく調べておくことが必要とされる。
 瀬浜海岸におけるトンボロは、ロマンティックな伝説を持つ、日本でも非常に珍しい現象である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/20


貴船祭り Kifune-matsuri 

Jp

 神奈川真鶴町で毎年七月二七、二八日に行われる「貴船祭り(きふねまつり)」は、神輿を乗せた船が海を渡り、豊漁や海運の安全を願う。日本三大船祭りの一つで、その歴史は一七世紀まで遡る。
 およそ一一〇〇年前、真鶴岬の沖合いから一隻の屋形船が流れ着き、それをある翁が見つけた。その船を調べてみると、木像一二体と書状が添えられてあり、翁と村民達は力を合わせ社を建造、鎮守の神として祀ったのが「貴船神社」と伝えられている。
 その後、船に神霊を移して港内の漁船や石船の祈祷をして回り、神輿が村を渡御する様になった。
 貴船神社から出された神輿は船に乗せられ、装飾を施した豪華な船など数隻を従えて対岸のお返殿に運ばれる。そこで一晩を過ごし、翌日になると周辺の町民に担がれ町内を一周、再び神社に戻る。
 神事舞踊や鹿島踊りの奉納で盛り上がるこの祭りは、平成八(1996)年に国重要無形民俗文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/20


碇ヶ関御関所 Ikarigaseki-on-sekisho 

Jp

 碇ヶ関御関所(いかりがせきおんせきしょ)は、青森県南津軽郡碇ヶ関村にあった関所である。
 天正一四(1586)年、津軽藩祖為信は秋田の浅利氏を襲うため、矢立峠を切り開いて秋田へ通ずる道筋をつけ、関所を設けた。
 天正一八(1590)年、江戸幕府は、羽州街道を参勤交代の公道に定めて整備し、津軽四代藩主信政は碇ヶ関に関所を移転した。
 明治四(1871)年、明治政府により碇ヶ関関所は廃止される。
 昭和五九(1984)年、碇ヶ関御関所は復元された。
 資料館では古文書や刀を展示してあり、ロウ人形で当時の取り調べの様子なども再現されている。
 8月中旬には碇ヶ関御関所祭りが開催され、碇ヶ関村に深い縁を持つ有名人に扮した時代行列や江戸神輿などが行われている。
 碇ヶ関御関所は、時代を想わせる重厚な造りの関所跡である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/5/1


梅村晴峰 Umemura Harumine 

Jp

 愛知県瀬戸市に伝わる伝統工芸品「赤津焼」の伝統工芸士。
 大正一五(1926)年生まれ。平成一〇(1998)年、伝統工芸士に認定される。日本伝統工芸士会会長。
 赤津焼の歴史は古く、日本六古窯の一つに数えられる。奈良時代には原型とされる須恵器が生まれ、江戸時代に多くの釉薬、ろくろ技術が作られ、現在の基礎が生まれた。
 七つの釉薬と十二の技法があるとされるが、釉薬の多くの種類をまとめ上げたのは氏の功績である。
 「技術は手で覚えるが、知識も必要」として、赤津焼の歴史を調べ、古文書を当たるなど、知識と経験の両面から伝統の技法を極め、自らの仕事の研鑽も怠ることはない、根っからの職人である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/18


厳美渓 Genbi-kei Genbikei Gorge

Jp En

 厳美渓(げんびけい)は、岩手県一関市厳美町にある渓谷である。国指定の名勝及び天然記念物であり、日本百景のひとつに数えられている。
 栗駒山を源に流れる磐井川が巨岩を浸食し、甌穴・滝・深淵と表情を変えて2キロにわたり渓谷美を見せている。
 両岸に切り立つ巨大な岩肌、須川岳爆発初期に噴出した石英安山岩質凝灰岩が急流にえぐられ、豊潤で絶え間ない水の調べが、静かな自然空間に響きわたる。
 東屋では、対岸から籠で運ばれてくる郭公(かっこう)だんごも名物である。
 かつて仙台藩主・伊達政宗は、「松島と厳美がわが領地の二大景勝地なり」と自慢しては、度々この地を訪れたという。
 厳美渓は、まさに自然が作り上げた芸術と言うべき場所である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/13


会津彼岸獅子 Aizu-higan-jishi The Spring Equinox in Aizu

Jp En

 彼岸獅子の笛の音が春の彼岸になると街の一郭から流れてくる。
 この笛の調は会津の人々にとって「雪にとざされた長い冬の生活から、もうすぐ解放される日の近い」ことを知らせる快い調べである。
 彼岸獅子の獅子は、獅子頭を一人でかぶる一人立ち獅子で、男獅子二匹、女獅子1匹の三匹で舞う風流の獅子で東日本に広く分布している。
 一般には会津藩祖の保科正之が寛永二十(1674) 年に出羽国最上から会津に移られたとき、獅子舞を先頭に入城した説、また、入城した際に長旅で疲れている藩士の士気を鼓舞するために獅子を舞わさせたという説がある。。
 毎年春の彼岸3月18日から24日の7日間、新仏の供養を主眼に演じられ、この舞を演じるために、正月になると世話人宅で毎晩練習をつむ。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数8件: 1~8 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter