大浦城 Oura-jo Ora Castle
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文亀元(1502)年津軽氏の始祖、種里城の城主大浦光信が築いた城。
その後、五代為信が堀越城に移るまで、四代九十二年に渡り大浦氏の居城であった。大浦城を拠点に津軽平定を成し遂げた為信は、文禄三(1594)年に居を堀越城に移し元和の一国一城令により廃城。
津軽為信が堀越城(弘前市)に移るまで、城下町として栄え、当時城下には、多くの町家・寺院・神社があった。
城は本丸・二の丸・三の丸・西の丸からなり、それぞれ堀をめぐらし土手を築いていたようで、昭和初年頃まで、旧跡は、比較的よく残っていた。その後、本丸・西の丸跡、二の丸跡、南郭・西郭はすでに別のものに姿を変えてもう残ってはいない。
この城の遺構としては、城の台所が弘前市の長勝寺に移され、庫裏となって往時をしのばせている。
その後、五代為信が堀越城に移るまで、四代九十二年に渡り大浦氏の居城であった。大浦城を拠点に津軽平定を成し遂げた為信は、文禄三(1594)年に居を堀越城に移し元和の一国一城令により廃城。
津軽為信が堀越城(弘前市)に移るまで、城下町として栄え、当時城下には、多くの町家・寺院・神社があった。
城は本丸・二の丸・三の丸・西の丸からなり、それぞれ堀をめぐらし土手を築いていたようで、昭和初年頃まで、旧跡は、比較的よく残っていた。その後、本丸・西の丸跡、二の丸跡、南郭・西郭はすでに別のものに姿を変えてもう残ってはいない。
この城の遺構としては、城の台所が弘前市の長勝寺に移され、庫裏となって往時をしのばせている。
- 住所
- 036-1313 青森県弘前市賀田
- 名前
- 大浦城