NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/12


熊野神社・長床 Kumano-jinjya nagatoko 

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 源頼義・義家親子が天書三(1055)年前九年の役で陸奥征討に赴く際、武運を祈って紀州熊野から、熊野堂村(現河沼郡河東町)に勧請創建したのが始まり。
 その後、後三年の役(1083〜1087年)で再びこの地を訪れた源義家は、新宮の地に移すように命じ、造営は応徳二(1085)年に始まり、寛治三(1089)年に完成遷座し現在に至る。
 新宮熊野神社には、多くの国・県・市指定の文化財があるが、中でも長床は、昭和38年に国の重要文化財に指定され昭和46年から足掛け4年の歳月をかけ、膨大な経費を費やして解体修理復元がなされた。
 長床は、長大な規模と太い柱の配列が特徴。四方が吹き抜けのため、内部に林立する太い柱が見通され、いかにも古風でまさしく、平安期の荘厳な趣を今に伝えている。
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2007/5/31


大美輪の大杉 Ominowa-no-oosugi The Big Cedars of Omiwa

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 山形県最上郡金山町の田茂沢にある杉の群生地にある巨木。
 もともと伐採を目的として植えられたもの。植林された杉としては日本最大級といわれ、128本もの巨木郡を形成している。
 歴史は江戸時代といわれ、当時から「苗木などを植える制度」があった。
 この「大美輪の大杉」は樹齢230年ほどであり、1764年頃に植林したものと推測されている。
 この地は、冬に降雪が多い地区である。2006年5月、豪雪のため傾いてしまった、樹齢250年の杉6本を公開伐採した。
 その杉の切り口は、大きく圧倒されるものである。6本中2本は、高さ50メートル、直径80センチにもなる巨木が切り倒された。
 250年の歴史を感じさせるものである。
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2007/2/28


ひたち竹人形 Hitachi-take-ningyou Hitachi Bamboo Dolls

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 水戸二代藩主、徳川光圀(水戸黄門)が竹の栽培を保護、奨励されたため、茨城県は昔から竹の産地として知られている。
 ひたち竹人形は、真竹や、孟宗竹、紋竹、黒竹、虎竹、煤竹、胡麻竹などの良質の竹を用い、手作りにて人形化したもの。
 油抜きしたさらし竹を2〜3年自然乾燥し、部品を作って竹釘などで組み立てる。色つけ、文様つけは、竹の表皮を削ったり表皮に彫りを入れて行う。
 人形の題材を能や歌舞伎にとり、精緻なつくりを見せているほか、ご当地ものの黄門人形や梅娘人形などもある。
 また、毎年干支に因んだ可愛らしい動物も作られている。
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2007/1/10


北山丸太 Kitayamamaruta Kitayama Log

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 数奇屋造りには、北山杉が必ずといっていいほど使われているという。京都洛北の中川地区を中心に製造されている杉丸太の総称であり、京が誇る銘木である。
 北山丸太は材質が緻密で木肌が滑らかで光沢があるのが特徴だ。また、木肌の色が美しく、変色しにくく、割れにくいなど数々の特質を備え、多くの建築家やお茶人、文化人に愛されてきた。
 北山丸太の歴史は室町時代に遡り、茶道の興隆とともに現代まで六百年、脈々と受け継がれてきた。杉の木肌を痛めずに如何に育て製品化するかという一点に多大な労力をかけ、様々な工夫と努力が凝らされている。苗木の選定から植林、枝打ち、下草刈り、伐採にいたるまで一本一本心を込めて生産される。今日の北山林業の繁栄は、こうした先覚者のたゆまぬ情熱によりもたらされたのである。
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