直指庵 Jikishian
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孟宗竹が連なる中にひっそりと佇む「直指庵(じきしあん)」は、浄土宗の寺である。
正保三(1646)年、臨済宗を学んだ独照禅師(どくしょうぜんじ)が、隠元禅師(いんげんぜんじ)の教えを受け、「直指人心」という禅の考えを守り、寺号を定めず「直指庵」と称し、創建した。
「直指人心」とは、自分の奥底に秘めている心をしっかりと見つめ、本当の自分、すなわち仏心、仏性をまっすぐ率直に、そしてしっかり把握する心のことをいう。
その後次第に荒廃していったが、幕末になり、近衛家(このえけ)の老女であった津崎村岡局が浄土宗の寺として再興し、尼寺として長い間使われていた。そのためか、悩める女性たちの駆け込み寺として知られ、この寺には「想い出草」と名づけられたノートが備えられており、参詣者の思いが綴れるようになっている。
現在の建物は、明治三二(1899)年、北嵯峨の有志によって再建された。
竹林に囲まれた敷地内に彩る秋の紅葉は、静寂さの中だけあって、さらに心落ち着くひとときである。
正保三(1646)年、臨済宗を学んだ独照禅師(どくしょうぜんじ)が、隠元禅師(いんげんぜんじ)の教えを受け、「直指人心」という禅の考えを守り、寺号を定めず「直指庵」と称し、創建した。
「直指人心」とは、自分の奥底に秘めている心をしっかりと見つめ、本当の自分、すなわち仏心、仏性をまっすぐ率直に、そしてしっかり把握する心のことをいう。
その後次第に荒廃していったが、幕末になり、近衛家(このえけ)の老女であった津崎村岡局が浄土宗の寺として再興し、尼寺として長い間使われていた。そのためか、悩める女性たちの駆け込み寺として知られ、この寺には「想い出草」と名づけられたノートが備えられており、参詣者の思いが綴れるようになっている。
現在の建物は、明治三二(1899)年、北嵯峨の有志によって再建された。
竹林に囲まれた敷地内に彩る秋の紅葉は、静寂さの中だけあって、さらに心落ち着くひとときである。
- 住所
- 616-8441 京都府京都市右京区北嵯峨北ノ段町3
- 名前
- 直指庵
- 電話
- 075-871-1880