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2008/6/6


八戸えんぶり Hachinohe-enburi 

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 「八戸えんぶり」とは、毎年二月一七日から四日間、八戸地方で行われる伝統芸能である。豊年祈願のお祭りとして知られ、昭和五四(1979)年二月、県内初となる国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 「えんぶり」とは、昔「えぶり」という農具を手に持って舞ったことが由来となり、それがなまって「えんぶり」と言われるようになったといわれる。
 太夫と呼ばれる舞い手をはじめ、歌い手など総勢二〇人ほどで一組が構成される。太夫は農耕馬の頭を象徴する色鮮やかな烏帽子をかぶり、種まきから稲刈りまでの稲作における動作を表現し、頭を大きく振りながら舞うのが特徴であるとされる。
 えんぶりには「ながえんぶり」という昔ながらのゆっくりした形と、「どうさいえんぶり」という現代的な調子の速い活発な形があるといわれる。
 この祭りは、長者山新羅神社を中心に行われる。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりに数えられているという。
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2008/2/1


世阿弥 Zeami Zeami

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 世阿弥(ぜあみ)は、室町時代初期の猿楽師である。実名は、元清。
 貞治二(1363)年、大和猿楽の有力な役者であった観阿弥の子として生まれる。幼名は、鬼夜叉。通称は三郎。
 12歳の時、観阿弥が今熊野で行った猿楽能に出演し、当時18歳の3代将軍足利義満に気にいられ、以後庇護を受ける。連歌師でもあった摂政二条良基から藤若という名を賜るなど、武家や貴族の文化に触れつつ自らの美意識を昇華させ、父観阿弥とともに能を大成させた。父の死後、観世太夫を受け継ぐ。世阿弥という名は、仏教の教派の一つである時宗の法名である世阿弥陀仏からきている。
 『風姿花伝』『花鏡』など多くの伝書を残し、「秘すれば花」に代表される美学は、600年を経た今でも鮮烈な輝きをもっている。
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2007/12/28


日原の獅子舞 Nippara-no-shishi-mai 

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 日原の獅子舞(にっぱらのししまい)は一石山神社(いっせきやまじんじゃ)の年一回の祭礼に、地区内の各社へ奉納される舞のことである。
 この獅子舞は慶長一七(1612)年、出羽国湯殿山から僧道栄が「三つの獅子頭」を持ってきたことから始まったと伝えられている。
 この地方に伝わる獅子舞の多くは、勇壮な男獅子を中心とした舞だが、日原の獅子舞はとても古典的で優雅な舞とされている。まず女獅子が出てきて、仲太夫、次いで太夫を連れだして三匹になる。全ての舞において、女獅子が先導するという。
 古式ゆかしい、優雅で繊細な女獅子の舞と、温厚かつ剛健な男獅子の舞が楽しめる、珍しい祭礼である。
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2007/12/26


文楽 Bunraku 

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 文楽(ぶんらく)は、日本の伝統芸能である人形劇、人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)を示している。
 人形浄瑠璃は室町時代に生まれ、一七世紀、江戸町民文化が花開いた元禄時代に大成した。のち一九世紀初旬になると植村文楽軒が大阪に人形浄瑠璃の小屋を建て人気を復興し、人形浄瑠璃と文楽が同じ意味として使われるようになった。その後全国へ伝播されていき、現在も各地方で雅やかな形態のまま伝承されている。
 文楽は男性によって演じられ、浄瑠璃語り役の太夫(たゆう)、三味線の音色、人形の動きの絶妙な三位一体の演芸で成り立っている。
 語りと音色の絶妙な間の取り方、人間の役者以上に優雅で人情味豊かなしぐさをする人形の演技、長い年月で洗練されたストーリーなどで観客を魅了する。
 高度な古典芸能であり、平成一五(2003)年に世界無形遺産に指定されている。
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2007/12/11


奥氷川神社 獅子舞 Oku-hikawa-jinja Shishi-mai 

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 奥氷川神社獅子舞(おくひかわじんじゃししまい)は、埼玉県大宮市にある氷川神社の奥社にあたる奥氷川神社で、毎年八月の第二日曜日の例祭で奉納されている三匹獅子舞である。
 同社の祭礼における中心的行事として古くから行われていたが、いつごろ創始されたのかは不明である。様々な資料から、寛政四(1792)年にはすでに行われていたとされている。
 三匹の獅子はそれぞれ大太夫(おだい)、小太夫(こだい)、女獅子と呼ばれ、大太夫と小太夫は黒、女獅子は金色の頭となっている。舞い手たちはかすり模様に錠形紋をあしらった腰切着に花模様のかるさんを羽織り、牡丹の花を華やかにかざしてささらを鳴らす花笠、唄方や笛方、はやし方を率いて豪快に舞い踊る。
 関東一円に二百二十社あるといわれる氷川神社の奥の院で、大勢の観客に見守られながら繰り広げられる熱演は、獅子舞にこめられた歴史や思いをまさに熱く、今に伝えるものである。
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星竹嵐除け獅子舞 Hoshidake-arashi-yoke-shishi-mai 

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別名「獅子っ狂い」と呼ばれる「星竹嵐除け獅子舞(ほしだけあらしよけししまい)」は、多摩地区に多く伝わる動きの激しい獅子舞の中でも特に激しいといわれている。
 毎年九月に星竹神明社に奉納されるこの伝統芸能は、三匹獅子(太夫、雌獅子、雄獅子)と花笠四名で演じられる。
 演目は、庭固めから始まり、藤掛り、三拍子、すれ違い、花掛り、鞠掛り、布団張り、竿掛り、雌獅子隠し、太刀掛りまで、十種目が演じられる。
 三〇〇年以上の歴史を持つと伝えられており、平成三(1991)年には市の無形民俗文化財に指定された。
 五穀豊穣・防災・雨乞いなどを祈願して行われ、地元保存会によって伝承されている。
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五日市入野獅子舞 Itsukaichi-irino-shishi-mai 

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 標高四六三mの金毘羅山は気軽に登れて美しい景色を楽しめるため、人気のレジャースポットとなっている。その頂上にある琴平神社に奉納されるのが、三〇〇年以上もの歴史をもつとされる、「入野(いりの)の獅子舞」である。
 以前は厳寒期に奉納されていたと伝えられているが、現在では奉納日は五月の第ニ日曜日に変更され、奉納場所も入野の薬師堂に改められた。
 入野に残されている演目は毬懸り、竿懸り、三拍子、花懸り、女獅子隠し、太刀懸りなど八つで、「太夫」「雄獅子」「女獅子」の三匹獅子で演じられる。
 現在では地元の保存会によって大切に継承されており、子ども達にも披露され未来へと伝えられているという。
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2007/10/23


長唄 Naga-uta 

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 長唄(ながうた)は、江戸で歌舞伎音楽として発達した三味線音楽の一種で、劇場に結びついて主に歌舞伎の舞踊の伴奏をつとめた。
 初代・中村勘三郎の弟の杵屋勘五郎(1615~1699)により始められたとされ、語り物である義太夫や清元に比べて、音楽性が高い。
 浄瑠璃の影響を受け、語り物の要素もあり、伴奏には三味線のほかに囃子も加わる。長唄の囃子は能の囃子に用いられる楽器をそのまま流用し、笛、小鼓、大鼓、太鼓で構成される。
 のちには、歌舞伎に関係なく作曲されるようにもなった。
 長唄は明るい声で歌われるので、それに合わせて三味線も軽やかな音色で演奏される。
 代表曲として、「勧進帳」「京鹿子娘道成寺」「越後獅子」「藤娘」「連獅子」などがある。
 長唄は、歌舞伎の伴奏として発展した伝統芸能である。
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