滋賀 左義長まつり Shiga Sagichou-matsuri
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左義長(さぎちょう)まつりとは、毎年三月中旬の土・日曜に日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)で行われる火祭のこと。
藁(わら)束を高さ3m程の三角錐に組んで山車の胴体とし、その上に青竹を組み、赤紙を中心として様々な飾りを付けたものを左義長という。その中心にはその年の干支にちなんだ造り物を付け、頭の上には「火のぼり」という御弊が付けられる。
土曜の午後、高さ6mにもなる左義長10数基が神社を出発。揃いの踊り半纏を着て赤い下駄を履き、化粧をした若者たちが拍子木を持ち、「チョウヤレ!」の掛け声も勇ましく町内を渡御する。
翌日曜日の午後には、朝から各町内を練り歩いた左義長が、互いにぶつかり合う勇壮な「けんか」が繰り広げられ、夜になると神社の境内で順次奉火されて祭りは終わる。
元々は鎮護国家、五穀豊穣を祈る祭りとして旧正月に行なわれていたものが、豊臣秀次の八幡城築城を機に、氏神八幡宮の祭礼として定着し、三月に行われるようになったと云われている。
藁(わら)束を高さ3m程の三角錐に組んで山車の胴体とし、その上に青竹を組み、赤紙を中心として様々な飾りを付けたものを左義長という。その中心にはその年の干支にちなんだ造り物を付け、頭の上には「火のぼり」という御弊が付けられる。
土曜の午後、高さ6mにもなる左義長10数基が神社を出発。揃いの踊り半纏を着て赤い下駄を履き、化粧をした若者たちが拍子木を持ち、「チョウヤレ!」の掛け声も勇ましく町内を渡御する。
翌日曜日の午後には、朝から各町内を練り歩いた左義長が、互いにぶつかり合う勇壮な「けんか」が繰り広げられ、夜になると神社の境内で順次奉火されて祭りは終わる。
元々は鎮護国家、五穀豊穣を祈る祭りとして旧正月に行なわれていたものが、豊臣秀次の八幡城築城を機に、氏神八幡宮の祭礼として定着し、三月に行われるようになったと云われている。
- 住所
- 523-0828 滋賀県近江八幡市宮内町257
- 名前
- 日牟禮八幡宮
- HP
- http://www5d.biglobe.ne.jp/~him8man/