NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/8


函館 湯倉神社 Hakodate Yukura-Jinja Yukura Shrine

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 函館の湯倉神社(ゆくらじんじゃ)は、北海道函館市湯川町にある神社である。祭神は大己貴神、少彦名神。
 元和三(1617)年、創祀されたと伝えられる。
 承応二(1653)年、松前藩主・松前氏広の嗣子で、後に第9代藩主となる高広が幼時の時、重い病を患ったという。
 母・清涼院は霊夢に信託を得て、境内地に湧出する温泉に入浴させてみた所、高広は全癒した。
 翌年、松前氏は報賽として社殿を造営し、黄金の薬師像・唐金造りの鰐口(わにぐち)などを神社に奉納したとされる。
 湯の川温泉発祥の地とされる神社であり、社殿東側の脇にある「湯川温泉発祥の地碑」には、温泉の歴史が書かれている。
境内は見事なイチョウの大木や多くの緑に守られており、静謐で神聖な雰囲気が漂う。
 湯倉神社は、温泉街の守神とも言える地域に根ざした社である。
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2007/10/17


兵主大社 Hyouzu-taisha Hyozu Taisha Shrine

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 兵主大社(ひょうずたいしゃ)は奈良時代の創建とされている。兵主を「つわものぬし」とも読めることから、朝廷や武士の信仰を集めた。
 美術工芸品などの社宝は武具から仏舎利まで幅広く、神仏習合の名残りを感じさせる。
 来たる人を待ち構えるかのように堂々とした朱色の楼門は足利尊氏の寄進と伝えられるもので、天文一九(1550)年の墨書が残る。格式の高い一間一戸の入母屋造で、左右の均整が美しく、県指定の有形文化財である。
 砂利の参道を歩くと、正面に檜皮葺(ひわだぶき)の拝殿がある。鰐口(わにぐち)に下がる太い朱紐が目を惹く。
 大規模な庭園は平安時代末期のもので、池を中心とし、庭の景観を楽しみながら歩く、池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)である。
 庭園は苔の絨毯で覆われ、梅雨の時期は香り立つような美しさだ。
 また紅葉の名所でもあり、毎年一一月中旬から下旬にかけてライトアップが行われる。
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2007/5/25


宗谷厳島神社 Souya-itsukushima-jinja 

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宗谷厳島(そうやいつくしま)神社は、北海道稚内市の宗谷村にある神社。
 創立年代は不明だが、天明二(1782)年に奉納されたと伝えられる奉納物「鰐口」が現存することから、天命元(1781)年に建立されたと考えられている。祭神は市杵島姫命(いつくしまひめのみこと)という女神である。
 神社の謂れはさらに室町時代まで遡る。永正十二(1515)年、松前藩の祖先である武田光広が、夢のお告げから、蝦夷地海浜の要衝に弁財天を祭るように命じた。その子孫である蛎崎慶広が、永禄四(1561)年に姓を「松前」に改めた祭、宗谷の地にも「弁財天堂」を寄進したのがそもそもの始まりだとされる。
 宗谷厳島神社には創建以来の貴重な奉納品が多く残されており、昭和四五年に、神社と奉納品の数々が稚内市の有形文化財に指定されている。
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2007/3/13


東南院 Tounan-in Tonanin Temple

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 東南院は、金峯山寺(きんぷせんじ)の塔頭のひとつであり、修験道の寺である。本尊は、役行者神変大菩薩となっている。
 開基は役行者で、およそ1300年の歴史を持つという。開山の際に、本堂とともに本堂から巽(東南)の方角にあたるこの地に建てられたと伝わる。
 貞亨元(1684)年、松尾芭蕉が滞在した時、「野晒紀行」に詠んだ句碑が立っている。
 塔正面の鰐口には永禄7(1564)年の銘があり、院内にある多宝塔は桧皮葺きの建物で、大日如来・毘沙門天・不動明王などが祀られている。
 東南院のすぐ隣には、標高370メートルの韋駄天山があり、そこから望む東南院と多宝塔の桜景色は、えもいわれぬ素晴らしさである。
 東南院は、古い歴史と美しい景観を誇る吉野の建築物である。
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2007/2/21


報恩寺 六角塔 Houon-ji Rokkakutou 

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 報恩寺は、大分県東国東郡武蔵町麻田にある天台宗の寺である。本尊は阿弥陀如来像、観音菩薩像、勢至菩薩像の阿弥陀三尊。
 六角塔は、報恩寺の境内にある、国東半島でも珍しい石造美術品である。
 六角塔は総高約5m、塔身は六角柱で各面を6段に仕切って、2体ずつの弘法大師像を半肉彫りし、最上段には丸彫りの一尊を安置している。
 豊後四国八十八ヶ所の霊場巡拝の、流行に沿って札所をつくった時代の名残とみられている。
 境内には、応永5(1398)年の銘のある鰐口もあり、こちらも県の有形文化財に指定されている。
 報恩寺は、国東三十三観音霊場第17番でもあり、報恩寺六角塔は、古の石像技術を今に伝える文化財である。
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