NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/2


島田飴まつり Shimada-ame-matsuri Shimada Candy Festival

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 島田飴まつり(しまだあめまつり)は、宮城県黒川郡大和町にある吉岡八幡神社にて、例年12月14日に行われる祭りである。
 元和四(1618)年、仙台藩祖・伊達政宗の三男宗清が下草から吉岡に移った際に、同時に下草から移され、新造されたのが吉岡八幡神社の創祠とされる。
 元和年間(1615~23)のある年の12月14日、時の神主が文金高島田姿の花嫁に恋をして病に倒れたため、心配した村人たちが島田髪の形をした飴を作って奉納したところ、病が回復した事に由来する祭りとされる。
 参拝すれば恋がかなうといわれており、ご利益にあやかろうと多くの人がこの祭礼の日、飴を求めにやってくる。
 島田飴まつりは、縁結びに御利益あらたかと伝わる島田髷形飴を売る店が並び、多くの若者たちが参詣する賑やかな祭りである。
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鹽竈神社嘉津良比祭 Shiogama-jinja-katsurai-sai Katsurai Festival at Shiogama Shrine

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 鹽竈神社嘉津良比祭(しおがまじんじゃかつらいさい)は、勝来祭とも称され、東北鎮護・陸奥国一之宮である鹽竈神社で毎年の十二月一日に行われる例祭である。
 神迎祭ともいわれる例祭は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)が、陸奥国を開拓鎮定された神徳を称えたことに始まるとされている。
 以後、伊達政宗公を始め、奥州平定を志した武将達の凱旋を祝って勝来餅といわれる餅をつき、兜の形をした兜餅とスイやアワビ、キジ、干し柿の神饌をお供えし、倭舞が奉納される祭りとなった。
 例祭後には参列者にキジに見立てたキジ餅をお雑煮にして振舞われる直会(なおらい)が行われ、参列者の信仰心を満たしてくれる。
 また、神饌の兜餅は火難や災難除け、道中安全に効験有りとして珍重されている。
 奥州平定を夢見た武将達の思いは、今の世にも大事に受け継がれている。
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2007/7/6


大雪山 Daisetsu-zan 

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 大雪山(だいせつざん)は、北海道中央部にそびえる火山帯の総称。ひとつの山ではないことを明確にするため「大雪山系」と呼ばれることもある。
 総面積23ヘクタールと日本最大の面積を誇る山脈で、2290mの旭岳を最高峰に、北鎮岳、白雲岳、愛別岳など、50kmに渡って2000m級の雄大な山々が連なる。
 6月になると多様な高山植物群落が咲き始め、一帯は美しい花々に包まれる。大雪山は日本一早い紅葉の名所としても知られ、9月からチングルマやナナカマドなどが色づく光景を楽しめる。12月~3月上旬にはスキーのためにパウダースノーを求めて訪れる人々で賑う。
 大雪山は、国の特別天然記念物に指定されている。
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2007/6/25


ペケレベツ岳 Pekerebetsu-dake 

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 アイヌ語で「清い水」といわれるその頂は、北海道の日高山脈のちょうど北端、十勝支庁との境にある。
 標高1532m。麓にはスキー場などもあり、冬でも観光客や登山者たちが絶えない。日高町と十勝支庁のとの境にある日勝峠がその頂を目指す登山道の入り口になる。
 このペケレベツ岳のお勧めは冬だ。とはいえ、そこは極寒の地であり、十二月のペケレベツの気温はマイナス13度にもなる。
 そんな中にあって、尾根に積もった雪はとてもなだらかで、優しい表情を投げかけてくる。そして、ところどころうつろ気に立ち生えるハイマツの木。冬独特の空の群青と、雪の白だけがどこまでも広がる世界を独り占めできるかもしれない。
 そして、もっと余裕があるなら、明け方近くに尾根に立ってみるといい。運がよければダイアモンドダストに身を包まれることもあるだろう。ひょっとしたらアイヌの人々の言う清い水とは、この自然の息吹のことなのかもしれない。
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2007/6/22


旧日野宿本陣 Kyu-hinojuku-honjin Old Hinojuku Honjin

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 旧日野宿本陣(きゅうひのじゅくほんじん)は都内に唯一残る本陣建物である。
 嘉永二(1849)年、正月の大火で焼失してしまったため、現在の建物は、日野本郷名主・日野宿問屋役の佐藤彦五郎が十年の歳月を費やして文久三(1863)年に上棟し、翌元治元(1864)年一二月から本陣兼自宅として使用したものである。
 大火をきっかけに自衛を痛感した彦五郎は、総合武術である天然理心流に入門、その後免許皆伝し自宅に道場も開いた。
 のちの新選組局長・近藤勇や一番組隊長沖田総司らが京に向かう前に稽古場として利用していた道場である。のちの新撰組副長・土方歳三の写真や遺品を義兄である佐藤彦五郎に届けた市村鉄之助が二年あまりかくまわれていた部屋なども残されている。
 本陣であること以外に道場でも名をはせる、たくさんの歴史とその重みをもった場所である。
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2007/6/21


十二月 師走 Juunigatsu Siwasu December, Shiwasu

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 一二月は別名を師走(しわす)呼ぶ。
 年も暮れに近づき、さまざまな締めくくり、そして新たな年を迎えるためへの家中の掃除、更には正月の準備など、誰もが忙しく奔走しており師匠も走るほど慌しい、という意味が現在では一般的に言われるが、 そもそも師走とは「師馳せ月(しはせづき)」が語源であり、昔は正月も盆と同様祖先の霊を弔う月であった。お経をあげるため、お坊さんがあちこちの家々を忙しく走りまわったのが大本の由来ではないかとされている。
 諸説として、年が果てる年果つ(としはつ)からとされるものもある。更に別名として春を待ちわびることから「春待月」、年末を迎えることから「暮来月」などがある。
 寒さも本番となり、山深い地域では大雪に見舞われるところもすくなくない。そのため、なかなか草花に触れる機会はないが「山茶花(さざんか)」が花をつけるのがこの時期だ。寒々しい風景の中に彩りを添えるように赤みを帯びた花が凛と咲く姿は、とても艶やかで美しい。
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2007/6/11


冬至 Touji Toji (Winter Solstice)

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 冬至(とうじ)とは、一二月二二日頃で、一年の中で一番夜が長く、昼が短くなる日である。
 この日に小豆粥や南瓜を食べたり、柚子湯に入ると寒い冬にも風邪を引かずに過ごすことができるとされている。
 柚子湯は、冬至(とうじ)から湯治(とうじ)に繋がり、柚子(ゆず)は融通(ゆうずう)につながり、様々なものごとにたいして「融通が利くように」という願いが込められている。
 暦の数え方の一つである、太陰太陽暦では、冬至を含む月を一一月としているが、一九年に一度、一一月一日に冬至があたることがあり、それを朔旦冬至(さくたんとうじ)と呼ぶ。
 朔旦冬至が正確に一九年に一度訪れるということは、暦が正確であることに示し、古代には暦の正確さが政治が正しく行われていることに通じ、朔旦冬至を祝ったとされる。
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2007/6/8


能面 延命冠者 Noumen Enmeikaja Noh Mask Enmei Kaja

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 延命冠者(えんめいかじゃ)は翁面の系統であり、目を翁と同様に「へ」の字型にくりぬいて微笑を持たせているが、その大きな特徴である「切り顎」はない。翁よりはずっと普通の男面に近い相貌で、薄い描き髭や微笑む口、大きなエクボなどが若々しい印象を与えている。
 延命冠者の「延命」とは、延命地蔵と同じく延命の徳を備えていることを意味し、冠者とは成人男性のことであるから、延命冠者とはすなわち延命の徳を備えた青年ということである。同じ翁系である父尉(ちちのじょう)と対になる役であり、父尉の子供と考えられている。
 他の翁系の面と同様、平安・鎌倉時代の面影を残しており、長寿、子孫繁栄を祈祷する面である。父尉と同じく十二月往来の時のツレが使用し、またこの面のみ、「鷺」のシテに流用することがある。
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