NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/12/12


箱根宿 Hakonejuku 

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 箱根宿(はこねじゅく)は、東海道五十三次の宿場のひとつ。現在の神奈川県足柄下郡箱根町にあった。
 箱根宿は、慶長六(1601)年の宿駅制の発足から17年ほど遅れて設置された宿場である。箱根は険しい峠を越えなければならず、東海道随一の難所であったため、旅人の苦労を軽減しようと、急きょ両隣の小田原宿、三島宿から50軒ずつ移住させて作らせた。
 これにより、箱根には小田原藩の領地と幕府の天領があり、ひとつの宿場にふたりの領主がいるという、他の宿場にはない特徴があった。
 標高800mの地にあった箱根宿付近の並木には、楓が植えられ、春の新緑や秋の紅葉と、宿場道に趣を添えていたという。「箱根越え」に疲れた旅人たちは、この並木を見て旅の疲れを癒したのだろうか。
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2008/12/5


吉見百穴 yoshimi-hyakuana 

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 埼玉県の吉見町にある「吉見百穴(よしみひゃくあな)」とは、六世紀末から七世紀末、古墳時代の末期に造られた横穴墓の集合墳墓である。大正一二(1923)年に国の史跡に指定されている。
 凝灰岩砂岩の丘陵の側面に、無数の穴が開いている。凝灰岩砂岩は、掘削に適した岩盤であったことから、横穴墓が彫られたのではないかと考えられている。
 明治二〇(1887)年に発掘調査がおこなわれた時には、コロボックル人といわれる先住民族の住居跡ではないかという説があったが、大正時代末期になり、古墳時代末期の墓穴であることが判明した。
 現在確認できる横穴の数は、二一九基である。そのうち、国の天然記念物で緑色の光沢を放つ「ヒカリゴケ」が自生している横穴もある。
 また第二次世界大戦末期には、この岩山の地下に日本軍の旧軍需工場が造られ、その際に掘られた穴も残されている。
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2008/12/2


大池寺 開山臥龍の松 Daichi-ji Kaizan-garyu-no-matsu 

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 大池寺・開山臥龍の松(だいちじ・かいざんがりゅうのまつ)は、滋賀県甲賀市水口町にある臨済宗妙心寺派寺院、大池寺の境内にあるクロマツである。
 その樹齢は三百五十年ともいわれている古木であり、同寺の前庭にあたる庫裡前の庭園に、堂々たる木容を呈している。
 太い幹はおよそ1.8mほどの高さのところで折れるように曲り、そこから枝が地上を這うように伸びており、その姿から龍が臥せた状態をあらわす臥龍の名がつけられたのだという。
 同寺は一時荒廃したものの、寛文年間(1661~1673)に再興されており、松はこの頃に植えられたものだとされている。
 太い幹をくねらせ、まさに龍が横たわっているがごとくの枝ぶりから、同寺の名所である蓬莱庭園とともに広く知られる名木となっている。
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2008/11/27


白金自然教育園 shirogane-shizen-kyoikuen 

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 白金自然教育園(しろがねしぜんきょういくえん)は、東京都港区白金台にある20ヘクタールの自然園である。正式には、国立科学博物館・附属自然教育園という。
 元々は白金長者と呼ばれる豪族の館であったという。その後、江戸時代に高松藩主・松平頼重(まつだいらよりしげ)の下屋敷となり、明治に入ると陸海軍の火薬庫に、やがて白金御料地となった。
 この間、一般の人々は中に入る事ができなかったため、都内でもまれに見る豊かな自然が残された。
 昭和二四(1949)年、全域が国の天然記念物および史跡に指定され、同時に一般に公開されるようになった。
 森林・草原・湖沼など多彩な環境における種々の生物が見られ、自然の保護と自然観察を目的とし、昭和三〇年代の武蔵野の自然のありのままの姿を残している。
 白金自然教育園は、東京都心部に残る自然のオアシスである。
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2008/11/25


大仙陵古墳 daisenryo-kohun 

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 大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)とは、大阪府大仙町にある日本最大の前方後円墳である。上空から見ると円と四角が合体した形をしていて、これは日本独自の形である。
 正式には百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と呼ばれ、仁徳陵古墳として宮内庁が管理している。
 この古墳は、五世紀中頃、約二〇年の歳月をかけて築造されたと推定される。墳丘は全長約486メートルあり、後円部の径は約249メートル、高さ約35メートル、また前方部の幅は約305メートルで高さ約33メートルの三段築成となっている。
 外を廻る三重の外濠は、明治時代に掘り直されたものである。全周は2.8キロメートルで、現在は周遊路として整備されている。
 墳丘には、古墳の盛り土の上を覆うため敷きつめられた葺石(ふきいし)があり、巫女や水鳥、犬、馬、などの埴輪が出土している。
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2008/11/20


龍宮の潮吹 ryuuguuno-shiohuki 

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 龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)は、山口県長門市油谷津黄にある、日本海の荒波が押し寄せる岩壁に見られる。
 国の天然記念物及び名勝に指定されている。
 崖に開いた縦1m、横20cmの空洞に押し寄せた荒波が、圧縮された空気に押し上げられ、唸りを上げながら上空に噴出する。
 飛び散るしぶきは太陽を反射し、吹き上がる潮は、時には30mもの高さに達する。その姿は、天に昇る龍のように見える事からこの名が付いた。
 潮吹き現象が見られるのは主に北西風が強い冬場の時化(しけ)の日で、凪(なぎ)の時は見られない。
 そばにある元乃隅稲成(もとのすみいなり) 神社は、白狐のお告げにより津和野の太鼓谷稲成神社から分霊した神社で、龍宮の潮吹きに続く参道には鳥居が幾重にも並び潮風を受けている。
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2008/11/14


南下古墳群 nanka-kohun-gun 

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 南下(みなみしも)古墳群は、群馬県の赤城山と榛名山の南の麓、利根川の西に位置する古墳群である。
 かつては四〇基を超える大規模な古墳群であったが、現在は九基が現存するのみとなっており、そのうちの五基の古墳に「A号」から「E号」まで名付けられている。
 五基の古墳のいずれも築造時期は古墳時代後期と考えられ、それぞれ石室の形状や使用している石に違いがある。
 その中で「A号」と「E号」の造りには共通点も多く、ともに榛名山の噴火時に噴き出した軽石を用いており、玄室壁面に石材加工の際の作業線とみられる赤い線を残している。これは古墳時代の設計技術をあらわした全国的にもほとんど例のない希少なものである。
 また古墳群のすぐ東には上野国三宮(こうずけのくにさんのみや)神社という古くから続く神社があり、近くには古墳時代から古代にかけての集落遺跡も多いことから、それぞれが密接な関係にあったのではと推測されている。
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2008/11/10


伊豆国分寺 izu-kokubunji 

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 伊豆国分寺(いずこくぶんじ)は、奈良時代、伊豆国に建てられた国分寺である。静岡県三島市泉町にあり、現在は日蓮宗の寺となっている。本尊は釈迦如来。
 国分寺は、国家の太平を願って天平一三(741)年、聖武天皇の命により、全国66か所に建立された。
 創建当時の国分寺は焼失しており、その後真言宗の寺として再建されたが、戦国時代中期に北条氏と武田氏の戦火によって焼かれてしまった。
 その後、江戸時代初期には日蓮宗の寺院が建てられたが、安政二(1855)年の大地震で被災。大正一二(1923)年に称蓮寺が建立され、昭和二九(1954)年に「国分寺」改称したのが現在の伊豆国分寺である。
 昭和三一(1956)年にかつての伊豆国分寺の発掘調査が行われ、南門から中門・金堂・講堂の配置が確認された。
 今の国分寺の本堂裏手には、七重塔の礎石のうち八個が残されており、国の史跡に指定されている。
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