NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/31


上杉まつり Uesugi-matsuri Uesugi Festival

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 山形県米沢市の城下町で毎年行なわれるお祭り。
 藩祖・上杉謙信公を祭神とする上杉神社と、2代景勝公・10代鷹山公を合祀する松岬神社の春の大祭である。
 4月29日から5月3日の期間、
会場となる松が岬公園には露店がたちならび、多くの人で賑わう。
 祭りのならわしで、家庭の主婦はいそいそとウコギを摘み鯉を煮て、祭料理に精をだす。
 笛や太鼓の音にのせて,千人規模の踊り手が色とりどりの衣装に身を包み、花笠踊りなどを踊り町中を練り歩く。
 最終日には、上杉、武田軍が死闘を演じた「川中島の合戦」を再現。両軍あわせて約700名もの武者姿の人々や馬たちが、実践さながらに演じる。
 
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2007/2/16


畑谷城 Hataya-jyo Hataya Castle

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 畑谷城は、山形県東村山郡山辺町にあった城である。
 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦に伴い、奥羽でも山形を舞台に「出羽合戦」と呼ばれる戦いが始まった。
 西軍の上杉景勝と東軍の最上義光が激しく争った戦いで、東北版関が原とも言われる長谷堂合戦の前哨戦が、畑谷城で行われた。
 畑谷城を守る最上義光の部将、江口五兵衛光清は500ばかりの僅かな兵を率いて、直江兼続率いる2万の上杉軍を迎え撃った。
 だが多勢に無勢、畑谷城は落城し、江口光清は自刃した。
 しかし江口が上杉軍を足止めしたことで上杉軍の進撃は鈍り、長谷堂城攻略中に関ヶ原で東軍の勝利が確定したのである。
 現在、畑谷城の東麓、長松寺には江口五兵衛光清の墓と彼を顕彰する碑がひっそりと立っている。
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猪苗代城 Inawashiro-jyo Inawashiro Castle

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 猪苗代城は、福島県耶麻郡猪苗代町にあった城である。
 建久二(1191)年、佐原経連により創築された。
 天正十七(1589)年、蘆名氏と佐原氏は伊達氏に一大決戦を挑んで敗れ、共に滅んだ。以降、この城は次々と主君を替える。
 寛永二十(1643)年、保科正之が会津に封ぜられ、9代・松平容保に至るまでの間、城代支配体制が明治維新まで続いた。
 慶応四(1868)年、戊辰戦争において城は炎上し、以後、猪苗代城は廃城となった。
 この城は、磐梯山から猪苗代盆地に向って南東に突き出した丘陵上に築かれた山城である。
 ここは会津地方と中通り地方を結ぶ要地であり、常に戦略上の重要地であった。
 猪苗代城は現在、公園となっており、遠い過去の戦乱は想像の中でのみ偲ぶ事ができる。
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2007/2/8


猿投まつり Sanage-matsuri 

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 愛知県豊田市猿投町で毎年行なわれる郷土芸能祭り。県の指定無形民俗文化財。
 祭りの歴史は、16世紀後半から始ったといわれている。最盛期には尾張、三河、美濃の3国から奉納を受けたとされる。
 本社・東の宮・西の宮の3台の神輿を四方殿に安置する神輿渡御、火縄銃の爆烈、棒の手奉納、引馬場など興味深い行事が多数行なわれる。
 奉納は「棒の手」と呼ばれる室町時代から受け継がれる農民武芸で、棒や刀、やり、かまなどを使い披露される。また奉納する十数か所の村の一団は合属と呼ばれ、それぞれが気合の入った武芸を展開するため、もめごとも多く「けんかまつり」の異名もある。
 毎年10月の第2土・日に猿投神社で行なわれる。
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