NIPPON Kichi - 日本吉

記事数50件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/8/29


箒 Houki Houki (Japanese broom)

Jp En

 箒(ほうき)は、チリやホコリを掃き除くための道具である。用途別により座敷箒と庭箒に分けられる。
 座敷箒の原料には、ヤシ科の植物の棕櫚(しゅろ)やイネ科のホウキモロコシが使われる。棕櫚箒は西日本に多く、棕櫚皮一枚に数本ある「鬼毛」を集めて作られる。またホウキモロコシはモロコシ属の1年草で、2メートルほどに高く穂を伸ばす。刈り取ったホウキモロコシの穂の部分を脱穀し、約1週間天日干しで乾燥させ、いい穂をよって束ねていく。
 箒には掃除という実用的な用途のほか、「払う」という機能から生まれたさまざまな風習がある。
 長居の客を早く帰らせるため、箒を逆に立てるまじないがあったり、箒が安産の神と考えられ、妊婦の枕元に立てて安産を祈ったり、産気づいたときには燈明をつけて妊婦に拝ませ、その箒で妊婦の腹をなぜるということもおこなわれていた。
 菷は神聖なものであるため、跨いだり踏みつけることを忌み、罰があたるなどと考える風習が、各地に残されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/17


田面船 Tanomo-fune 

Jp

 田面船(たのもふね)は、広島県尾道市に伝わる屋形船の郷土玩具である。
 旧暦八月一日(九月一日)の田面の節句に、男子の生まれた家へ贈られる船のことで、男子が歩けるようになると田面船を曳いて、産土神(うぶすながみ)に参る風習があり、この時期になると作られるという。
 この玩具は、神棚作りで余った材料を片手間に、手作業で作られるもので、その季節が近づかないと作られないという。
 田面とは「田の実」の事で、豊作を祈る農家の祭りである。この地方では祭りが盛んで、田面の船にお米の粉を蒸してお餅状のものに細工をした「しんこ細工の馬」や「人形」を飾って川へ流すという。
 元来は豊作祈願であったのだが、後に幼児の健やかな成長祈願の意味を加えてきたとされる。
 この船は、北国から鰊(にしん)や昆布を運んできた船を模ったとも言われ、船腹には波模様・鶴・鯛などの縁起ものが描かれている。田面船は、長い歴史を誇る郷土玩具である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/25


注連飾り(東北地方) Shimekazari(Touhoku-Chihou ) Shimekazari (Tohoku region)

Jp En

 注連飾り(しめかざり)とは、神社などに用いられている神域と外界とを隔てるための注連縄(しめなわ)がもとになっているといわれている。
 新年を迎えるにあたり玄関先などに吊るされ、外部から災いや厄が家の中に入るのを防ぐ魔除け・結界として、また新年に向け不老長寿や五穀豊穣などの様々な願いを込めて飾られてきた。
 東北地方の注連飾りには、紙垂(しで)や、橙(だいだい)などと一緒に、餅・昆布・松葉・魚などの食べ物を飾る風習が多く残されているという。
 昆布には「よろこんぶ」などのめでたい意味、魚は一家の無病息災を祈るほか、家格や大漁を誇示する意味などが込めれていることもあったという。
 このように食べ物を飾りつけることで、旧年中の豊作への感謝と、また新年も実り多き年であるよう、五穀豊穣を願う気持ちが込められているのかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/4


姫路独楽 Himeji-koma 

Jp

 姫路独楽(ひめじこま)は、兵庫県姫路市で作られている伝統的なコマで、兵庫県の伝統的工芸品にも指定されているものである。
 独楽は、元々唐から高麗を経て渡来した遊具で、姫路独楽は明治初期頃の創始とされている。
 材料には、通称「チシャ」と呼ばれるエゴの木が用いられ、粘りがあって目詰まり良く、割れにくいという特徴を独楽作りに巧く生かしている。
 文七独楽やぶち独楽、紋入り独楽、鬼独楽など十種類ほどが存在している。
 また、赤と緑に塗られた大きな「鬼独楽」一対を箱に納め、松竹梅の飾り物を添えて正月の床飾りとしたり、男児出生の初正月の祝儀として独楽を送るなどの「飾り独楽」という風習も伝えられ、姫路独楽が使われている。
 その一つひとつはロクロによって職人の手で削られ、朱色や緑などのシンプルで美しい色で装飾される。
 どれもが、まわして遊ぶのがもったいないくらいの、手作りの温もりが感じられる逸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/29


十五夜火とぼし Juugoya-hi-toboshi 

Jp

 十五夜は毎年旧暦の八月一五日、現代でいうと毎年九月から一〇月の初旬頃にあたる。すすきやお団子をお供えして縁側で中秋の名月を眺める静かな印象だが、地域によっては大変賑やかな風習が残る。
 鹿児島県南さつま市には綱引きや相撲を月に奉納する十五夜行事が伝承されている。準備段階にあたる十五夜を知らせる踊り、口説き唄やお囃子、茅引き、綱ねりなどもすべて行事のひとつであり、集落ごとに少しずつ異なっている。
 坊津町の上ノ坊には十五夜火とぼし(じゅうごやひとぼし)と呼ばれる風習がある。
 綱の材料の100キロほどの茅(かや)を山から持って降りる際に、たいまつをたいて村人に知らせるものだ。
 山の中盤付近で、青年たちが番茅と呼ばれる太く束ねた茅の松明を、火の粉を散らしながらぐるぐる回す。番茅はおよそ一七本ほど。その後口説き歌を歌いながら手分けしてふもとまで運びきる。
 この十五夜火とぼしは「南薩摩の十五夜行事」のひとつとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/27


違い棚 Chigaidana 

Jp

 和室の象徴ともいえる床の間に造作された、左右に分かれた高さの違う棚を2段組み合わせたものが違い棚(ちがいだな)である。
 床の隣に設けられる床脇棚の一種であり、他にも一枚棚の「一分字棚」や、円窓と違い棚を組み合わせた「満月棚」など、四八種類存在するといわれている。
 段の高いほうが隣の床と隔てる壁に接するように造作され、上下の段が交わる中央部分には、海老束(えびづか)と呼ばれる支持具が入る。
 段差が設けられたのは、隣の床との境界に設けられた壁の下にある「狆潜り」(ちんくぐり)からの光を遮らないように工夫されたものである。
 棚に置くものは、元来は決められており、高い棚には冠や香炉、筆を置き、低い方の棚には烏帽子や壺、印判、巻物などを置くとされていたため、今も高いほうの棚の端には、筆が落ちるのを防止するための筆返しを装飾として設ける風習が残っている。
 互い違いが生む絶妙なバランスは、床の間における、床柱と並ぶもう一つの顔といえるだろう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/18


甚目寺 三重塔 Jimoku-ji Sanjuu-no-tou 

Jp

 甚目寺(じもくじ)は町名にもなっている真言宗の古刹で、伝説によると推古五(597)年の建立といわれる。出土した瓦から、7世紀後半にはすでにこの地に伽藍が存在していたことが確認されており、三重塔や南大門、東門など多くの国の重要文化財が残る。
 江戸時代初期の寛永四(1627)年、名古屋の両替商吉田半十郎政次の寄進により建立された塔は約25m。三重塔としては日本有数の高さを誇る。本瓦葺の純和風の大型の塔で、釘は一本も使われていない。
 塔の内部には四天柱(してんばしら)や須弥壇(しゅみだん)があり、鎌倉時代の作で県の文化財に指定されている愛染明王坐像(あいぜんみょうおう)が祀られている。柄杓を奉納する風習がある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/5


川内大綱引 Sendai-oo-zuna-hiki 

Jp

 「川内大綱引(せんだいおおづなひき)」は、別名「けんか綱」とも呼ばれる。昔から、喧嘩一切お構いなしという男の祭りで知られた。
 綱の長さは、三六五メートル、直径三五センチメートル、重さ五トンもあり、川内の大綱引きは、日本一といわれている。
 慶長五(1600)年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の頃、関ヶ原の戦いに向かう薩摩藩主・島津義弘が、兵士を鼓舞するために始めたといわれている。
 祭りの当日、早朝より大綱を作る作業が行われ、これを「綱練り」と呼ぶ。保存会が中心となり、市内の中高生や陸上自衛隊も加わって、数百本の縄をよりあわせ、数時間掛けて作り上げる。
 夜八時頃、約三千人の若者が上方と下方にわかれて大綱を引き合う。上方が赤、下方が白と色分けしており、九時半頃にどちらの陣営にあるかで勝敗が決定する。
 大綱の一部を持ち帰ると、一年間健康に過ごせるといわれ、玄関先におく風習も残っている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数50件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter