NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/14


門川町 中山神社大祭 Kadogawa-cho Nakayama-jinja-taisai The Grand Festival at Nakayama Shrine in Kadogawa

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 中山神社は門川町(かどがわちょう)にあり、天安元(857)年、文徳天皇の時代に出雲大社から分霊したといわれる。
 この神社は大己貴命(おおあなむちのみこと)など四神を祀っている。大己貴命は大国主神(おおくにぬしのかみ)のことで、色好みの一面を持った神様で知られる。その昔、狭い参道で若い男女がすれ違うと恋が芽ばえると言われ、縁結びで有名になった。
 縁結びのご利益のほか、商売繁盛でも知られ、特に一月七日におこなわれる大祭では、年男や厄年を迎えた男の人などが、白鉢巻きに白足袋のふんどし姿で大きな掛け声を上げて、境内までの石段を一気に駆け上がる「裸まつり」が有名である。男たちは寒さの中、境内で冷水を頭から浴びて身を清め、家内安全や無病息災などを祈願する。
 昔から、男はふんどし姿、女は腰巻きで参拝していたといわれており、「中山さんは、良い神よ 着物がなければ、裸で良い 草履がなけりゃ、裸足で良い」という歌が残されている。
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2007/8/29


十根川神社 Tonegawa-jinja 

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 平家落人伝説の村、宮崎県椎葉村。ここに十根川神社(とねがわじんじゃ)がある。元久元(1204)年創建といわれ、源平合戦後の当時、平家討伐のためこの地を訪れた那須与一の弟、那須大八郎宗久の陣屋跡と伝えられる。
 出雲大社の分祀として大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られ、大八郎が着用した鎧や納めた鏡が残されている。
 明治になるまで十根川神社は八村大明神と呼ばれ、境内には大八郎が植えたといわれる「八村杉(やむらすぎ)」がある。樹齢約800年、樹高約55メートル、根まわり約19メートルもある巨大な杉が、栄枯盛衰を見つめながら大きくそびえ立っている。
 源頼朝から椎葉の平家落人の追討を命じられた大八郎が目にしたものは、ひっそりと暮らす平家一門の姿だった。大八郎は追討を断念し、鎌倉に帰らずこの地に屋敷を構え、平家の守り神である厳島神社を建てるなど彼らを支えたという。
 
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2007/8/20


名草神社 三重塔 Nagusa-jinja Sanjuu-no-tou 

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 兵庫県北部。養父市と香美町の境界に聳える標高一一三九mの妙見山。その山の中腹、標高約八〇〇mのところに平安時代創建の「名草神社」がある。
 神社の参道を上ると樹齢三〇〇年近くの杉の木立の奥に、高さ二四・一mの鮮やかな朱色に彩られた三重塔が現れる。
 この三重塔は、もともと大永七(1527)年、出雲大社に建立されたとされる。出雲大社本殿の柱に、妙見山の杉が使われたことの返礼として、寛文五(1655)年にこの地に運ばれてきたという。
 三百年以上の昔、二〇〇km以上離れた場所から、どのように日本海を渡り運ばれ、運び上げられたのか。先人達の知恵と力には感服させられる。
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2007/7/10


夕張神社 Yuubari-jinja 

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 夕張神社(ゆうばりじんじゃ)は、北海道炭鉱鉄道株式会社の設立時に、夕張炭山や鉄道敷設の安泰を祈願する神社として明治二二(1889)年11月18日、社光地区に神殿を築造したのが発祥といわれている。
 出雲大社縁りの社格の高い神社として知られており、社宝として社名額の東郷平八郎・直筆の書や、石川県輪島より寄贈された欅の朱塗りの大皿などがある。また、現在地に移転した当時は「登川神社」という社号であったため、その時の額「登川神社木彫掲」も保管されている。
 昭和四六(1971)年には太宰府天満宮から御神霊の奉斉が許され、学問の神様である菅原道真も祀られている。
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2007/6/28


出雲大社 福神祭 Izumo-taisha Fukujin-sai 

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 出雲大社は、正式には「いずもおおやしろ」と言い、その神楽殿で毎年旧暦元旦未明、午前1時に行われる新年を祝う祭りが「福神祭」である。神楽殿は、西の門から境内を出て川を渡ったところに位置している。
 この福神祭は、前日の晩より神楽殿内に多くの人々が「お籠もり」をするが、斎行されるのが午前1時の子(ね)の刻であることから、「子(ね)ごもり」とも言われている。「子」とは十二支の初めであって、種子が新しい生命を宿して芽吹きはじめることを意味し、その息吹の時刻に大黒様との「結び」のご神徳をいただいて、1年間の福を祈願するのである。
 神楽殿内には注連縄(しめなわ)が張りめぐらされており、その注連縄に付けて垂らされた紙垂(しで)は福運を招くとの信仰があって、祭事が終るとすぐ、参列者が競って取り合う。この紙垂を竹に刺して田畑に立てたり、神棚にお祭りすると、五穀豊穣や家内安全などの福縁を招くと言われている。
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2007/6/21


十月 神無月 Juugatsu Kannazuki October, Kannazuki

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 十月は別名を、神無月(かんなづき)と呼ぶ。
 島根県の出雲大社に全国八百万(やおよろず)の神様が集まる時期とされ、そのため出雲以外の地域には神様が留守になるため「神がいない月」ということから神無月とされる説がある。このことから、近年では、この時期出雲では他の地域とは逆に「神がいる月」とされ神在月(かみありづき)と呼ばれることもあるようだ。
 しかし、この月は神様を祀る時期であることから、無を助詞の「のと」と読み、「神の月」を表す、というのが有力な説と言われている。また、雷のない月だから雷無月(かみなしづき)、という説もある。
 十月は暦の上でも上旬は「寒露(かんろ)」と言われ、朝夕の冷気が草の葉に凝り、山の木々の葉も色づき始め、そして下旬に移る頃には「霜降(そうこう)」よ呼ばれ、秋の暮れ、北国では霜が地を白く飾る頃とされている。季節は秋から徐々に冬へ向かい、一日一日と肌に感じる風が冬そのものを感じさせるようになる。
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2007/1/6


出雲大社 Izumoooyashiro Izumo Shrine

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 御祭神(大國主大神・だいこくさま)は、古くから福の神、平和の神、縁結びの神、農耕の神、医薬の神として慕われている。
 境内には神から幸を授かるという意味の「神姑殿」と呼ばれる建物がある。2階建てに作られ、1階の宝物殿には神の軌跡を証明する出雲大社の宝物が展示されている。
 国宝に指定されている御本殿は、現在高さ24メートルだが、古代の御本殿は今の2倍の48メートルという巨大建築物であったといわれる。近年の発掘でそれを証明する巨大な柱が境内から発見された。
 2007年3月10日には出雲大社の東隣に「島根県立古代出雲歴史博物館」が開館し、古代本殿の柱が展示される。
 正月三が日には60万人もの参拝客で賑わう。
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佐太神社 Sada-jinja Sada Shrine

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 島根県松江市にある佐蛇川の側にある神社。
 出雲大社に次ぐ二の宮として勢力を誇っていた古社で1684年に建築された。
 大社造りの本殿が三殿に並列する。本殿には十二柱の神々を祀り、扇面絵画が描かれた物としては国内最古クラスである彩絵桧扇(さいえひおおぎ)がある。全国各地の里神楽に影響を与えたとされる佐陀神能など国指定の文化財も数多く所有する。
 9月24日の御座替(ござかえ)祭、25日の例祭は有名で、国の重要無形文化財に指定されている佐陀神能(さだしんのう)を演舞する。
 また11月に執り行われる神在祭(じんざいさい)は八百万(やおよろず)の神々が集まり、火難、水難をはじめ一切の災厄を除くためのもので「神在の社」とも呼ばれている。
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