NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/30


羽衣石城 Ueshi-Jo 

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 羽衣石城(うえしじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にあった山城である。
 正平二一(1366)年、南条貞宗によって標高376mの羽衣石山に築城され、以後、南条氏の拠点として使用された。
 山陰道と東郷池に臨む東伯耆の要衝にあり、尼子氏や毛利氏と激しい攻防を繰り返した。
 慶長五(1600)年、関ヶ原の合戦で南条氏が敗れ、羽衣石城は廃城となる。
 昭和六(1931)年、南条氏の子孫の手により、山上に模擬天守が建てられた。
 現在、羽衣石城にはよく整備された模擬天守と物見櫓風の展望台があり、山頂部に本の丸、二の丸、三の丸を配置し、主郭部から西へ削平地が幾段も置かれ、東の尾根には2筋の堀切が残る。
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2007/10/24


北海道 羽衣の滝 Hokkaidou Hagoromo-no-taki Hagoromo Falls

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 羽衣の滝は、北海道上川郡東川町、大雪山の天人峡に流れ落ちる、北海道を代表する名瀑だ。日本の滝百選にも選ばれている。
 高さ270mから水が滑り落ち、日本第3位の落差を誇る、迫力ある滝だ。断崖を7段に渡って岩肌を伝い落ちるきめ細やかな滝の流れは、その名の通り天女の羽衣を思わせる。
 この滝は、明治三四年頃発見され、当時は夫婦滝と呼ばれていたが、大正時代の文人・大町桂月が天女が羽衣を翻して舞っているような滝の美しさに感銘を受け、「羽衣の滝」と命名したと言われている。
 階段を登れば、上の段の滝を間近で見ることができる展望台がある。優美な水流は、涼感たっぷりである。
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2007/6/29


天人峡 Tennin-kyou 

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 天人峡(てんにんきょう)は、北海道旭川市から北上して1時間の山間部に位置する。外界と完全に隔絶された場所にある天人峡は、「秘境」の名にふさわしい美しい渓谷美が楽しめる場所である。
 天人峡といえば忠別川に落ちる「羽衣の滝」が有名である。落差270mの、豊富な水量を誇る荒々しい流れの滝である。羽衣の滝から徒歩で20分ほどのところには「敷島の滝」がある。高さはさほどないが、本流にかかるだけあって圧倒される水量だ。
 また、天人峡には、数々の奇岩があることでも知られる。天津岩(あまついわ)」は、大雪山の火山群が噴火した軽石・火山灰などが高温のまま溶け合って凝固した柱状の柱状節理の岩である。そのほか天女が羽衣を失くし、泣いていた涙がいまだに岩に流れているという羽衣伝説の残る「涙岩」など、見どころは豊富だ。
 天人峡は、自然の作り出した造形の不思議に心癒される「やすらぎ」の場所である。
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敷島の滝 Shikishima-no-taki 

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 敷島の滝(しきしまのたき)は、北海道上川郡東川町の天人峡温泉にある落差20m、幅60mの滝である。
 天人峡は大雪山麓の小さな温泉郷で、忠別川に落ちる羽衣の滝が有名であるが、本流に懸かる敷島の滝とあわせて訪れる事が出来る。
 羽衣の滝から20分ほど歩くと、東洋のナイアガラといわれる「敷島の滝」がある。
 高さはあまりないが、本流に懸かるだけに圧倒的な水量とダイナミックな峡谷美があり、その姿は圧巻の一言。真夏でも滝からの水しぶきで大変涼しく、森林浴には最適のコースとなっている。
 滝までの歩道が、岩を避けて川渕を歩かなければならないような場所もある為か、訪れる人は少ないが、辿り着いた者は労力以上の光景に出会える。
 敷島の滝は、轟音と共に落ちるさまが迫力満点の瀑布である。
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2007/3/28


三保の松原 Miho-no-matubara Miho no Matsubara

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 三保の松原は静岡県静岡市、三保半島に位置する景勝地である。
 全長7キロに及ぶ松林が続く砂浜であり、5万4千本の松が生い茂り、駿河湾の防風林として良港、清水湊を保った。
 平安時代から歌に詠まれ、江戸時代には浮世絵にも多く描かれている。晴天の日には松越しから富士山が見渡せる絶景の地。日本新三景、日本三大松原の一つとしても知られる。
 天女が舞い降りて羽衣をかけたと言う伝説を持つ、樹齢650年の「羽衣の松」があり、近隣の御穂神社には羽衣の切れ端が伝わる。
 毎年10月には薪能「羽衣」が上演され、羽衣伝説を今に伝えている。
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2007/2/1


賤ヶ岳 Shizuga-take Mt Shizugatake

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 賤ヶ岳は、滋賀県伊香郡木之本町と余呉町の境界にある、標高421.9mの山である。
 天正十一(1583)年、織田信長の跡目を巡り、羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が対決した、賤ヶ岳の合戦の舞台として名高い。
 秀吉は大垣から木之本までの13里(約50km)を5時間で取って返すという得意の大返しと、「賤ヶ岳の七本槍」といわれる俊英の活躍により勝利を得た。
 秀吉が戦国時代の終演として、「日本の治まりはこの時に候」と言ったのは、この賤ヶ岳の合戦の後だといわれている。
 賤ヶ岳は、東に伊吹山、小谷山を望み、南にびわ湖、竹生島、北は羽衣伝説の余呉湖を眼下に眺める、湖北随一の景勝地である。琵琶湖八景の一つにも数えられる。
 賤ヶ岳は、戦国時代の転換点となった歴史の証人であり、同時に美しい景勝地でもある。
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2007/1/29


余呉湖 Yogoko Yogoko Lake

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 余呉湖(よごこ、よごのうみ)は、滋賀県伊香郡余呉町にある湖である。面積は1.8平方km。最深部は13mにもなる。
 余呉湖には、その昔天女が舞い降り衣を掛けたといわれる衣掛柳が残る羽衣伝説や、戦国時代に賤ヶ岳合戦の激戦地ともなった歴史、文化が数多く残っている。
 琵琶湖国定公園に指定されており、その湖面に四季折々の情景を映し出す事から別名「鏡湖」とも言われている。
 周辺には、余呉湖のワカサギ釣りが楽しめる施設や、賤ヶ岳ハイキング道などのアウトドアスポットが満載である。
 通常は、余呉川の氾濫防止や利水のため、余呉湖ダムとして管理・運用されている。
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