NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/2


牛首紬 Ushikubi-tsumugi Ushikubi-tsumugi Pongee

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 石川県白山市白峰の牛首で生産される紬。
 白山の伏流水を源とする手取川水系の水を使い、選別された玉繭を原料として、全ての行程が手作りで作られる。繭を煮込み、そこから直接手で糸を紡ぎ出し、丹念に機織され、紬の中でもその強さで有名でもある。
 その起源は、伝説的なものではあるが、平治の乱に破れた源氏の落人、大畠氏の妻が、機織りの技術を伝えたといわれている。
 牛首紬は、その堅牢さから、江戸時代には全国で重宝され、明治の中期から昭和初期にかけては、生産は右肩上がりであったが、経済不況から戦争への流れの中、急速に衰退し本格的な紬産業は、一時期姿を消してしまう。
 その後、養蚕は再開され、牛首紬の再興に成功。現在では、高級紬の代表的なものとして、愛用されている。
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2007/1/28


しとどの窟 Sitodo-no-iwaya Shitodo Cave

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 しとどの窟(しとどのいわや)は、神奈川県湯河原町にある、古くから知られた洞窟である。
 しとどの窟は滝の裏にある珍しい洞窟で、洞口は非常に大きいが、奥行きは10mくらいしかない。洞内には、20体あまりの石像が置いてある。
 平治の乱に敗れ伊豆に流されていた源頼朝は、治承4(1180)年8月、ついに平家打倒の兵を挙げるが、石橋山合戦で大庭景親軍に大敗を喫してしまう。
 頼朝は主従わずか7名で山中に逃れ、洞窟や大木の洞に隠れて敵の追手をかわしたという。その、頼朝が難を逃れたという洞窟こそ、しとどの窟である。
 しとど(鵐・巫鳥)とは、小鳥のことで、頼朝が洞窟に入る際に小鳥が飛び立ったことからこの名が付けられた。
 しとどの窟は、歴史の転換点となった、伝説的洞窟である。
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2007/1/15


伏見稲荷 Fushimi-inari Fushimi Inari Taisha

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 京都市伏見区深草にある、稲荷神を祭る稲荷神社総本宮。
 711年、この地の豪族「泰氏族」が稲荷山三ヶ峰の平らな場所に、稲荷神を奉鎮したことが始まりとされる。
 平安時代中期、稲荷社に参詣することが習わしとなったころ「しるしの杉」をいただくという行為があった。神のご利益を受けるため、平清盛は、「保元の乱」「平治の乱」では稲荷社の杉の小枝折って、鎧の袖にさして出陣したことが記されている。
 そんな稲荷社も「応仁の乱」では戦渦に巻き込まれ、ほぼ壊滅状態となった。
 社会情勢の悪化は10年ほど続いたが、1492年から徐々に復興に取り掛かり1499年には、ほぼ新しい社が完成した。
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