NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/7


函館ハリストス正教会 Hakodate-harisutosu-seikyoukai 

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 函館ハリストス正教会は、北海道・函館西部のシンボル。日本で初めて建てられたギリシア正教会の聖堂である。
 江戸末期の安政五(1858)年に、キリスト教が禁止されていた日本で、初めてギリシア正教がロシアの司祭ニコライにより伝えられ、ロシア領事館付属の聖堂として建てられたのが始まり。日本のギリシア正教発祥の地となった。鐘の音から地元では「ガンガン寺」とも呼ばれ親しまれている。
 外観は、細長い三角屋根や、3つの小さなドームなどに見られるロシア風ビザンチン様式の建築が特徴的。漆喰塗仕上げの白壁と緑色の屋根の色の調和が美しい建物である。内部には、黄色と赤の唐草文様じゅうたんが敷きつめられ、正面壁面にはロシアから運んできた極彩色の絵が飾られている。
 この聖堂は、日本ハリストス正教会の発祥の地であり、意匠的にも優れているとして昭和五八(1983)年に国の重要文化財に指定された。
 
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2007/10/15


【美】 Bi The Character for Beauty

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 ヒツジを表す羊は漢字の要素としてよく見られます。古代にはよく儀式に使われた動物でもあるからです。善・美・義のような抽象概念を表す漢字の中に特に目立ちます。美の字体はヒツジ全体を示します。羊という字は角を含めたヒツジの上体の輪郭を表し、美の字体にはその下体、特に後脚が加わりました。羊を所有する人はすでにかなりの財産家です。
 多神教の世界では、神々に貴重で美しい自然界からの供え物をすることで、神の恩恵を得ようとします。最高の神には犬をささげるのが一番効果的だという考え方もありました。特に神の恵みを受けるための捧げものが大事になってくるのは裁判の時です。裁判は神の審判という形で行われましたので、争う両者はいろいろな神の試しを受ける羊を差し出しました。
 元々、文字は神と人との間のコミュニケーションの手段として成立・展開したという考えは白川文字学の出発点です。その立場から見ますと美は神に受け入れられる美、すなわち神が保証した美となります。面白いことに、東アジア以外にも、「世の罪を取り除く神の子羊」(聖書・ヨハネの福音書一・二九)、「私たちの過越の子羊キリスト」(聖書・コリント第一 一・七)などに羊を神のへの捧げものとする考え方があります。
 美についてのこの解釈は金文の字形に基づいていますが、もう一つの解釈の可能性もあります。金文よりさらに遡る甲骨文には、羽の飾りを頭につけている形と解釈できる字体もあります。残念ながらその意味を詳しく知ることはもうできません。
 
■美・金文(きんぶん)
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2007/10/11


法華津峠 Hoketsu-touge 

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 法華津峠(ほけつとうげ)は、西予市(旧宇和町)と宇和島市(旧吉田町)の境にあり、標高は436m。現在はJR予讃線と国道56号がトンネルで一気に通過するが、かつては宇和島街道最大の難所といわれた。今も峠越えの旧道が残ってはいるものの、通る車は少ない。峠の頂上に立つと、眼下にはみかんの段々畑と宇和海が広がる。リアス式海岸と紺碧の海とが織りなす景色は雄大で、晴れた日には遠く九州まで望むことができる。イカ釣りの季節には、漁火が幻想的に浮かび上がる。
 旧道の路傍には、世界的に有名な賛美歌404番の一節「やまぢこえて ひとりゆけど 主の手にすがれる 身はやすけれ」と刻まれた碑が置かれている。これは、キリスト教の教育と伝道に献身した松山市名誉市民の故・西村清雄(にしむらすがお)が、南予伝道の帰路、ひたすら神に祈りつつ作ったと伝えられている。
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2007/2/15


風呂 Furo The Furo

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 風呂とは、お湯を入れた浴槽や蒸気を込めた浴室などを指し、体を暖めて清潔にする場所の事である。
 日本では古代、風呂は蒸し風呂のことを言い、仏教と共に伝来した浴堂が始まりとされる。
 現在のお湯を張った浴槽に入浴する形は江戸時代に生まれた。
 公衆浴場である銭湯は様々な文化や縁故が生まれる場所となり、人々の身近な存在となった。
 世界的には蒸し風呂や沐浴も多く、キリスト教圏では教義的な観念から入浴は好まれず、19世紀までは沐浴が主体であった。
 日本では体の穢れを洗い流す神道の禊ぎの観念や、風土、健康維持などの様々な理由から、多くの人に親しまれており、現在も温泉や銭湯は人気の高い娯楽の一つである。
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2007/2/5


応暦寺 仁王像 Orekiji Niozou 

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 平安時代に創建された六郷満山中山本寺十ヵ寺の一つ応暦寺は、仁聞菩薩の開基と云われる古刹。
 江戸時代初期には廃寺寸前までに衰退したが、両子寺で修行した澄慶という僧の手によって、現在の地に再興された。
 山門と境内に二対の仁王像がある。山門の仁王像は躍動感に溢れた雰囲気のものだが、観音堂の前に立つ仁王像は少し阿形像が崩れているものの、どちらもお腹が出ていてユーモラスな雰囲気がある。
 本堂には、県の有形文化財に指定されている榧(かや)の一木彫りで刻まれた平安時代の不動明王を始め、千手観音、阿弥陀如来などの仏像が並ぶ。境内にも数多くの文化財がある。江戸時代にあった厳しいキリスト教禁教下にあって、密かに信仰を守り続けた隠れキリシタンの遺物と伝わる五輪塔など、神仏習合の歴史がうかがえる。
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