NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/3


刈和野の大綱引き Kariwano-no-ootsuna-hiki 

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 毎年旧暦一月一五日、新暦の二月一〇日の夜、刈和野の大町通りは、引き手のかけ声と観客の歓声とで興奮のるつぼと化す。「刈和野の大綱引き」である。
 上町・下町の2町に分かれた数千人の「刈和野衆」が100mを越す大綱に取り付き、建元(たてもと)と呼ばれる両町のリーダーの合図で一斉に大綱を引き始める。「ジョーヤサノー、ジョーヤサノー」という威勢のいい掛け声に合わせ、双方が波打つように綱を引き合う。
 大綱は上町側を雄綱、下町側を雌綱と呼び、それぞれ64m、50mの長さ。太さはそれぞれ80cm前後もあり、重量はそれぞれ約10トンにもなるという。
 祭りが始められた当初は、町の市場の開設権をめぐる勝負であったとされるが、現在では観光の意味合いが強くなって、上町が勝つと米の値段が上がり、下町が勝つと豊作になると言われるようになった。
 五百年以上の伝統を誇ると言われるこの大綱引きは、刈和野の伝統行事として国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。
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2007/5/9


陣所 Jinsho Jinsho

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 鳥取県の三朝温泉では、毎年5月3〜4日の2日間、「花湯まつり」が行われる。三朝のお湯に感謝を捧げる祭りだ。この花湯まつりのメインイベントが「陣所」と呼ばれる大綱引き神事である。
 藤かずらで編んだ雄綱と雌綱を合体させ、東西に引き合う全国でも大変珍しい伝統行事だ。雌雄の綱はそれぞれ長さ80m、胴回り2m、重さ2トンの巨大なもの。三朝温泉街の本通り中央に「縁門」を作り、それを挟んで雄綱が東、雌綱が西に整ったところで綱引きが始まる。
 勝負は長くて30分を超えることも。「東が勝てば豊作、西が勝てば商売繁盛」と伝えられ、地元民はもちろん観光客も参加して行われる。どちらが勝ってもめでたい、三朝の初夏を彩る名物行事である。
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2007/3/2


闘鶏神社 Toukei-jinjya 

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 闘鶏神社は、允恭天皇8(423)年創建とあるが、紀伊国続風土記には、熊野別当18代湛快(たんかい)のときに熊野三所権現を勧請したと記されている。
 正面奥に熊野別当21代湛増(たんぞう、湛決の子)と弁慶(湛増の子と伝えられる)の銅像があり、二人の前で二羽の鶏が闘っている。これが闘鶏神社という一風変わった社名の由来を表わしている。
 鳥居をくぐると、左手に大楠、社殿は、正面にはなく、右手に並んでいる。大楠は、落雷により中央部を失ったため高さはないが、幹回り、枝振りは見事なもので、樹齢1200年ほどと推測され、歯病平癒の御利益があるとされている。、
 また、闘鶏神社は勝負の神様としても御利益があるともいわれている。
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2007/1/12


那覇大綱挽 Nahaootunahiki Naha Great Tug-of-War

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 那覇大綱挽は、那覇まつりのなかのメインイベントであり、毎年体育の日に行われる。
 那覇大綱挽は、17世紀ごろジュリ馬行列祭の際に遊女達が綱引きを行ったのが起源とされる歴史ある大綱挽で、現在の形になったのは1971年からである。
 全長200mの大綱を東西に分かれて、「ハーイヤ、ハーイヤ」のかけ声のもとで挽き合うダイナミックな綱挽は、国道58号で行われる。
 市民、軍人、観光客を合わせ約15000人が綱を挽く。終了後は、無病息災のお守りといわれる枝綱を持ち帰ることができる。
 どちらかに2メートル以上寄った時点で勝負が決まり、終了後は、無病息災のお守りとして枝綱を持ち帰ることができる。
 1995年、世界一の大綱としてギネスブックに認定。そのスケールの大きさは壮観である。
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2007/1/10


那覇ハーリー Naha-haarii Naha Hari Dragon Boat Racing

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ハーリーは、爬竜船(はりゅうせん)競漕で、沖縄県内各地で行われている。
 那覇ハーリーは、那覇市で毎年黄金週間後半の3日間に行われる行事で、船体の先に竜頭、船尾に竜尾の彫り物が飾られた大型の爬竜船を使うのが特徴である。
 ハーリーは約600年前に中国から伝わったとされており、漁の安全や豊漁を祈願するものである。
 メインイベントは、最終日に開催される「本バーリー」。かつての那覇ハーリーは、その勝敗を巡って激しいトラブルが起こる程の真剣勝負であった。
 その他に、中学生や一般職域による各種ハーリー、体験乗船、ライブ、花火などの様々なイベントが催される。
 那覇ハーリーは、沖縄最大の行事であり、沖縄の人々の意地と意地がぶつかりあう祭典である。
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2007/1/7


牛突き Ushitsuki Bullfighting in Shimane

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 七八〇年という日本最古の歴史を持つ隠岐の牛突き。1221年の承久の乱の際に隠岐へ流された後鳥羽上皇を慰める為に行われたことが起源とされる。
 かつては島根県・島根半島全域で行われていた牛突きも、今では一部で残っているのみ。8月15日に行われる夏の本場所では、引き分けなしの一本勝負ということもあり、島民の夏場所に賭ける思いは計り知れない。どちらかの牛が逃出すまで、時には一時間近くも勝負が続く。決着後の明暗ははっきりしており、勝った牛のまわりでは男衆たちが牛の背に乗ったり歓喜の声で叫ぶ中、敗者は静かに土俵を去る。
 牛突きは神への奉納として、今もこの島に根付いている。この伝統を守るべく隠岐の若者達は後継者会を発足させ、子供達を小学校3、4年の頃から修行させている。
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2006/12/15


独楽遊び Koma-asobi Top spinning

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 種類と仕掛けの多さでは、日本の独楽は他国の追随を許さない、伝承された多くの遊び方が残っている。
 回し方だけ見ても、軸を親指と人差し指でつかんで軸をひねってまわす方法や、両手をすり合わせて軸をもむようにしてまわすもの、ヒモを巻きつけてほどくことで生じる力を利用して回転させて遊ぶものや、糸をひねって独楽を吊り上げ、床に落として回転させるものなどがある。
 遊び方は、独楽の種類によって豊富だ。独楽同士をぶつけあって勝負を競う遊びや、回転する時間を競う遊び、さらに技を競う遊びもある。一方、仲間がいなくても、回転した際の形や模様の変化を楽しむもの、仕掛けによって鳴る音を楽しめるものもある。また、日本では扇や傘の上で回したり、綱渡りさせたりする演芸も広く知られている。
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2006/11/28


木と漆の器 大蔵豊彦 Ki-to-urushi-no-utsuwa Ookura Toyohiko Wooden lacquered vessels: Toyohiko Okura

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 新潟県上越市に工房を構える木地師、大蔵豊彦。日本伝統の木工轆轤(ろくろ)で器の形を削りだし、漆を塗り、さまざまな木の器を造っている。すべての工程を自分で行う木地師としてのプライドとこだわりは、製作道具である刃物(かんな)にもおよび、自ら鋼を鍛えて造るのだという。
 目指すのは「日常の漆器」。あきのこない、使い勝手のよい実用の器に勝負をかける。その温かい表情の漆器は日本全国のファンの人気を集めている。
 大蔵豊彦の工房では、記念の木材で、世界にひとつだけの器をオーダーメードすることもできる。人生の節目の折に作る記念品としてもぴったりだ。
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