NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


おばけの金太 Obake-no-kinta Obake no Kinta

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 「おばけの金太(きんた)」は、熊本県熊本市に伝わる郷土玩具である。
 からくり人形の頭だけの張り子玩具で、頭の後ろにある紐を引くと、どんぐり目玉がひっくり返って「あかんべぇ」と舌を出すのが大きな特徴である。頭の中に竹ばねが入っていて、紐を引くと舌と目が一緒に動くようになっている。真っ赤な顔に黒い烏帽子をかぶった姿は強烈な印象があり、子どもには怖がられているが、大人には人気のある玩具で知られている。
 加藤清正が熊本城を築城したとき、顔だちが面白く、人を笑わせることが上手な「おどけの金太」と呼ばれていた足軽の金太という人気者がいた。嘉永年間(1848~1853)、金太の伝説をもとに人形師である西陣屋彦七(にしじんやひこしち)がからくり人形を作りだしたのがはじまりといわれ、その後「おばけの金太」を別名「目くり出し人形」と呼ぶようにもなった。
 このからくり人形は、仕掛けとなる竹ばね作りが出来上がりを左右するといわれている。
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2007/11/12


烏帽子 Eboshi 

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 烏帽子(えぼし)とは、平安時代から近代にかけて被られた、長くて黒い帽子の事である。
 古代の帽子で、平安時代には公家は円筒状の立烏帽子、武家は少し先が折れた折烏帽子を着用した。
 冠から派生していると考えられ、文字どおり烏の羽根のように黒い漆が塗布されている。
 平安時代以降になると、身分の貴賤にかかわらず成人男性が被った帽子を指し、被り物をしていない頭を人前に晒す事は恥辱とされていた。
 当初は布で作られていたが、15世紀頃より紙に漆を馴染ませて強度を持たせた紙製の烏帽子が出現し、江戸期にかけて一般化するとともに、烏帽子の大型化に伴って頭頂を剃り上げる月代(さかやき)が普及し、一般民衆に烏帽子を被らない事が定着していった。
 烏帽子は、中世日本の成人男子にとって、基本となる服飾である。
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2007/9/11


桐塑人形 Touso-ningyou 

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 桐塑人形(とうそにんぎょう)は、材料に桐塑を用いて製作された人形である。
 桐の木粉と生麸糊(しょうふのり)を練り上げてできる、弾性のある粘土状の素材を桐塑と呼ぶ。
 その原点は奈良時代の乾漆にあるとされ、粘土状の素材であることから自由な肉付けによる造形が可能で、乾燥すると大変硬くなるため、木材同様に彫刻を施すこともできるという特色を持つ。
 また、作りたい形にくりぬいたところに桐塑を詰め込み、同じような形のものをたくさん作る製作方法にも適していたため、江戸時代においては雛人形などの頭部や、手足を作った練り物の技法としても現在に受け継がれている。
 仕上げには胡粉仕上げや和紙貼、布貼、彩色などの各種の精緻な技法が駆使される。
 顔や手足の部分は特に念入りに作業が行われ、上塗り胡粉を塗り重ねた上で、目や眉、唇や毛髪を書いて仕上げる。
 そうして仕上げられる人形達の表現はとても豊かなものであり、現在では創作人形の重要な一分野を占めている。
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2007/4/11


長沼の駒形大仏 Naganuma-no-Komagata-Daibutsu Komagata Great Buddha in Naganuma

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 長沼の駒形大仏は千葉市稲毛区長沼町に位置する大仏である。
 元禄十六(1703)年、近隣の長沼新田を開拓した江戸の薬種問屋、野田源内を願主として、近郷六十ヶ村から浄財を募り、建立された。作者は江戸浅草三間町の鋳物師、橋本伊左衛門藤原重広。
 高さ約2・4メートル。腹前で定印を結ぶ阿弥陀如来坐像であり、頭部は割込型鋳造、体部は別鋳したものを接合して造られている。
 背面に寄進者の一覧が刻まれていて、松戸、印旛沼などの地名から広い地域での信仰を集めていたことがうかがえる。
 御成街道を行き交う人馬の安全と疾病の退散を祈願してつくられたこの大仏は、現在も長沼街道へと優しげな視線を向け、人々を見守っている。
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2007/3/27


常堅寺 Jyouken-ji 

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 常堅寺は室町時代中期の延徳二(1490)年、多聞秀守禅師により開山された古刹。岩手県遠野市土淵に所在する。
 石橋を渡った向こうに山門があり、早池峰(はやちね)神社より遷座された仁王像が立つ。総丈3.5メートルの迫力あるもので、円仁・慈覚大師の作と言われる。
 境内左手には十王堂があり、その前には一対の狛犬がある。頭部にある円形のへこみに水が溜まると、河童の皿のようになることから「河童狛犬」とも呼ばれ、この寺の名物となっている。その昔、寺が火事になったときに寺の裏にある小川に住んでいた河童が火消しをしたことから祀られるようになった。  
 本堂には、自分の