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2008/7/7


平家納経 Heike-noukyou 

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 厳島神社(いつくしまじんじゃ)に伝来する装飾経(そうしょくきょう)。装飾経とは、仏教で使用される経典の中でも料紙に美麗な装飾を施したものを指す。
 この『平家納経』(へいけのうきょう)は、長寛二(1164)年、平清盛が平家の繁栄を願って厳島に奉納したといわれる三十二巻におよぶ経文で、制作には一門の一人ひとりがあたった。法華経二八巻に法華経の開経、結経の無量義経・観普賢経、さらに阿弥陀仏と般若心経を加え、願文を添えた三三巻から成る。
 各経文とも、表紙や見返し、本文の料紙の細部に至るまで煌びやかな装飾や王朝の優雅さを示す絵画で飾られ、「金銀荘雲竜文銅製経箱」と呼ばれる基台に乗せられた経箱に納められている。これには一門の総帥である平清盛のもつ飛び抜けた美的センス、独特な感性が大いに反映されており、まさに平安末期を代表する美術工芸品といえる。
 当時の平家の栄華を今に伝える美の傑作として、現在は国宝となっている。
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2008/6/6


平家大祭 Heike-taisai 

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 平家大祭(へいけたいさい)は、平家伝説の里で知られる湯西川温泉で、毎年6月5日から7日まで平家落人の復興を願って開催される華やかな祭典である。
 この祭りは、昭和六〇(1985)年6月にオープンした「平家の里」と共に始まったとされる。
 5日の山伏による「火渡り式」を皮切りに、6日には「平家絵巻行列」が行われるという。
 村民(現市民)約250名が、平清盛(たいらのきよもり)など勇敢な武士に扮した行列として、湯殿山神社から平家の里までの道のり約1kmを練り歩く。
 7日には、平家大祭のハイライトともいうべき「九十九姫行列(きゅうじゅうきゅうひめぎょうれつ)」が繰り広げられ、女性たちが華やかな衣装を身にまとい、湯殿山神社から温泉街の中心を通って平家の里までを優雅に歩くという。
 他にも平家の里にて舞われる「蘭陵追うの舞」など様々な催しが温泉街に彩りを添えているという。
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2008/2/18


妓王寺 Giou-ji Gioji Temple in Yasu

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 奥嵯峨の祇王寺とは別に、祇王・祇女(ぎおう・ぎじょ)の出身地といわれる滋賀県野洲町にも妓王寺(ぎおうじ)という寺がある。
 平家物語に登場する妓王はこの地に生まれた。父親の戦死後、母とともに都へ向かい、男装して舞いや歌を披露する白拍子(しらびょうし)となる。
 その美貌と優しさから平清盛の寵愛を一身に受けた妓王は、干ばつに苦しむ故郷を救うために、清盛に願い出て水路を掘らせ、一帯は息を吹き返し、有数の米どころとなった。村人たちは感謝を込めてこの水路に「妓王井川(ぎおういがわ)」の名をつけた。
 ある日、仏という美しい白拍子に清盛は心変わりをしてしまう。暇を出された妓王は深く悲しみ、妹の妓女、母とともに尼となって都を離れる。思わぬ結果に「明日は我が身、日が昇ればいつかは沈む。」と悟った仏は、邸を逃げ出し妓王のもとを訪れ、ともに尼となる。
 妓王寺は村人の感謝の念と、妓王と妓女、母親、そして仏の菩提を弔うために建てられたもので、四人の像が安置されている。
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2007/8/16


向泉寺 小松如来 Kousen-ji Komatsu-nyorai Kosenji Temple

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 向泉寺(こうせんじ)は、宮城県仙台市にある古い寺で、その創建は元応三(1321)年といわれている。
 平清盛の子である小松内大臣・重盛の子孫が、平家滅亡の際に山伏に身をやつして現在寺がある地に逃れ、一族の守り本尊である阿弥陀如来像を安置。平家一族の菩提を弔うために開基した小松寺が、その始まりだといわれている。
 その後、名前を現在の向泉寺に改め、今に至っている。
 本尊である阿弥陀如来像は重盛が中国の育王山欣山寺より贈られ、守り本尊としていたものとされており、向泉寺に祀られてからは、重盛公にちなんで小松如来と名付けられ、親しまれている。
 この他にも、寺には韋駄天神(いだてんじん)像や重盛公含め十二枚の位牌、快慶(かいけい)作の地蔵尊などがあり、往時を偲ばせている。
 一時は日本を席巻した平家の栄枯盛衰が、この寺には凝縮されているようだ。
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2007/8/3


ひえつき節 Hietsuki-bushi 

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 ひえつき節は、宮崎県東臼杵郡椎葉村に伝わる民謡である。
 焼畑農業で収穫したヒエをつく時に歌われた労働歌で、明るくのびのびとした中にも、山村に生きる人々の力強さが感じられる。
 800年前、那須大八郎宗久は鎌倉幕府から平家の残党追討の命を受けたが、椎葉の落人たちのつましい生活を目の当たりにし、共同体の生活に協力し、平清盛の末裔・鶴富姫と子供までもうけた。しかしやがて幕府への帰還を命令され、泣く泣く別れた時に生まれたのがひえつき節だという。
 毎年9月第2土・日曜の2日間、九州各地からおよそ250名が参加して自慢ののどを披露する「ひえつき節日本一大会」が行われ、ひえつき節が一日中、山あいに木霊する。
 ひえつき節は、全国的に知られた椎葉村を代表する民謡である。
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2007/6/18


能面 俊寛 Noumen Shunkan Noh Mask Shunkan

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 能で使う男性の面の一つ。能、「俊寛」で使用する。
 俊寛(康治二(1143)年~治承三(1179)年三月二日(4月10日))は、平家物語に登場する僧。
 平安時代後期の真言宗の僧である俊寛が、平氏打倒の陰謀を藤原成親、平康頼らと企てたのがばれ薩摩国の鬼界ヶ島に流された。
 藤原成経、平康頼は、千本の卒塔婆を作り海に流したものの一本が安芸国厳島に流れ着き、平清盛が恩赦を行った。藤原成経、平康頼は赦されたが、卒塔婆を作るのに加わらなかった俊寛は陰謀の張本人だということから、島に一人取り残されてしまい、悲観して食を断ち自害したとされる悲劇から世阿弥が俊寛を作ったとされている。
 強い悲しみに疲れ果てていることが表現されている面である。
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2007/4/25


三十三間堂 Sanjyuusangen-dou Sanjuusangen-dou Temple

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 「三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)」は、京都府京都市東山区にある仏堂。正式な名称は「蓮華王院本堂」という。管理・所有は「妙法院」である。当初、堂は1249年に焼失したが、1266年に再建された。
 この地には後白河上皇が建てた法住寺殿があった。その時代に平清盛に命じ、1165年、三十三間堂が建てられた。
 名前の由来は、国宝に指定されている本堂の柱間が、「33」であることが起源とされる。柱間の長さは約118メートルで、江戸時代には、「弓術」でこの軒下を使い「通し矢」が行われた。現在でも1月15日にその名残として、本堂西側にある射場で「大的全国大会」が行われる。
 1001体の千手観音像がずらりと並んで祀られており、観光に訪れた人々を魅了する。
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2007/4/24


兵庫 北野天満神社 Hyougo-Kitano-tenmanguu 

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 兵庫県神戸市にある北野天満宮神社は、「学問の神様」で親しまれている「菅原道真」を祀っている由緒ある神社である。
 治承四(1180)年平清盛の命を受けた大納言五条邦綱が、京都の北野天満宮を勧請して社殿を建立したのが始まりとされ、「北野」という地名の由来にもなっている。
 入り口の鳥居を抜けると長い登りの参道があり、天神様が鎮座する260年の歴史ある「本殿」がある。道真は牛を大変好んでおり、思召しを受けた霊験あらたかな「御神牛」と呼ばれる黒い牛や、水をかけると願いがかなうという「叶い鯉」が祀られている。
 神戸市の重要伝統的建造物の指定を受けた「拝殿」は舞台として舞の奉納などが行なわれている。
 年中参拝客でにぎわい、祈願の絵馬を奉納される姿が見られる。神社からは、異人館をはじめ、神戸市内を一望できるなど、和洋の景観美あふれる場所である。
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