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2007/10/23


龍笛 Ryuuteki 

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 龍笛(りゅうてき)は、雅楽(ががく)に使う長さ40cm、直径1・3cmの横笛で、管楽器である。
 雅楽は日本、中国、朝鮮、べトナムの伝統的音楽の一つで、宮内庁式部職楽部が演奏する曲目の内、洋楽を除くもの。多くは器楽曲で宮廷音楽として継承されており、大規模な合奏で演奏される音楽としては世界最古の様式とされる。
 竹製で、孔は7つあり、旋律に彩りを添えるような動きがあり、装飾的な奏法も多く見られる。
 雅楽の中では管弦・左方舞楽、歌曲および久米歌・大和歌・大歌に使われる。
 音は高麗笛(こまぶえ)よりも1音低く、神楽笛(かぐらぶえ)より1音高い。音色が龍の鳴き声に似ているといわれ、引き締まった音色が特徴とされる。
 龍笛は、曲によって高麗笛・神楽笛と使い分けられる、日本における伝統の楽器である。
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高麗笛 Komabue 

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 高麗笛(こまぶえ)は、雅楽(ががく)に使う長さ36cm、直径0・9cmの管楽器である。
 雅楽は日本、中国、朝鮮、べトナムの伝統的音楽の一つで、宮内庁式部職楽部が演奏する曲目の内、洋楽を除くもの。多くは器楽曲で宮廷音楽として継承されており、大規模な合奏で演奏される音楽としては世界最古の様式とされる。
 高麗笛は竹の管で作られ、6つの指孔を持つ横笛で、同じ横笛の龍笛よりも短く、音色も繊細とされる。
 朝鮮半島から日本に入ってきた楽器で、主に高麗楽と、国風歌舞の内の東遊で使われており、龍笛より1音高い。
 主旋律を受け持つ篳篥(ひちりき)に比べ、はるかに広い音域を持つ横笛は、旋律に彩りを添えるように動き回るのが特徴とされる。
 高麗笛は、ピッコロに似た日本における伝統の楽器である。
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2007/8/16


五徳山 水澤寺 Gotokusan Mizusawa-ji Gotokusan Mizusawa Kannon Temple

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 五徳山水澤寺は、群馬県渋川市伊香保町水沢にある天台宗の寺院である。坂東第十六番札所で、水澤観音とは、本尊の十一面千手観音菩薩の事である。
 1300年余昔、推古天皇・持統天皇の勅願により、高麗の恵観僧正によって開基され、国司高光中将によって創建されたと伝わる。
 寺の縁起によると、かつては金堂・講堂・常行堂・潅頂堂・経蔵・鐘楼・多宝塔・全山併せて仏像一千二百体を祀る古刹であった。
 元禄時代に建立された六角堂は、内部に回転する六地蔵尊を安置する全国でも珍しい二重塔である。
 2001年に建立された釈迦堂では、釈迦三尊像などの仏像や仏画の数々を拝観できる。
 五徳山水澤寺は、古来より水澤観音の名称で親しまれている、古刹である。
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2007/5/10


高麗茶碗 Kourai-chawan 

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 高麗茶碗は、安土桃山時代の16世紀後半、日本の茶道で重んじられた陶磁器の「好み」のひとつ。朝鮮の高麗時代に造られたものではなく、李朝時代に造られた朝鮮の茶碗の総称である。
 高麗茶碗はもともと、朝鮮の人々が日用雑貨として使っていたもので、その中でも井戸茶碗は大雑把な造りの雑器と言われていた。しかし、その素朴な器形が、日本では侘び・寂びの象徴として高く評価されることになったのだから面白い。この茶碗を千利休の審美眼により見出され、茶道具として見立てて使われ始めたのである。粗なるゆえに、土俗的で個性的な風格を備えた「自然美」は、美醜を超えたところから生まれたものとして、日本の「禅」や「茶」の意に通ずると考えられたのだ。
 高麗茶碗は、同じ作家のものでもひとつひとつに個性があり、ふたつとして同じものがない。そんなところも人々を惹きつける魅力のひとつなのかもしれない。
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2007/4/16


埼玉 高麗神社 Saitama Koma-jinja Koma Shrine

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 埼玉の高麗神社(こまじんじゃ)は、埼玉県日高市新堀にある神社である。祭神は、猿田彦命、竹内宿禰とされる。
 霊亀2(716)年、当地に移住した高句麗国の渡来人で、武蔵野開発に尽力した高麗郡司の高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)が高麗郡総鎮守として猿田彦命と竹内宿禰を祭祀し、白髭明神としたのが創祀といわれる。
 武蔵国内にある55社の白髭神社・白髭明神の総社である事から、高麗総社ともいわれる。
 敷地内には江戸時代に建てられた高麗家住宅等、多くの有形文化財を所持していることでも有名である。
 近年は、参拝後に総理大臣となった者が続出した事から、出世明神とも崇められている。
 高麗神社は、春には桜、秋には菊も美しい、古式ゆかしい神社である。
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高麗家住宅 Komakejuutaku The Koma Family’s Residence

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 高麗家住宅(こまけじゅうたく)は、埼玉県日高市新堀の高麗神社敷地内にある、社家・高麗家の住居である。
 この家は、江戸時代初期の重要民家として昭和46(1971)年、重要文化財に指定された。
 建築されたのは慶長年間(1596〜1614)との伝承があるが、明確な資料はなく、構造手法から17世紀中頃まで遡ると言われている。
 入母屋造りの茅葺屋根で、山を背に東に面して建てられ、間取りは5つの部屋と比較的狭い土間とから成り立っている。
 柱や梁は全部丸味のある手斧で仕上げられ、柱の数は多く、梁は全面的に細い材木を使っている。
 高麗家住宅は、江戸の昔が想像される、神職の旧家である。
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2007/4/12


安国寺不動院 銅製梵鐘 Ankoku-ji Fudo-in Dosei-bonsyou The Copper Bell at Ankokuji Fudoin Temple

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 不動院鐘楼にあるこの梵鐘は、毛利・豊臣両氏に信頼の厚かった安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が朝鮮半島から持ち帰ったと伝えられる、高麗(こうらい)初期の名鐘である。
 上中下の三段の輪を造り、それを継ぎ合わせて造られている鐘で、胴の中帯のき部分に十一体の仏の坐像を、また駒の爪に蓮華の花びら模様を浮き彫りにするなど、珍しい技法が用いられている。
 この鐘は寛永十一(1634)年に白神社の神女伊勢が、廿日市の鋳物師山田次右衛門に鋳造させ、白神社に寄進したものであることが、胴の一部分に刻まれている。
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2007/4/3


小川和紙 Ogawa-washi 

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 和紙の歴史は古く、1300年も前から和紙づくりは行なわれていた。当時、武蔵国には高麗の帰化人が多く、彼らによって武蔵の紙は広められ、手漉きの技術をもたらされたのが小川和紙の始まりだともいわれている。
 江戸の町で需要が増すに従い、遠隔な紀州の地から取り寄せるより近在ですかせることの利便性から、小川地方に技術が導入された。和紙は、厳しい寒さと水が冷たいほどいいものができるという。
 「細川紙」は未晒の楮(みさらしのこうぞ)100%のため、丈夫で素朴な紙質が特徴で、他の紙にはみられない白の素朴な風合いのものから、染紙、もみ紙、工芸紙、美術紙と色鮮やかなものまである。
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