NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/17


李参平碑 Risanpei-hi Monument to Ri Sampei

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 16世紀末、肥前国の戦国時代・安土桃山時代の武将・鍋島直茂が韓国出征からの帰国した際に韓国の陶工たちを日本に連れ帰ってきたという。有田陶工の祖と言われる李参平(りさんぺい)はその中の一人で、元和二(1616)年に泉山で白磁鉱を発見し、日本で初めて磁器を焼くことに成功。これが後に、古伊万里、柿右衛門、鍋島の三流を産み、有田は日本における磁器発祥地といわれるようになるのである。
 有田町大樽の陶山神社には、陶祖である李参平が祀られ、社殿うしろの蓮華石山の頂、有田の町を一望できる景勝の地に、この「李参平碑」が立っている。
 有田焼の創業300年となる大正五(1916)年に建立。以来、毎年五月四日に、この碑の前で「陶租祭」が行われている。
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2007/1/30


島岡達三(人間国宝) Shimaoka Tatsuzou Tatsuzo Shimaoka (Living National Treasure)

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 大正八(1919)年、東京生まれ。東京工業大学で釜業を学ぶ。平成八(1996)年、「縄文象嵌(ぞうがん)」で人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された。
 「縄文象嵌」とは、島岡氏が編み出した技法である。細い縄で陶器の表面に模様をつけ、その上に白い泥漿(でいしょう・陶磁器の原料である陶土または磁土を水と混ぜて液状にしたもの)を塗り、乾燥後カンナで表面を薄く削る。そうすると溝となった部分に白い泥漿が残り、縄文の模様が現れる。
 氏は復員後民芸の浜田庄司に師事し、昭和二十八(1953)年に築窯。「人真似ではない自分ならではの個性を」との思いから、試行錯誤を繰り返した後、朝鮮半島で花開いた「象嵌」に縄文の技法を融合させた。ここに島岡達三の世界が花開いた。師の作品はどれも、「用と美」の中に島岡氏独自の個性が息づく存在感のあるものばかりである。
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2007/1/23


高麗館 Kouraikan Kouraikan

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 山形の戸沢路には、緑の山並みの中に突然異国の空間が広がっている。そこが、高麗館である。
 高麗館は、韓国の文化・歴史の紹介と、訪れた人々との交流と相互理解を深めるために造られた、異国情緒たっぷりの建物である。
 1997年、韓国・堤川市との交流から古代朝鮮半島文化に触れる友好のシンボルとして建てられた。
 伝統民具や工芸品の展示・販売を行う「物産館」、韓国の食文化を紹介する「食文化館」、風俗や芸術を紹介する「民族文化館」、韓国の花、ムクゲやモクレンなどを配した「韓国庭園」、村人たちが集う遊びの広場「ノリマダン」などの数多くの施設があり、まるで韓国に居るかのような気分を味あわせてくれる。
 高麗館は韓国の文化・歴史を華麗に再現した建物であり、訪れる者に感動と興奮を与えてくれる日韓友好の絆である。
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