NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/18


匂い袋 Nioi-bukuro 

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 匂いに関する文化は世界中に存在し、古来より権力を制した者や身分の高き者は香りを非常に大切にしていたという。
 香りの文化を日本ではじめて取り入れたのは、聖徳太子であるといわれている。匂い袋に関しても奈良時代にはじまり、正倉院の宝物の中に、現在の匂い袋の原点である裛衣香(えびこう)が残されているという。
 匂い袋の中は常温で香りを発散する香原料を刻み、調合して和紙や袋に詰められているのが特徴である。袋を身につけたり、壁や柱につるしたり、禅僧の座傍などにも用いられてきた。また、香原料のうち白壇(びゃくだん)や龍脳(りゅうのう)、丁子(ちょうじ)は防虫効果もあるので、袈裟(けさ)や僧衣(そうい)にもつけられていたという。
 平安時代に入ると貴族たちは個々の香りを出す為に、色々な香原料を工夫したという。香りに関しては源氏物語の中にもしばしば登場する。その後、公家から武家へと香りの文化は受け継がれていったとされる。匂い袋は日本文化の一端を香りで感じるものである。
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2008/3/17


【気】 Ki Energy, Spirit, Atmosphere

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 象形文字の气が初文。また、气の初文は乞、雲気の流れる形です。気は空気、天気、湯気、気息などに現れるエネルギーの根本のユニットと考えられます。
 白川先生が最後に執筆した漢字字書『常用字解』に、はじめて「気を養う」という、「気」と「お米」との役割関係が説かれています。ちなみに、韓国のジェーコブ・チャング-ウイ・キム氏の英語の漢字説にもそのように説かれています。
 生き物にエネルギーを与えているのは食べ物であり、食べないと生きていけず、気力がわいてきません。昔から東アジアの基本食はご飯とされており、お米はエネルギーの元でもあります。「気」の上の部分は炊いたお米・ご飯から上がる「湯気」ではないかという、象形的な文字としての位置づけができると考えられます。
 「気」は日本語では人間の気分・気持ちを表現する多くの言い方に使われるようになり、東アジアでは太極拳や合気道などの気息・呼吸法が大事とされる武道の文化の基本にもなりました。
 古代ギリシャ哲学には、とても似ている概念の「プノイマ(空気)」があります。汎神論を唱え、自然の法則に従うライフスタイルをすすめていた古典哲学派のひとつである「ストア派」は、これを「宇宙にどこにもあるロゴス(世界理性)を担っている、一番細かい空気みたいな物資」として考えています。そういう意味では昔から「気」は西東共通の考え方でした。
 
■ 気・篆文(てんぶん)
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2007/2/16


破魔矢 Hamaya Hamaya (Arrow)

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 お正月、初詣で一年の好運を射止める縁起物として、破魔矢を授与する習慣がある。時には、破魔弓(はまゆみ)とセットにする事もある。
 これは朝廷で、正月恒例で行われた弓の腕前を披露する儀式「射礼」(じゃらい)に使われる弓矢に由来する。「ハマ」とは競技に用いられる的の事を指し、これを射る矢「浜矢」、弓を「浜弓」と呼んだ。元々、朝廷で行われていた行事だったが、平安時代の中頃、「はま」が「破魔」に通じるとして、庶民にも正月に男児のいる家に弓矢を組み合わせた玩具を贈る風習が生まれた。
 この他、家屋を新築した際、上棟式に鬼門に向けて棟の上に弓矢を立てる事や新生児の初節句に、親戚や知人から破魔矢・破魔弓を贈る習慣もある。
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2007/1/25


金隈遺跡 Kanenokuma-iseki Kanenokuma Ruin

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 金隈遺跡は、福岡県福岡市博多区にある墳墓遺跡である。
 標高30mの丘陵上に、甕棺墓348基、土壙墓・木棺墓119基、石棺墓2基が発見された。
 甕棺墓では小児用の数が圧倒的に多い。残された人骨の一部には抜歯の風習がみられた。
 金隈遺跡は、紀元前2世紀頃から西暦2世紀頃まで、約400年に渡って使用された弥生人達の共同墓地の跡である。しかも、副葬品や埋蔵物に、鏡などの権力者が保有していたと見られるものが全くないことから、一般弥生人、つまり庶民達の墓地であることが確認された。
 現在史跡公園として整備され、展示館内では、弥生時代の甕棺墓や土壙墓が発掘された姿のまま見学できる。
 1972年、国の史跡に指定される。
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2007/1/23


高麗館 Kouraikan Kouraikan

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 山形の戸沢路には、緑の山並みの中に突然異国の空間が広がっている。そこが、高麗館である。
 高麗館は、韓国の文化・歴史の紹介と、訪れた人々との交流と相互理解を深めるために造られた、異国情緒たっぷりの建物である。
 1997年、韓国・堤川市との交流から古代朝鮮半島文化に触れる友好のシンボルとして建てられた。
 伝統民具や工芸品の展示・販売を行う「物産館」、韓国の食文化を紹介する「食文化館」、風俗や芸術を紹介する「民族文化館」、韓国の花、ムクゲやモクレンなどを配した「韓国庭園」、村人たちが集う遊びの広場「ノリマダン」などの数多くの施設があり、まるで韓国に居るかのような気分を味あわせてくれる。
 高麗館は韓国の文化・歴史を華麗に再現した建物であり、訪れる者に感動と興奮を与えてくれる日韓友好の絆である。
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放生会 Houjyouya Hojo Ya Festival

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 放生会(ほうじょうや)は、福岡県福岡市で行われるものが、特に有名な神事・祭事である。
 放生会とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である。仏教戒律の「殺生戒」を元とし、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられた。
 収穫祭・感謝祭の意味も含めて春または秋に全国の寺院や八幡社で催される。特に福岡県の筥崎宮の放生会は博多三大祭の1つに数えられる程盛大である。
 期間中は、1Kmの参道に700もの露店が並び、境内ではさまざまなイベントが行われる。
 毎年100万人以上の参拝客が訪れ、やむを得ず殺生をした生き物や、ペットなどの放生会感謝祭(供養祭)も行われる。
 放生会は、福岡を盛り上げる秋の一代イベントである。
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