NIPPON Kichi - 日本吉

記事数57件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/11/25


大仙陵古墳 daisenryo-kohun 

Jp

 大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)とは、大阪府大仙町にある日本最大の前方後円墳である。上空から見ると円と四角が合体した形をしていて、これは日本独自の形である。
 正式には百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と呼ばれ、仁徳陵古墳として宮内庁が管理している。
 この古墳は、五世紀中頃、約二〇年の歳月をかけて築造されたと推定される。墳丘は全長約486メートルあり、後円部の径は約249メートル、高さ約35メートル、また前方部の幅は約305メートルで高さ約33メートルの三段築成となっている。
 外を廻る三重の外濠は、明治時代に掘り直されたものである。全周は2.8キロメートルで、現在は周遊路として整備されている。
 墳丘には、古墳の盛り土の上を覆うため敷きつめられた葺石(ふきいし)があり、巫女や水鳥、犬、馬、などの埴輪が出土している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/11/6


生玉夏祭 ikutama-natsumaturi 

Jp

 生玉夏祭(いくたまなつまつり)は、大阪府大阪市天王寺区生玉町にある生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)にて、毎年七月一一日、一二日ごろに行われている祭りである。
 生國魂神社は、神武天皇が国土神である生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀ったのに始まると伝えられる大阪最古の神社である。
 生玉夏祭は「陸の生玉」「川の天神」と並び称され、大阪の数々の夏祭りのさきがけとなっている。
 旧社地である大阪城へのお渡りが祭りの中心であり、大阪の繁栄と市民の無病息災を祈願する。
 他にも獅子舞おねり、金銀神輿おねり、子供太鼓、子供神輿、枕太鼓と賑やかで、明治~昭和初期の最盛期には、数千名を超える渡御列で賑わったという。
 生玉夏祭りは、大阪に夏を告げる盛大な祭りである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/10/21


岸和田だんじり祭 kishiwada-danziri-matsuri 

Jp

 大阪府岸和田市(きしわだし)の岸和田だんじり祭は、「だんじり」と呼ばれる欅(けやき)の山車を綱で曳き、疾走する全国的にも有名な祭りである。
 元禄一六(1703)年、岸和田藩主の岡部長泰(おかべながやす)が、五穀豊穣を祈願して稲荷祭をおこなったのが始まりである。
 毎年九月と一〇月に行われ、各町ごとのだんじりを総勢500人の若者が曳き回す。この祭りの見せ場は、だんじりが曲がり角で方向転換する時の豪快な「やりまわし」である。祭りの二日間、定められら曳行路を何度も駆け巡り、重さ四トンもあるだんじりを、疾走しながら直角に向きを変えるのである。
 だんじりには屋根が二つあり、前方の大屋根の下では、大太鼓、小太鼓、笛、鉦の鳴り物が演奏される。最初は緩やかに、そして徐々に囃子が早くなり、曳き手も駆け足になる。そして曲がり角が近づくと両方の屋根に乗った大工方の指示で一気に曲がる。
 日没後は、だんじりに約二百個の提灯が灯り、子ども達が乗り込んで、灯入れ曳行きが行われる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/25


堺打刃物 Sakai-Uchihamono 

Jp

 大阪府の堺市に伝わる「堺打(さかいうち)刃物」は、全国的に有名な刃物である。人類の祖先が一番最初に使った道具が刃物だといわれているが、この地では弥生時代中期、既に集落が営まれ、石包丁が使われていた。
 天文一二(1543)年、ポルトガル人により鉄砲やたばこが伝来し、戦国時代には堺は鉄砲の産地として重要な役割を果たした。その後たばこの葉を刻む「たばこ包丁」が堺で作られるようになり、徳川幕府は堺に品質証明の印である「極印」を附して専売を許可し、堺刃物の名は全国各地へと広がった。江戸時代中期には、出刃包丁が出現し、その後刺身包丁、薄刃包丁などが作られるようになった。
 包丁と並んで和鋏(わばさみ)の生産でもよく知られる。髪結い、植木屋、生け花、呉服など、江戸時代には鋏は暮らしの中になくてはならないものだった。中でも、生け花用の鋏は、堺で最初につくられたと言われている。堺の和鋏は、最初から最後までひとりの手で作られ、細部にまで神経が行き届いている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します

keywords :