NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/6


平家大祭 Heike-taisai 

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 平家大祭(へいけたいさい)は、平家伝説の里で知られる湯西川温泉で、毎年6月5日から7日まで平家落人の復興を願って開催される華やかな祭典である。
 この祭りは、昭和六〇(1985)年6月にオープンした「平家の里」と共に始まったとされる。
 5日の山伏による「火渡り式」を皮切りに、6日には「平家絵巻行列」が行われるという。
 村民(現市民)約250名が、平清盛(たいらのきよもり)など勇敢な武士に扮した行列として、湯殿山神社から平家の里までの道のり約1kmを練り歩く。
 7日には、平家大祭のハイライトともいうべき「九十九姫行列(きゅうじゅうきゅうひめぎょうれつ)」が繰り広げられ、女性たちが華やかな衣装を身にまとい、湯殿山神社から温泉街の中心を通って平家の里までを優雅に歩くという。
 他にも平家の里にて舞われる「蘭陵追うの舞」など様々な催しが温泉街に彩りを添えているという。
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2008/1/30


綱木之里大名行列 Tsunagi-no-sato-daimyou-gyouretsu Tsunaginosato Daimyo’s Procession

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 綱木之里大名行列(つなぎのさとだいみょうぎょうれつ)は宮城県登米市東和町に伝承される行列練り。永禄七(1564)年、鳩岡城主の葛西民部少輔(かさいみんぶのしょう)が八幡神社を再建し、神輿等を寄進し祭日にやぶさめを奉納したときより始められ、現在は毎年九月中旬に開催されている。
 午前一一時にホラ貝と花火が鳴り響き、一行は八幡神社を出発。重々しい袴姿の露払い、騎馬先陣、道中奉行を先頭に、おみこし担ぎ、稚児行列、京都祇園囃子の流れを汲む打囃と総勢約120人ほどが続く。天狗と獅子が踊りながらやってきて、無病息災と子供たちの頭を噛むしぐさをしてみせる。
 左右に大きく体を揺らしながら進む奴たちは時折立ち止まり、手にしていた長さ三メートルを超える毛槍を威勢良く相手に投げ渡す。この「お取り替え」と言われる動作に、沿道からは歓声が上がる。
 やわらかい音色が響く雅やかなお練りだ。
 
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2007/11/6


三浦天満神社 相撲練り Miura-tenman-jinja Sumou-neri 

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 三浦天満神社(みうらてんまんじんじゃ)では毎年一〇月の秋祭りに、子供たちによる「練り」が奉納される。
 「牛鬼」「相撲練り(すもうねり)」「四ツ太鼓」など、長く受け継がれている衣装で行列を組み、パフォーマンスを披露する。
 練り物のひとつ「相撲練り」は、天保一五(1844)年以前の起源で、宇和島藩側から伝習したと考えられる。
 化粧回しを着けた8名から12名の子ども力士が円陣を組み、立行司の語る文句に合わせて踊るもので、演じ手は小学生である。
 その後、神社の境内や御旅所で相撲を取り、場は賑わいをみせる。
 相撲練りは、豊作祈願や除災招福の神事として、伝統芸能として伝承されている。
 三浦天満神社の練りは、平成一二(2000)年に県指定無形民俗文化財に指定されている。
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2007/10/4


ケンケト祭 Kenketo-matsuri Kenketo Festival

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 ケンケト祭(けんけとまつり)は、滋賀県東近江市の竜王町にある杉之木神社と蒲生町にある八坂神社で、毎年四月二三日に近い日曜日に行なわれる祭りである。
 薙刀踊り(なぎなたおどり)も同時に奉納され、国の選択無形民俗文化財に指定されている。
 ケンケト祭とは、祭囃子の鉦・太鼓が「ケケンケイ、ケケンドン、ケケンケイ、ケケン」と聞こえることに由来していると言われ、平安時代~室町時代から両地域に伝わる、荘園時代からの五穀豊穣を願う伝統の祭りである。
 11才~21才の長男が揃いの友禅模様の衣裳で、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら薙刀踊りを奉納する郷土色豊かな祭りで、行列の衣装は織田信長が甲賀攻めをした時、住民も従軍し鎧を脱いだ格好ともいわれている。
 ケンケト祭は、風流で雅な、千年の伝統を誇る祭りである。
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2007/9/27


隠岐武良祭風流 Oki-mura-matsuri-fuuryuu Oki Muramatsuri Furyu

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「隠岐武良祭風流(おきむらまつりふうりゅう)」は隠岐三大祭りのひとつで、隔年の一〇月一九日に行われている。
 その起源は鎌倉時代の初めに遡り、隠岐の守護に任ぜられた佐々木定綱(さだつな)が、本国近江から日神・月神を迎え、五穀豊穣を祈願して始めたことと伝えられている。
 元屋八王子神社に祀られている日神(日天子)と、中村一之森神社に祀られている月神(月天子)が、この武良郷(むらごう)の地の神々たちと、中村の会所で出会うというもの。
 両神社から行列が出て会所に向かう。到着すると「日天子・月天子の和合による礼」が行われる。
 さらに、甲冑を付けた武者の「行司礼拝」、化粧した若者が囃子に舞いながら大太鼓を打つ「陰陽胴打ち」、子供による相撲の舞い「神相撲(こずま)」、青年による相撲の舞い「占手(うらて)」などが続き、流鏑馬(やぶさめ)を最後に祭りは終了する。
 古式ゆかしい多彩な行事は、まるで歴史絵巻のようで県の無形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/6


盛岡秋まつり Morioka-aki-matsuri Morioka Autumn Festival

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 盛岡秋まつりは、岩手県盛岡市にある盛岡八幡宮で、毎年の九月十四日からの三日間に渡って行われる同宮の例大祭である。十三日には前夜祭も行われている。
 祭りが行われる盛岡八幡宮は、この地を治めた南部家が城下町鎮護のために勧請した、同家の氏神様でもある。
 祭りの興りは宝永六(1709)年、南部藩二十万石の城下町二十三町が完成した折に、各町から一台ずつ山車を出して祝ったのが始まりとされており、この山車行列は今も執り行われ、盛岡市の指定無形文化財にもなっている。
 それら山車の全てが八幡宮からスタートする「八幡下り」や夜に行われる山車大絵巻パレード、八幡宮境内で行われる古式ゆかしい流鏑馬など、三百年間連綿と続く盛岡の秋の風物詩が、三日間にわたって繰り広げられる。
 祭りには欠かせない屋台も参道一杯に立ち並んでおり、南部独特の音頭を取って子供達が練り歩く様をヤキソバを食べながら眺めるのも乙なものである。
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2007/9/4


鹿児島 弥五郎どん祭り Kagoshima Yagorou-don-matsuris Yagoro-don Festival in Kagoshima

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 鹿児島の弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり)は、鹿児島県曽於市大隅町にある岩川八幡神社にて毎年11月3日に行われている祭りである。鹿児島三大祭りの一つとされている。
 「弥五郎どんまつり」は岩川八幡神社に伝わる五穀豊穣を祈ったご神幸行列の祭りで、六代にわたる天皇に仕えたとされる武内宿禰(たけのうちすくね、84~367)、隼人族の首領などがそのモデルではないかと言われている。
 身の丈4.85m、ギョロリとした眼に太い眉、大小2本の刀を携えた勇ましい弥五郎どんが街中を練り歩く「浜下り」が、祭りの最大の見所とされている。
 弥五郎どんゆかりのものにふれれば、一年を無病息災で過ごせると言われている。
 鹿児島の弥五郎どん祭りは、南九州を代表する勇壮で迫力ある秋祭りである。
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2007/8/24


村上大祭 Murakami-taisai 

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 新潟県下三大祭の一つに数えられる村上大祭(むらかみたいさい)は、西奈彌(せなみ)羽黒神社の例大祭のこと。地元で「おしゃぎり」と呼ばれる山車(だし)が出ることで有名。
 三基の神輿に御神霊を奉遷し、荒馬十四騎、稚児行列を先導に町内を巡行する神事だが、おしゃぎりの中には堆朱(ついしゅ)・堆黒(ついこく)と呼ばれる村上伝統の木彫り漆の粋を凝らした細工が随所に見られ、古いものでは二〇〇年以上も前のものもあるという。
 「おしゃぎり」の名前の由来は、歌舞伎や狂言の音曲やお囃子のことを「しゃぎり」と呼ぶところから来ているとされる。
 寛永一〇(1633)年、村上藩主が神社を城から見下ろすのは畏れ多いとして羽黒神社を現在の場所へ移されたことを祝い、人々が大八車に太鼓を積んで町を練り回したのが始まりと伝えられる。当初は旧暦の六月六日・七日に行なわれていたが、明治以降は新暦に変わり、毎年七月六日・七日となった。
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