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2008/2/1


日本のふるさと遠野まつり Nihon-no-furusato-toono-matsuri Tono Festival

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 日本のふるさと遠野まつり(とおのまつり)は、毎年九月中旬頃に開催される岩手県遠野市の遠野郷八幡宮(とおのごうはちまんぐう)の例大祭だ。
 芸能の宝庫、東北地方に伝わる多種多様な郷土芸能を一同に見ることができる祭である。
 一日目は「しし踊り」や「南部ばやし」などの郷土芸能のパレードがところ狭しと練り歩き、神楽などの郷土芸能競演会が開催される。
 二日目は四〇〇年の歴史を持つ、遠野南部流鏑馬(とおのなんぶやぶさめ)が開催される。流鏑馬は、源氏方の武将であった南部家が奉納したのが始まりといわれており、約220メートルの馬場を勇壮に馬がかけていく様子に沢山の観光客が拍手を送る。
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2007/10/9


遠野和紙 Toono-washi Tono Washi Paper

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 遠野和紙(とおのわし)は、福島県いわき市遠野町に伝わる伝統工芸品である。
 永禄年間(1558~1569)、棚倉藩の奨励により江戸武家記録用紙として重宝されたのが起源とされる。
 鮫川、入遠野川の清らかな水の流れを利用し、古くから和紙作りが盛んに行われ、かつては江戸の市場にも「岩城和紙」としてその名が宣伝された。
 あたりが柔らかく、丈夫で、時を経るごとに白く変化していくのが特徴とされる。
 コウゾとミツマタだけを使い、煮沸~打解~すきあげ~紙干しという行程を経る伝統的な製法が、独特の風合いを持つ美しく丈夫な和紙を作り上げる。
 全行程には80~90時間を要するという、全国でも数少ない、貴重な手漉き和紙である。
 遠野和紙は、優雅な光沢をもつ伝統の和紙である。
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2007/4/18


猿ヶ石川 Saru-ga-ishi-gawa The Sarugaishi River

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 猿ヶ石川(さるがいしがわ)は岩手県中南部を流れる川である。
 北上川水系の一級河川であり、流路延長73キロ、流域面積952平方キロメートルとされる。
 岩手県遠野市と花巻市の境に位置する薬師岳(標高1645メートル)を源とし、小烏瀬川、早瀬川、小友川などの支流が合流する。
 途中には、柳田国男の「遠野物語」で知られる民話のふるさと・遠野、レジャーが楽しめる田瀬湖や泣き相撲が有名な花巻市東和を通り、宮沢賢治が名付けたイギリス海岸付近の北上川に流れこむ。
 また、アユ、ヤマメ、ウグイ、イワナなどの漁場・釣り場としても有名である。
 猿ヶ石川源流域は、高山植物の宝庫・早池峰国定公園の一部であり、大小さまざまな滝などの、美しい渓谷美が見られるのも特色である。
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六角牛山 Rokko-ushisan Mt. Rokkoshi

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 六角牛山(ろっこうしさん)は岩手県遠野市にある山である。
 遠野盆地の東方に見えるこの山は、早池峰山、石上山と共に遠野三山と呼ばれ、山岳信仰の対象となっている。
 標高は1294メートルで、美しい山容は遠野小富士や六神石山などと呼ばれ、親しまれている。
 山頂近くでは高山植物も楽しめ、標高1100メートル付近の畳石状は、険しい累岩地形から六角牛層と命名されている。
 六角牛山の名には、アイヌ語の「山容のたれ下がる」の意味や、昔、山中に六人の皇族が住んでいた等の説があり、多くの伝説・物語が残る山としても知られている。
 小水内地区に六角牛神社、瀬内地区には六神石神社を祀り、いずれも山頂の六神石神社奥宮につなぐ二本の参道をもうけている。
 六角牛山は、神話と伝説に彩られた、古くから知られた山である。
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カッパ淵 Kappa-buchi Kappa Buchi

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 カッパ淵は、岩手県遠野市土淵町にある小川の淵である。
 幅2〜3メートルの川に向かってナナメに伸びている木々と、多くの大きな岩や石コロの間を、さらさらと静かに水が流れている。
 カッパ伝説が多く残る遠野の中でも、一番知られている場所がここといえる。
 「遠野物語」のカッパ伝説の舞台であるこの場所には、カッパが人々を驚かし、いたずらをしていたという伝説が数多く存在する。
 すぐ近くにはカッパ狛犬(頭に皿がある狛犬)を奉った常堅寺という寺があり、川原にある夫婦のカッパが鎮座する小さな祠は、子供のいる母親が願を掛けるとお乳が出るようになるとか、拝むと胸が大きくなるといわれている。
 カッパ淵は、今にもカッパが出てきそうな、神秘的な雰囲気を持つ場所である。
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続石 Tsuzuki-ishi Tsuzuki-Ishi

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 続石(つづきいし)は、岩手県遠野市綾織町にある石である。
 続石とは、二つの並んだ石の上に、幅7メートル、奥行き5メートル、厚さ2メートルの巨大な笠石が乗っているものである。
 石は、綾織町にある鳥居をくぐり、山の小道を15分ほど登った杉林の小高い所に存在している。
 遠野物語拾遺11話に武蔵坊弁慶が乗せたという伝説がある他、古代の墓ではないかとか、原始巨石文化ドルメンの遺跡説など諸説あり、判然としない。
 記録が無いので、いつ頃からここにあるのか定かではなく、そもそも自然にできたものか、人為的に作られたものなのかも判明していない。
 近隣の羽黒神社にも、巨石・羽黒岩があり、関連性が感じられるが、繋がる証拠は何もない。
 続石は存在そのものが不思議な、幻想的な奇岩である。
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2007/3/29


遠野しし踊り Toono-shishi-odori 

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 遠野しし踊りは岩手県遠野市に伝わる民俗芸能である。
 柳田國男の著書「遠野物語」の序文にも記された、遠野地方独特の踊り。
 江戸時代、参勤交代の帰途の際、駿州掛川で南部藩の家臣がその地に伝わる踊りに夢中になり、行列から遅れたことを問うた藩主に踊りを見せ、許されたことが縁起であるとされる。
 ししと呼ばれる架空の獣の面をかぶり舞い踊る。ししは大きな目と角を持ち、どろの木を削って作った「かんながら」のたてがみを振り乱して人と争うが、人を傷つけることはしないという。
 踊りの際に落ちたかんながらは縁起物とされ、拾ったものには福が訪れると言う。
 遠野地方各地に伝わり、現在も物語に記された舞が踊られている。
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2007/3/27


鞍迫観音堂 Kurahasama-kannon-dou 

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 鞍迫(くらはさま)観音堂は約千百年以上も歴史のある由緒ある古刹。岩手県遠野市宮守町上鱒に所在する。
 仁寿二(852)年、慈覚大師が仏教の布教に全国を巡っていた際、この地で1本のカツラの木を見つけ、その木から7体の観音菩薩を刻み、7ヶ所にお堂を作り安置したのがはじまりとされる。
 十一面観音の本尊は遠野郷では最も大きく、古い仏像。万治二(1659)年に火災に遭い、形は残ったものの表面は焼け焦げた。このことが信仰を深めさせたとも言われる。
 鞍迫観音堂は野火により焼失した後、寛文十(1670)年に再建。以降330年も経ている文化財として、仏堂建築史の上でも非常に価値のある建造物だ。県の有形文化財にも指定されている。
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