NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


木葉猿 Konoha-saru 

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 熊本県玉東町(ぎょくとうまち)の木葉に伝わる「木葉猿(このはさる)」は、郷土玩具の中で、最も古いものの一つであるといわれている。
 養老七(723)年の元旦に「虎の歯(このは)」の里で生活していた都の落人が、夢枕に立った老翁のお告げにより奈良の春日大明神を祀った。そして木葉山の赤土で祭器をつくった際、残りの土を捨てたところ、それが猿に化けたという言い伝えがあり、木葉猿が誕生したといわれる。
 型を使わず、指先だけで粘土をひねる技法で猿の土焼人形をつくり、素焼きにしたままの伝統玩具である。
 昔から素朴さとユーモアある姿は人気があり、大正時代後期には、全国土俗玩具大番付で東の横綱になった。最近では彩色したものもあり、三匹猿・子抱猿・飯喰猿など合わせて一〇種類程あり、悪病、災難除け、子孫繁栄、子授けなどのお守りとして多くの人々に親しまれている。
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2007/11/20


袖師焼 Sodeshi-yaki 

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 袖師焼(そでしやき)は、島根県松江市袖師町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 明治一〇(1877)年、初代・尾野友市により松江市上乃木の皇子坂に開窯された。
 三代・尾野敏郎は、昭和の初めから柳宗悦(やなぎむねよし)の民芸運動に加わり、地元の粘土を用いた新作の民芸品として日常の暮らしの器物を作るようになった。
 出雲の伝統陶器の味わいを持ち、暮らしに役立つ強くて使いやすい中に簡素なうるおいのある陶器で、釉薬(ゆうやく)には地釉(ぢぐすり)、柿釉(かきぐすり)が多く使われているのが特徴とされる。
 食器類、酒器、茶器、花器など主として日常家庭用品を製作し、近年では、赤土粘土など、これまでと違った土を使用した作品も製作している。
 袖師焼は、出雲の土を生かした、質素で丈夫な伝統工芸品である。
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2007/9/4


下川原焼土人形 Shita-kawarayaki-tsutiningyou Shitakawara Pottery Earthenware Dolls

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 弘前に下川原焼土人形(したかわらやきつちにんぎょう)が生まれたのは、文化七(1810)年、津軽藩九代藩主である寧親(やすちか)が、九州の筑前で陶磁器作りを学んだ下川原の高谷金蔵に玩具を作らせたのが始まりだと伝えられている。
 雪深い地域のため、暖房器具がない当時、冬の陶器作りは不可能だった。そのため陶工たちの仕事が空く冬の期間に土人形を作るようになった。
 この人形は、赤土と砂を混ぜ合わせた粘土を作り、型枠にはめて形を整え高温で数時間窯焼きする。色づけは鮮やかで、地塗りの白の上に黄・紫・赤の三色が映えるのが下川原焼土人形の特徴である。
 鳩笛や人形笛、土人形では干支もの、節句もの、武者人形、招き猫などが親しまれており、すべて手作りである。現在も当時と変わらない手法で受け継がれている。




 
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2007/5/2


神懸焼 Kankake-yaki 

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 香川県の小豆島で作られる陶器、神懸焼(かんかけやき)。
 その歴史は江戸時代末期といわれている。寒霞渓(かんかけい)という日本三大渓谷と呼ばれる観光地のお土産用として開窯された。
 寒霞渓の赤土を使ってロクロで作られる。「ひもづくり」という粘土をひも状にして巻いていき形を作る技法が特徴である。
 また発光の違う釉薬を二重に塗ることで、焼成中に化学変化が起こり、変化に富んだ表情の艶を奏でる。
 最近では「陶芸教室」が開かれており、初心者の人でも「ロクロ回し」などの体験ができる。形を整えれば、約1ヶ月後には職人の手で焼きいれして送られてくる。
 製品としては、ぐい飲みや茶器、楽茶碗、瓶掛、水差し、皿など高級品から日曜雑器まで、その用途は多種多様である。
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2007/3/12


丹生川上神社下社 Niu-kawakami-jinjya-shimo-sya Niu Kawakami Shrine Shimo-sha

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 丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)は、奈良県吉野郡下市町にある神社である。祭神は、闇おかみ神とされる。
 白鳳4(676)年、「人声聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との神託に因って創立されたといわれる古社である。
 続日本紀に「・・・天平宝字7年5月・・幣帛の他特に黒毛の馬を奉る」とあり、これ以降祈雨には黒馬を、祈晴には白馬を献じるようになった。
 下社の境内前には清流丹生川が流れている。丹生は古来より、赫石土、赤土、朱(水銀)を産出する地で、採鉱精錬の技術をもつ部族が産地を求め移動し、その地名を残したといわれている。
 丹生川上神社下社には上・中・下の社があるが、古代からある丹生川上神社というのは下社の事であると言われている。
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2006/12/20


トンバイ塀 Tonbaibei Tonbai Walls

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 トンバイ塀は、佐賀県有田町にある歴史的建造物。もともとは、有田焼の登り窯を築くために用いた耐火レンガ(トンバイ)の廃材や使い捨ての窯道具、陶片を赤土で塗り固めて作ったリサイクルの塀である。
 江戸時代には、窯元ではトンバイ塀を高くして、焼き物作りの秘密が外から見えないようにするのにも役立ったそうだ。
 土壁なので脆く、一時は大部分が崩れてしまったが、造成当時は総延長875メートルにも及んだという。その80%が上有田地区にあり、泉山の大イチョウから大樽の陶磁器美術館までの通りに多く見られる。
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