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2008/8/26


薬師寺 東塔 Yaushi-ji Tou-tou East Pagoda at Yakushi-ji Temple

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 薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗大本山の寺である。本尊は薬師如来。西国薬師霊場第1番札所とされ、南都七大寺のひとつに数えられる。天武天皇九(680)年、天武天皇の勅願により創建された。
 東塔(とうとう)は、天平二(730)年に平城京にて西塔と相対して新築されたとされる総高33.6mの塔で、国宝に指定されている。三重塔であるが、各層にスカートのような裳階(もこし)をつけているため、六重塔のように見えるのが特徴である。
 塔の上部には水煙が祀られており、水煙に透かし彫りされた24人の飛天は笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で、晴れ渡った大空に仏を讃えている。
 薬師寺の東塔は、薬師寺で唯一創建当時より現存している、悠久の時を重ねてきた建築物である。
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2008/5/26


調布市 深大寺 Choufu-shi Jindai-ji 

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 東京都調布市・深大寺(しんだいじ)は古い歴史を持つ寺院で、天平五(733)年に満功上人によって法相宗の寺院として創建されたのがはじまりと伝わる。
 約一〇〇年後に天台宗に改宗され、今に至る。寺名は、仏教の守護神のひとりである深沙大将(じんじゃたいしょう)に由来しているという。
 本堂には本尊である阿弥陀三尊像、釈迦堂には奈良時代に作られた銅造釈迦如来像が安置されている。僧都・恵心の作とされる如来像は重要文化財に指定されている。
 深大寺は深大寺蕎麦でも知られており、これは元禄年間(1688~1703年)に上野東叡山寛永寺大明院法親王に献上して、大いに賞賛されたことからはじまるという。その伝統は今も継承されており、寺の周りには店がいくつも並んでいる。参詣帰りに立ち寄る人も多い。
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2008/3/6


興福寺 大湯屋 Koufuku-ji Ooyuya Kofuku-ji Temple, Ooyu-ya Bathhouse

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 興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町にある法相宗大本山の寺院である、藤原氏の氏寺である。本尊は釈迦如来で、西国33箇所第9番、西国薬師霊場第4番札所とされている。
 天智天皇八(669)年、藤原鎌足夫人により現在の京都市山科区に山階寺(やましなでら)という名称で創建され、和銅三(710)年、藤原不比等によって現在地に移転、興福寺と改称された。
 大湯屋(おおゆや)は、五重塔の東方に建っている中世の風呂で、創建年代は不明であるが、現在のものは応永三三(1426)年頃の再建とされ、国の重要文化財に指定されている。
 南北四間・東西四間の本瓦葺で、西側は入母屋造、東側は切妻造となっており、中には口径136cmの大きな鉄の湯釜が2基存在し、沸かしたお湯から立ちのぼる蒸気にあたる蒸し風呂となっている。
 中世以後は、大衆蜂起の衆議所としても使われた。
 興福寺の大湯屋は、中世の浴室建築として大変貴重な建物である。
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2007/10/2


行基 Gyouki Gyoki

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 行基(ぎょうき)は奈良時代の僧。古代民間仏教のカリスマで、その偉業により行基菩薩と尊称された。
 天智天皇七(668)年、河内国(現・大阪府)に誕生。法興寺の道昭を師として、一五歳で出家。仏教教理の他に、土木技術を学んだ。
 「教団は王権から独立すべきである」という三階教の教えを根本思想に、伝道と社会事業を融合させ、民衆を煽動した。畿内を中心に諸国を巡り、造寺、墾田開発、橋梁架設などを押し進めた。
 驚異的な指導力が朝廷に危惧され、僧尼令違反で禁圧されたが、大仏造営の勧進役を買って出ると、逆に朝廷より大僧正位を授けられた。
 大仏造営中の天平二一(749)年、奈良・菅原寺で八一歳で入滅。『日本霊異記』『本朝法華験記』『日本往生極楽記』に数々の伝説が残る。行基の軌跡を記した「行基図」が、日本地図の原型という説もある。
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2007/8/31


興福寺 五重塔(国宝) Koufuku-ji Gojuu-no-tou 

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 興福寺(こうふくじ)は、法相宗の大本山として知られる。和銅三(710)年の春三月、平城京・左京三条七坊の地に造営された。
 興福寺には国宝に指定されている五重塔がある。天平二(730)年に、興福寺の創建者である藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘、光明皇后の発願で創建された。
 創建当初は高さ四五メートルで、当時の日本では一番高い塔だった。現在は高さは約五〇メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で二番目に高い塔である。
 火災などにより、この塔は応永三三(1426)年に再建されたもので、現在第六代目となる。
 五重塔各層には水晶の小塔などが安置されていたが、現在は薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されている。

 

 
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2007/8/22


清水寺 三重塔 Kiyomizu-dera Sanjuu-no-tou 

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 正式名は音羽山清水寺(きよみずでら)といい、宝亀九(778)年の開創。清水寺の宗派は北法相宗(きたほっそうしゅう)といい、単立の一寺一宗である。本尊の十一面千手観音は、国宝となっている本堂内々陣の厨子の中に秘仏として祀られているために、厨子前に本尊の姿を表したお前立ち仏像を安置している。
 清水寺にある三重塔は、日本最大級の三重塔で高さ三一メートル弱。平安初期の承和一四(847)年創建と伝えられる。現在の塔は古様式に則って寛永九(1632)年に再建され、重要文化財に指定されている。
 昭和六二(1987)年に解体修理をし、総丹塗りや桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。一重内部に大日如来を祀り、天井や柱などが密教仏画や飛天・龍と各種文様らの極彩色で作られている。
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2007/8/9


岡崎市 法蔵寺 Okazaki-shi Houzou-ji Hozoji Temple

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 岡崎市の法蔵寺(ほうぞうじ)は、愛知県岡崎市本宿町寺山にある浄土宗西山深草派の寺である。本尊は、阿弥陀如来。三河三十三観音霊場第12番で、三河新四国霊場第35番札所とされる。
 大宝元(701)年、行基によって法相宗の二村山出生寺として創建されたとされる。
 至徳二(1385)年、教空龍芸によって浄土宗の法蔵寺に改められた。
 徳川家康は幼少のころ、この寺で修業したと伝えられ、その時に使った遺品や、手習いの水を汲んだといわれる井戸、長女亀姫の墓などが存在する。
 明治元年には、三条大橋に晒されていた近藤勇の首が斉藤一によって奪取され、誓願寺にいた孫空義天が供養を依頼され、義天の異動に伴って法蔵寺に埋葬された。
 岡崎市の法蔵寺は、新撰組の近藤勇が眠る古寺である。
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2007/5/22


長尾寺 Nagaoji 

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 天台宗。ご本尊は、聖観世音菩薩。
 遍路八七番目の札所である。
 寺伝によれば、聖徳太子が開創と伝えられており、天平十一(739)年に行基がこの地で、霊感を得て聖観世音菩薩を彫り安置をしたと伝えられる。
 当初は、法相宗であったが、天長年間に真言宗となり、その後に天海によって天台宗に改められた。
 源義経の側室である静御前が得度した寺ともされており、位牌や、剃髪した際の髪を埋めた塚も残っている。
 毎年1月2日には、三味線のお囃子にあわせて餅をつく「三味線餅つき」や、1月7日には、そのついたもちを運搬できる距離を競う「大鏡餅運搬競技」等が行われる。
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