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2007/10/31


鹿谷寺跡 Rokutan-ji-ato Rokutanji Temple Ruins

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 鹿谷寺跡(ろくたんじあと)は、大阪府南河内郡太子町にある寺院跡である。
 奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院であった。
 日本最古の本格的な石窟寺院と言われ、寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されている。
 高さ5.2メートルの十三重石塔は、わが国最古の十三重石塔で、凝灰岩の地山を彫残して作られたものである。長年の風雨にさらされ、古色蒼然とし、古代の息遣いを感じさせている。
 東側の岩を掘って造られた岩窟内には、如来座像三体が線彫されている。こちらも風化がはなはだしく、一番左の如来座像の顔・胸部はすでに失われてしまっている。
 鹿谷寺跡は、日本では大変希少な、古代仏教関係の遺跡である。
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2007/10/18


粟嶋神社 Awashima-jinjya 

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 大分県豊後高田市の旧真玉町と旧香々地町の境に位置し、海に突き出た岩窟に社がある珍しい神社。いつの頃からか縁結びや安産など女性の願いを叶えてくれる神様として信仰される様になり、多くの参拝者が訪れている。また、桜の時期には荒々しい海の景観と桜がダブルで楽しめ、人気がある。隣接している粟嶋公園に設けられた木造の展望台からの眺望も素晴らしい。
 旧暦3月3日は粟嶋さまのお祭りで、この日は潮が一番引く日。竜宮に続いている道が現れると云われ、その道は八代竜王を祭る猪群山(いのむれやま)へと続いていると云われている。
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2007/9/13


齋藤氏庭園 Saitou-shi-teien Saito Family Garden

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 齋藤氏庭園(さいとうしていえん)は、宮城県石巻市河南町前谷地にある景勝地である。国の名勝に指定されている。
 石巻平野の北西部に位置する庭園は、近代における東北三大地主として知られる齋藤氏の第9代当主・善右衛門有成により、明治時代後期に作られた。
 本邸部分に所在する庭園は、丘陵の斜面を背にして清楽亭・無一庵などの建物を景観の中心に置き、周囲に平庭、園池を配している。
 斜面麓には宝泉窟(ほうせんくつ)と呼ばれる深い岩窟があり、ここから生じる湧泉は園池の水源ともなっている。
 また、庭園内にある宝ヶ峯縄文記念館はカヤぶきの建物で、宝ヶ峯遺跡から発掘された縄文時代後期の土器などが展示されている。
 齋藤氏庭園は、近代の庭園のうちでも特色ある庭園として名高い、美しい場所である。
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2007/9/11


青麻神社 Aoso-jinja Aoso Shrine

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 青麻神社(あおそじんじゃ)は、全国の青麻神社の総本社で、太陽・月・星を一緒に祀っており、名水の名所としても知られる。
 仁寿二(852)年に、現社家の遠祖・穂積保昌が京都からこの地に来て、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、月読神(つくよみのかみ)の日月星の三光神を清水湧く岩窟の中に奉祀したのが始まりとされている。あわせて里人に麻の栽培を教えたといわれ、これが神社や地名の由来となっている。
 この神社は昔から中風病退除のご利益で知られ、また創健者である穂積一族が水運に携わっていたことから海上安全の神として崇められており「三度詣でれば生涯中風の難よりのがれる」と伝えられている。
 現在境内には名水「おすず」が湧き出ており、清らかな水を求めて多くの参詣者が訪れる。
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2007/7/27


宮城 大光寺 Miyagi Daikou-ji 

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 宮城の大光寺(だいこうじ)は、宮城県柴田郡柴田町船岡南にある曹洞宗の寺である。
 文明元(1469)年に没した瑚海仲柵禅師によって15世紀に創建されたと言われている。
 文政六(1823)年、火災で焼失したが、昭和元(1926)年、檀家の寄付金により再建する。現存する本堂は再建時の建物で、100坪の広さを持つ堅固な建築物である。
 山門をくぐると、芭蕉の甥が建立したという芭蕉の句碑「名月や池をめぐりて終夜」が建っている。
 伊達騒動で有名な柴田外記と柴田家の菩提寺であり、本堂入口には五七の桐と久我竜胆(くがりんどう)の紋が飾られている。
 昔、疫病が流行った時に、大光寺の和尚が人々を救うため、山中で刻んだとされる岩窟五百羅漢が本堂裏手に存在する。
 宮城の大光寺は、今でも地元の人々に崇敬されている寺である。
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2007/4/4


不動院岩屋堂 Fudouin-iwayadou 

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 不動院岩屋堂は、鳥取県を流れる吉川川のほとりに立つ、高さ13mの天然の岩窟内にある寺院。
 高さ13m、間口7m、奥行き10mの岩窟にはめ込まれるようにして造られた密教建築であり、国の重要文化財である。
 現在の岩屋堂は室町時代の大同元(806)年に、飛騨の匠が建築したものとされ、県内有数の古建築だ。秀吉来攻の際に、兵火にかかり消失し、この本堂のみ焼け残ったとされる。見上げると、堂々とした存在感に言葉を失うほど圧倒される。
 本尊は、弘法大師が33歳のときに刻んだとされる黒皮不動明王で、「日本三大不動明王」のひとつと言われている。
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2007/3/29


達谷窟毘沙門堂 Takkoku-no-iwaya-bishamon-dou 

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 達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂は、岩手県西磐井郡平泉町、古峯山西光寺内に建つ堂宇である。
 延暦二十(801)年、東征を行なった坂上田村麻呂が戦勝御礼として、108体の毘沙門天像を祀り創建した。元は蝦夷の阿弖流為が立てこもった岩窟であったともいわれる。
 奥州藤原氏の滅亡と共に衰退するが、江戸時代に伊達政宗により再興した。
 現在は興亡を潜り抜けた27体の毘沙門天像が祀られている。
 京都の清水寺を模して作られたと言われ、陸奥の清水寺の異名を持つ。隣接する西光寺は神仏習合の社寺であり、古来からの形を今に残している。
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2007/1/26


仙の岩 Sen-no-iwa Sen-no-iwa Rock

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 集塊岩でできた旧耶馬風景の代表的なものとして、競秀峰(きょうしゅうほう)「青の洞門のある所」と並び称される。特に剣ヶ岳(けんがだけ)は全耶馬渓随一の大岩柱である。奇岩がそびえ立つ様はまるで山水画の様である。
 また、100mの大絶壁平岩や大中小の屏風岩や大巖寺(だいがんじ)岩窟・奥の仙岩窟などもあって、昔から山岳仏教の聖域となっている。大昔、インド僧法道仙人が居たので「仙の岩」と呼ぶようになった。
 仙の岩は頂上まで登ることができ、頂上からは由布岳、鶴見岳を正面に見ることができる。ここはちょっとした公園にもなっていて、春になれば桜が咲き花見を楽しむことができる。
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