栖鳳楼 Seihourou Seihoro
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栖鳳楼(せいほうろう)は、大分県玖珠郡玖珠町にある建築物である。
栖鳳楼は、真言宗の高僧「不退堂」によって名づけられた。
天保三(1832)年、豊後森藩8代藩主久留島通嘉により、三島宮の造営工事のひとつとして造られたもの、と森藩史料「御記録書抜」には記されている。
「御記録書抜」には紅葉の御茶室とも記録されており、神社祭典の為の参篭や、月見・花見の宴などにも使用されていた。
一階は御茶屋風になっており、その庭園「蓬莱山石組」は、九重連山や城下町の遠景を取り入れたもので、豪華な飛石が配置されている。二階からの眺望は、素晴らしく、眼下には森町(旧城下町)遠くは久住連山まで見渡せ、お城の天守閣の趣をなしている。
栖鳳楼は、江戸時代の森藩政を物語る、玖珠町における重要な建物である。
栖鳳楼は、真言宗の高僧「不退堂」によって名づけられた。
天保三(1832)年、豊後森藩8代藩主久留島通嘉により、三島宮の造営工事のひとつとして造られたもの、と森藩史料「御記録書抜」には記されている。
「御記録書抜」には紅葉の御茶室とも記録されており、神社祭典の為の参篭や、月見・花見の宴などにも使用されていた。
一階は御茶屋風になっており、その庭園「蓬莱山石組」は、九重連山や城下町の遠景を取り入れたもので、豪華な飛石が配置されている。二階からの眺望は、素晴らしく、眼下には森町(旧城下町)遠くは久住連山まで見渡せ、お城の天守閣の趣をなしている。
栖鳳楼は、江戸時代の森藩政を物語る、玖珠町における重要な建物である。
- 住所
- 879-4404大分県玖珠郡玖珠町大字森
- 名前
- 栖鳳楼