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三島宿(みしましゅく)は、東海道五十三次の宿場のひとつ。現在の静岡県三島市にあった。
三島は古くから伊豆の中心地として栄え、三嶋明神の門前町として大変な賑わいを見せていた。慶長六(1601)年に徳川家康が宿駅制度を作り、東海道に53箇所の宿場を設けた際には三島宿は東海道の起点、江戸日本橋から11番目の宿駅に指定される。
その後、三代将軍家光が参勤交代制度を制定し、各大名の往来が多くなると、三島宿は江戸防衛の役割を担うことになった。また、三島宿は伊豆半島の文化、産物の流通の中心という役割も果たしていた。諸大名や幕府役人などが宿泊した本陣は2軒、大名家の家臣が宿泊した脇本陣は3軒あったほか、一般庶民の利用した旅籠屋は64軒もあったという。三島宿の賑わいは、安藤広重の描く浮世絵「東海道五十三次」にも残されている。
三島は古くから伊豆の中心地として栄え、三嶋明神の門前町として大変な賑わいを見せていた。慶長六(1601)年に徳川家康が宿駅制度を作り、東海道に53箇所の宿場を設けた際には三島宿は東海道の起点、江戸日本橋から11番目の宿駅に指定される。
その後、三代将軍家光が参勤交代制度を制定し、各大名の往来が多くなると、三島宿は江戸防衛の役割を担うことになった。また、三島宿は伊豆半島の文化、産物の流通の中心という役割も果たしていた。諸大名や幕府役人などが宿泊した本陣は2軒、大名家の家臣が宿泊した脇本陣は3軒あったほか、一般庶民の利用した旅籠屋は64軒もあったという。三島宿の賑わいは、安藤広重の描く浮世絵「東海道五十三次」にも残されている。
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