NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/8


長崎 ヘトマト Nagasaki Hetomato 

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 長崎のヘトマトは、長崎県五島市下崎山にて毎年一月一六日に行われている祭りである。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 起源と語源はまったく不明の奇祭で、600年ほど前から伝わるといわれ、五穀豊穣・大漁・子孫繁栄・無病息災を祈願する。
 祭り当日は、まず地元の白浜神社で子供や青年が参加する奉納相撲が行われ、次いで鉦を打ち鳴らしながら白浜の海岸に向かう。
 続いて、着飾った新婦二人が酒樽の上で羽根つきをして、次に体にススを塗り付けた若者が藁玉を激しく奪い合う玉蹴り、豊作と大漁を占う綱引きと続いて最後に大草履が登場し、見物の娘を次々と捕えて草履の上に乗せ激しく胴上げを行いつつ山城神社へ奉納する。
 長崎のヘトマトは、地域で行う諸々の行事を一度に行う祭りとしては、全国的に他に類を見ない奇祭である。
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2008/5/12


宮津弁天岬 Miyatsu-benten-misaki Cape Miyatsu Benten

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 北海道の南西の日本海に浮かぶ奥尻島。この島の岬は古くから島の人々が祈りを捧げてきた神聖な地である。弁天宮を祀る宮津弁天岬(みやつべんてんみさき)もその一つ。島の東側を北上して行くと、社をのせた岬が右手に見えてくる。
 天保二(1831)年、漁民がニシンの大漁祈願のため、弁天岬にあった番所に弁天様を奉納したことが弁天宮のはじまり。大正二(1927)年に、社殿として改築された。
 弁天岬からの眺めは雄大で、遠くの対岸に北海道本土を見ることができる。また、海の底が見えるほど綺麗な海に囲まれ、一種神秘的な静けさに包まれている。北の弁天様は、今も昔も変わらず、この地の人々の営みをじっと見守り続けている。
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2008/3/25


注連飾り(東北地方) Shimekazari(Touhoku-Chihou ) Shimekazari (Tohoku region)

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 注連飾り(しめかざり)とは、神社などに用いられている神域と外界とを隔てるための注連縄(しめなわ)がもとになっているといわれている。
 新年を迎えるにあたり玄関先などに吊るされ、外部から災いや厄が家の中に入るのを防ぐ魔除け・結界として、また新年に向け不老長寿や五穀豊穣などの様々な願いを込めて飾られてきた。
 東北地方の注連飾りには、紙垂(しで)や、橙(だいだい)などと一緒に、餅・昆布・松葉・魚などの食べ物を飾る風習が多く残されているという。
 昆布には「よろこんぶ」などのめでたい意味、魚は一家の無病息災を祈るほか、家格や大漁を誇示する意味などが込めれていることもあったという。
 このように食べ物を飾りつけることで、旧年中の豊作への感謝と、また新年も実り多き年であるよう、五穀豊穣を願う気持ちが込められているのかもしれない。
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2007/9/13


歌建山津龍院 Kakenzan-Shinryuu-in 

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 歌建山津龍院(かけんざんしんりゅういん)は、宮城県の南三陸町歌津にある寺だ。
 応永一六(1409)年に、この地方を治めていた葛西氏の重臣、馬籠四郎兵衛(まごめしろべえ)によって開基されたと伝えられている。
 日本三景、松島にある円通院から始まる「三陸三十三観音霊場」の一二番目に当たる名刹であり、十一面観世音菩薩を本尊として祀っている。
 また、本堂裏には善宝寺より分祀された龍王尊堂があり、大漁や航海安全の守り神として、海で生活する人々の参詣が今も絶えない場所でもある。
 津龍院は開基以来、大切に保存されている多くの寺宝があることでも知られており、「馬籠家の旗印と戸籍」や「八幡菩薩木像御堂入一体」、「貞山公御首掛幅」、「古刀」など、多くの寺宝が保管されている。
 境内には見事な鐘楼が吊り下げられており、また、人々を出迎える山門や周囲の植栽も素晴らしく、時を忘れて静かに思いに浸れる古刹である。
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細島港まつり Hoso-shima-minato-matsuri Hososhima Harbor Festival

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 細島港まつり(ほそしまみなとまつり)は、毎年七月下旬の金・土・日曜日、細島商業港周辺で行われる細島八幡宮の夏祭りである。
 明治二二(1889)年に全国で町村制が敷かれ、細島は宮崎、都城、延岡、油津とともに町となった。このことを記念し、交流の深い関西からこの祭りをもってきたといわれている。
 太鼓台をぶつけ合う男の祭りとして知られ、関西のだんじりと同じく喧嘩祭りとして勇壮な姿をみせる。祭りの夜、二台の太鼓台の激しいぶつかり合いにより、盛り上がりは最高潮に達する。
 細島八幡宮のご神体をのせた神輿が、はためく極彩色の大漁旗に守られ海上を駆け巡る神輿海上渡御(みこしかいじょうとぎょ)も行われ、航海安全と大漁を祈願する祭として大きな賑わいを見せる三日間である。
 
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2007/9/7


石浜神楽 Ishihama-kagura 

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 石浜神楽(いしはまかぐら)は、宮城県の南三陸町歌津にある石浜地区で伝承されている神楽だ。
 終戦の混乱真っ只中にあった昭和二一(1946)年、世の天下泰平を祈って、石浜地区の当時の青年達により登米の鴇波(ときなみ)神楽から師匠を招き、指導を受けて伝授されたのが石浜神楽の始まりとされている。
 石浜地区にある飯綱神社の祭典日に奉納されるほか、各地の神社の祭礼にも招かれて、その舞が奉納されている。
 飯綱神社の入り口には、捕鯨船に乗っていた人から寄進された、長さ5・3mにもなるシロナガスクジラの顎骨があり、そのためか豊漁祈願でも人々が訪れる。
 同神社で奉納される際には、そうした経緯からか舞台に大漁旗がはためき、そんな中で鮮やかな紋様の入った古代装束を纏って仮面をつけて舞う様は、浜の神楽の気性を今に伝えている。
 その歴史は比較的新しいものではあるが、発願から六〇有余年。 祈りは今も変わることなく脈々と神楽の中に受け継がれている。
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2007/8/22


家串 荒獅子 Iekushi Ara-shishi 

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 勇壮な大太鼓の音が宇和海に響き渡る。獅子は蝶を捕らえようとするが、逆に蝶に翻弄され荒れ狂う。その様子を表現したとされる家串の荒獅子(いえくしのあらしし)は、愛媛県南端に位置する愛南町に古くから伝わる郷土芸能である。天正年間(1573~1595)に大漁・豊作を願う祭礼として始まったと伝えられる。
 荒獅子は、毎年11月3日に行われる家串地区最大の行事、若宮神社の秋祭りに欠かせない出し物として今に伝えられている。蝶に扮するのは3人の少年で、化粧を施し華やかな衣装を身にまとい、ばちを器用に操りながら大太鼓を叩く。獅子には成年男子が扮し、勇壮で豪快な中にも優雅さを併せ持つ舞いを披露する。
 歴史的・芸術的価値が高く、村民(旧内海村)に欠くことのできない郷土芸能であることから、昭和三九(1964)年に内海村無形民俗文化財に指定された。
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2007/7/24


椎名八王子宮秋祭り Shiina-hachiouji-guu-aki-matsuri The Autumn Festival at Shiina Hachiojigu Shrine

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 高知県の室戸市では、10月になると大漁祈願、五穀豊穣を祈願する秋祭りが各地で繰り広げられる。佐喜浜八幡宮の「にわか」、羽根八幡宮の「獅子舞」、御田八幡宮の「花台」、室戸王子宮の「暴れみこし」など、それぞれに個性あふれるものである。
 その中のひとつ、椎名八王子宮(しいなはちおうじぐう)の秋祭りは、豪快な「みこし洗い」で有名だ。室戸岬椎名にある本宮を出発した「本こし」「共こし」の2台の神輿が町内を練り歩いた後、共こしが椎名海岸に入り、沖へ沖へと進む。荒れ狂う太平洋をものともせず、神輿を持ちこたえる様は迫力満点。
 この神幸(しんこう)と呼ばれる行事が終わると、椎名八王子宮の拝殿を舞台として椎名太刀踊り(しいなたちおどり)が奉納される。拍子木で床を叩いてリズムを取り、歌舞伎の見得と似た所作の踊りを舞うものだという。
 椎名八王子宮の秋祭りは、漁師町らしい豪快で勇壮な祭りである。
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