NIPPON Kichi - 日本吉

記事数7件: 1~7 件表示          

2008/6/6


八戸えんぶり Hachinohe-enburi 

Jp

 「八戸えんぶり」とは、毎年二月一七日から四日間、八戸地方で行われる伝統芸能である。豊年祈願のお祭りとして知られ、昭和五四(1979)年二月、県内初となる国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 「えんぶり」とは、昔「えぶり」という農具を手に持って舞ったことが由来となり、それがなまって「えんぶり」と言われるようになったといわれる。
 太夫と呼ばれる舞い手をはじめ、歌い手など総勢二〇人ほどで一組が構成される。太夫は農耕馬の頭を象徴する色鮮やかな烏帽子をかぶり、種まきから稲刈りまでの稲作における動作を表現し、頭を大きく振りながら舞うのが特徴であるとされる。
 えんぶりには「ながえんぶり」という昔ながらのゆっくりした形と、「どうさいえんぶり」という現代的な調子の速い活発な形があるといわれる。
 この祭りは、長者山新羅神社を中心に行われる。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりに数えられているという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/16


【秋・龝】 Shuu Autumn

Jp En

 この字は「あき」という季節の、古今変わらない特長である実りと収穫をあらわし、それが禾偏(のぎへん)に反映されています。偏以外の部分は害虫を焼くことを示しています。
 本来の字形では火が下にあります。火を幼虫、または虫卵に直接あてるということを意味するリアルな位置です。甲骨文にはじめて本来の字形が見られます。正字の「龝の龜の下に灬(烈火)がある字」は今「異体字」とよばれるようになりましたが、実は本来の意味をもっとはっきり表しているのです。常用漢字の「秋」では要素の相互関係がわからず、「害虫を焼く」という火の役割が一切見えない省略形になってしまいました。正字では、灬(烈火)は適当に虫の下の部分に置かれています。
 殷の時代に農業はすでにかなり発達し、すでに肥料として灰と糞が利用されていましたが、ズイ虫やイナゴ(稲子)の害も無視できない存在でした。十分に成長した虫は逃げますから、火を当てて焦がしたのはむしろその稲・穀物に付着している動けない虫卵でしょう。そして正字の字形にある虫(龜)にはある象徴的な意味が生じました。そこには、季節の儀礼との深い関係があったのでしょうか。
 
■ 秋・甲骨文(こうこつぶん)
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/26


島松駅逓 Shimamatsu-ekitei Old Shimamatsu Communication Station

Jp En

 駅逓(えきてい)は、交通が不便な地に駅舎と人馬を備えて、宿泊と運送の便をはかるために設置されたもので、開拓期の北海道で重要な役割を果たした。
 島松駅逓は、明治六(1873)年札幌本道の開通に伴い設置されたもので、明治十七年からは市内の島松に入植し、寒地稲作の祖とうたわれた中山久蔵が経営にあたってきた。
 この駅逓は、クラーク博士ゆかりの場所でもある。クラーク博士が札幌農学校で教鞭を取った後に帰国の日を迎えた明治十年四月十六日、島松駅逓に見送りに来た学生たちにあの有名な言葉、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」を残して去った地として有名だ。
 道内で現存する駅逓の中では最も古いもので、当時の様子を今に伝える貴重な遺構として国の文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/31


都々古別神社御田植祭 Tsutsukowake-jinjya-otaue Otaue at Tsutsukowake Shrine

Jp En

 都々古別神社御田植(つつこわけじんじゃおたうえ)は、福島県東白川郡棚倉町八槻で行われる民俗芸能である。神社の祭神は、味耜高彦根命、日本武尊。
 御田植は、八槻都々古別神社で、毎年旧暦の1月6日に豊作を祈って、稲作の作業過程を演じる民俗芸能である。
 農の神である都々古別神社の拝殿で行われる、最も古典的な豊年を祈る芸能であり、杜家の神官が楽人、舞人となり、せりふと簡単な所作で田植えが演じられる。
 都々古別神社御田植は、神楽などとともに、時に滑稽に稲作の作業過程を演じるもので、狂言をうかがわせる演じ方など、芸能の変遷過程や地域的特色を示しており、面白い。
 2004年、重要無形民俗文化財に指定される。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/28


両合棚田 Ryouai-tanada Ryoai Rice Terrace

Jp En

 1999年、日本の棚田百選に選定され、約4haの耕地が120枚の棚田で構成されている。
 大分県院内町の南部、余谷の東南部に滝貞と小平の集落があり両集落の間を余川の支流、滝貞川が流れる。両合棚田は、その両側の急斜面に広がる狭くて急峻な地形のため石積みで築かれた、田んぼで階段状に幾重にも広がっている。
 このような地形は農作業には大変な労苦が伴い、両集落ともに小集落で、人口減少や高齢化が進んでいる。昔ながらの掛け干しによる稲作を続けており、地域一帯でそのみごとな景観を守り続けている。
 棚田を流れる滝貞川には、石橋の両合川橋が架かり懐かしい風景が残し、田植や刈入れの時期になると多くの観光客や写真愛好家が訪れる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2006/12/22


岡山の棚田 Okayama-no-tanada Okayama Rice Terrace

Jp En

 岡山県下には、1万4千haの棚田(たなだ)があり、水田面積の約21%を占める。これは、新潟県に次いで全国第2位である。
 棚田というのは傾斜地にある稲作地の事。岡山では、日本の棚田百選に4地区が認定されている。
 大垪和西地区では、山間地の谷全体に棚田がすり鉢状に広がっている。小山地区も山間部に位置し、周辺の山と良く調和している。北庄地区は、地域の最高峰に溜め池がある。上籾地区は、瀬戸内海まで遠望できる。
 江戸時代の西日本は藩の規模が小さく、石高を増やす為に山間地にまで田圃が作られ、現在でいう棚田が多く作られた。少しでも収量を増やすため、棚田の畔や土手の部分は、極限まで収量を上げるために急な傾斜に耐えられる石垣で作られたのである。
 現在の棚田はその美観から、観光地としての魅力も備えている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2006/12/17


末慮館 Matsuro-kan Matsurokan

Jp En

 末慮館は、佐賀県唐津市にある歴史民族博物館で、日本最古の稲作遺跡とされる菜畑地区に在する。「末慮」(まつろ)とは「魏志倭人伝」にでてくる言葉で、唐津市郊外の「松浦」のことである。
 弥生時代の高床式倉庫を模した外観が特徴的である。
 稲作の発祥と伝播についての資料が豊富。復元された水田跡や竪穴式住居、弥生時代の菜畑集落のジオラマ模型がある。常設展示室では、石包丁、炭化米、農機具、鯨骨など出土品を見ることができる
 年間行事として毎年10月に「収穫祭」が行なわれ、稲の収穫に感謝する。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数7件: 1~7 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter