NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/6


八戸えんぶり Hachinohe-enburi 

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 「八戸えんぶり」とは、毎年二月一七日から四日間、八戸地方で行われる伝統芸能である。豊年祈願のお祭りとして知られ、昭和五四(1979)年二月、県内初となる国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 「えんぶり」とは、昔「えぶり」という農具を手に持って舞ったことが由来となり、それがなまって「えんぶり」と言われるようになったといわれる。
 太夫と呼ばれる舞い手をはじめ、歌い手など総勢二〇人ほどで一組が構成される。太夫は農耕馬の頭を象徴する色鮮やかな烏帽子をかぶり、種まきから稲刈りまでの稲作における動作を表現し、頭を大きく振りながら舞うのが特徴であるとされる。
 えんぶりには「ながえんぶり」という昔ながらのゆっくりした形と、「どうさいえんぶり」という現代的な調子の速い活発な形があるといわれる。
 この祭りは、長者山新羅神社を中心に行われる。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりに数えられているという。
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2008/3/10


イタヤ細工 Itaya-zaiku 

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 イタヤ細工は、寛政年間(1790年頃)に角館の農村部で始まった手仕事で、生活の中から生まれた。イタヤカエデの若木の幹を帯状に裂いて編み、穀物の殻などを振って吹き飛ばす箕(み)や、カッコベと呼ばれる腰かごなどの農具を中心に作られてきた。
 現在はかご類、花器、バッグ、イタヤ馬、イタヤ狐などの民芸品が多く作られ、秋田県の伝統的工芸品に指定されている。
 細工は、原木から細い帯状の材料を得る工程と、その材料を編む工程とに分けられるが、そのほとんどが手作業で行われる。イタヤカエデの持つ木肌の素朴さと相まって、その深い味わいに人気がある。
 イタヤ馬とイタヤ狐は郷土玩具として注目されている。イタヤ馬は、馬が走っている姿をモチーフにしたもので、頭を左に向けた縁起の良い「左馬」という形に編まれる。一方のイタヤ狐は、原木をナイフ一本でキツネの立ち姿に加工したもので、イタヤカエデの幹の白さと繊維の緻密さがよく分かる。
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2007/6/12


北海道大学 札幌農学校第2農場 Hokkaidou-daigaku Sapporo-nougakkou-dai2-noujou Farm No. 2 of Sapporo Agricultural College

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 札幌市の北海道大学構内に残されている「札幌農学校第2農場」は、1876年9月13日に札幌農学校の頃に開設されたもので、明治時代に建てられた木造の歴史的な建造物9棟が保存されている。これは、あの有名なウィリアム・スミス・クラーク初代教頭の大農経営構想に基づいて建てられたもので、「農黌園(College Farm)」という、「第1農場」と「第2農場」の2つの区域に分けられた施設であった。第1農場は農業教育の研究の為のもので、第2農場は畜産の経営を実践する農場として機能していた。
 1969年に国の重要文化財に指定され、しばらくは閉鎖されていたが、2000年に「模範家畜房(Model Barn)」と「穀物庫(Corn Barn)」が一般公開され、北海道開拓時代の農具や歴史資料などの展示を見る事が出来る様になった。その後、2001年に北海道遺産に登録された。
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2007/4/26


鹿おどし Shishiodoshi 

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 「鹿おどし(ししおどし)」は、別名「僧都/添水(そうず)」とも呼ばれる。元々は農村地帯で田畑を荒らす鹿や猪、鳥を音でおどして追い払う農具である。
 水の入り口部分だけくり抜いた竹筒に、筧から水を引き入れ、半分以上水が溜まると傾いて水が外へ出る。傾いた時に、空の竹筒が叩き台の石に当たって、快い音が辺りに響き渡るようなっている。
 現代では、日本庭園などで見られるように本来の用途ではなく、風情の一つとなっている。
 空の竹筒が石を打つときの余韻は味わい深いものがあることから、音を聞くものとして実用を離れ、風流人たちの手によって庭園の点景として取り込まれていった。江戸期の漢詩人、石川丈山が興した京都詩仙堂のものが有名である。
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2006/11/29


栃木 竹工芸 Tochigi Chiku-kougei Tochigi Bamboo Craft

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 栃木県大田原の「竹工芸」は、昭和57年に重要無形文化財に指定され、現在、保持者として勝城一二氏が認定されている。
 大田原市内には竹林が多く、その竹を利用して昔から竹工芸が盛んだった。「竹の産地」と広く知られるようになったのは、1972年、日中友好の証として中国から贈られた2頭のパンダの主食に大田原の良質な竹が選ばれたのがきっかけだ。
 昔は農具用の篭や木こりの背負い籠、釣竿などの生活道具として作られていたという。これらの生活用品は、現在では使われなくなったものも多いが、それらは「民芸品」という名前で親しまれ、今でも製作が行われている。そのほか現在では花器やバッグ、携帯電話ケースなど、現代の生活に即した製品も増えており、本物のわかる人々の人気を集めている。
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