NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/12/9


白川郷の田植え祭 shirakawagouno-tauematsuri 

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 白川郷の田植え祭(しらかわごうのたうえまつり)は、岐阜県大野郡白川村荻町にて、毎年五月下旬に行われている祭りである。
 ユネスコの世界文化遺産に登録されている白川郷では、特色ある合掌造り家屋郡と、その周囲に水田や畑が広がる独特で美しい景観が見られる。
 田植え祭は、白川郷観光協会が機械化で消えていく手植え風景を惜しみ、昔ながらの農村風景を残す事などを目的に、昭和六一(1986)年から始められた。
 祭りでは、紺のかすりの着物に赤いたすきをかけた早乙女姿の女性たちが、水を引き入れたばかりの田んぼで「チョボーン、チョボン」という田植え歌の調べにのせて、一列になって苗を植える。
 白川郷の田植え祭は、初夏の風物詩となっている祭りである。
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2008/11/18


キンニャモニャ祭 kinnyamonya-matsuri 

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 キンニャモニャ祭(きんにゃもにゃまつり)は、島根県隠岐郡にある隠岐諸島のひとつ・中の島に位置する海士町(あまちょう)菱浦にて、毎年八月の第四土曜日に開催されている祭りである。
 明治一〇(1877)年、西南戦争に従軍した菱浦生まれの杉山松太郎が、熊本の民謡「キンニョムニョ」をうろ覚えに覚えて故郷へ持ち帰ったのが最初と伝わる。
 杉山は山高帽を被りステッキを銃に模し腰に据え、自作の「キンニャモニャ」を唄いながら面白い格好で踊り満座を沸かしたという。
 杉山亡き後は踊る姿も変わり、羽織を着てキセルをふかしながらこうもり傘を持って踊られた。
 平成七(1997)年、この民謡「キンニャモニャ」にフリがついてキンニャモニャ祭が行われるようになった。以来、思い思いに趣向を凝らしたカラフルな衣装で、しゃもじ両手に1000人もが踊り歩く踊りパレードが行われ、夜には花火大会も開催されている。
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2008/11/7


掛川祭 kakegawa-matsuri 

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 静岡県掛川市の掛川祭(かけがわまつり)は、余興と屋台曳き回し、そして獅子舞が繰り広げられる祭りで、毎年10月第二週の週末に行われている。
 掛川城下の龍尾神社・神明宮・利神社・池辺神社・津島神社・白山神社・貴船神社の七社四一町合同で行われ、こうした屋台と獅子舞という組み合わせの原型は江戸時代に遡る。
 長唄・端唄・小唄等の手踊りやお囃子に合わせ、二輪屋台(にりんやたい)と呼ばれる御所車型の神輿を曳き廻し、華やかさを競い合う。
 三年に一度の干支の丑、辰、未、戌の年は掛川大祭(おおまつり)にあたり、日本一の大きさを誇る「仁藤の大獅子」をはじめ「西町の奴道中」「瓦町のかんからまち」などの三大余興が披露される。
 中でも伊勢太神楽系の獅子舞である「瓦町のかんからまち」は静岡県の無形文化財にも指定されており、江戸と上方を往来する東海道の中間点であったこの地の歴史の深さを垣間見せ、今も城下町掛川宿の文化と伝統を色濃く残している。
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2008/11/6


生玉夏祭 ikutama-natsumaturi 

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 生玉夏祭(いくたまなつまつり)は、大阪府大阪市天王寺区生玉町にある生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)にて、毎年七月一一日、一二日ごろに行われている祭りである。
 生國魂神社は、神武天皇が国土神である生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀ったのに始まると伝えられる大阪最古の神社である。
 生玉夏祭は「陸の生玉」「川の天神」と並び称され、大阪の数々の夏祭りのさきがけとなっている。
 旧社地である大阪城へのお渡りが祭りの中心であり、大阪の繁栄と市民の無病息災を祈願する。
 他にも獅子舞おねり、金銀神輿おねり、子供太鼓、子供神輿、枕太鼓と賑やかで、明治~昭和初期の最盛期には、数千名を超える渡御列で賑わったという。
 生玉夏祭りは、大阪に夏を告げる盛大な祭りである。
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2008/10/27


多度祭 tado-sai 

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 多度祭(たどまつり)は、三重県桑名市多度町にある多度大社にて、毎年五月四日・五日に行われている例祭である。県の無形民俗文化財に指定されている。
 多度大社は、五世紀後半に社殿が建てられたとされる古社である。祭神は天津彦根命(あまつひこねのみこと)。
 祭りでは、氏子の中より神占いによって選ばれた少年6人が、武者姿にて2m余りの絶壁を人馬一体となって駆け上がる古式上げ馬神事や、流鏑馬神事が花形となっている。これらの行事の起源は、南北朝の頃といわれる。
 元々は、武家豪族ならびに氏子逹が古式のまま神様に奉納する行事として行っていたが、戦国時代に荒廃し、江戸時代に桑名城主・本多忠勝及び忠政により祭事が復興された。そして更に神饌を供える地区の組織「御厨」による広大な祭事となって今日に至る。
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2008/10/23


土居太鼓祭 doi-taiko-matsuri 

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 土居太鼓祭(どいたいこまつり)は、愛媛県四国中央市土居町にて、毎年一〇月一三~一五日にかけて開催されている祭りである。土居町秋まつりとも言われている。
 上野太鼓祭りと土居町太鼓祭りからなる、家内安全と五穀豊穣を願う祭りで、重さ約2トンのもの太鼓台を100名以上の担き夫が担ぎあげる。
 太鼓台は、幅3m、高さ5m、長さ11mもあり、神輿や山車とは異なり、その中心に太鼓があるのが特徴である。瀬戸内沿岸を中心に西日本に多く見られ、太鼓に合わせて音頭をとって担ぐ。
 土居町太鼓祭りは一三日に各地区の太鼓台が地区を周り、一四日にふるさと広場での15台の太鼓台の寄せ担きが行われる。また一五日には上野太鼓祭りがあり四台の太鼓台の寄せ担き及びと太鼓台の喧嘩祭りが小学校の校庭で行われる。
 数十台の太鼓台が一斉に担ぎ上げられる様子は迫力があり、土居町内では約40台の大人太鼓と子供太鼓が町内のいたるところで、かきくらべを演じる。
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2008/10/21


岸和田だんじり祭 kishiwada-danziri-matsuri 

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 大阪府岸和田市(きしわだし)の岸和田だんじり祭は、「だんじり」と呼ばれる欅(けやき)の山車を綱で曳き、疾走する全国的にも有名な祭りである。
 元禄一六(1703)年、岸和田藩主の岡部長泰(おかべながやす)が、五穀豊穣を祈願して稲荷祭をおこなったのが始まりである。
 毎年九月と一〇月に行われ、各町ごとのだんじりを総勢500人の若者が曳き回す。この祭りの見せ場は、だんじりが曲がり角で方向転換する時の豪快な「やりまわし」である。祭りの二日間、定められら曳行路を何度も駆け巡り、重さ四トンもあるだんじりを、疾走しながら直角に向きを変えるのである。
 だんじりには屋根が二つあり、前方の大屋根の下では、大太鼓、小太鼓、笛、鉦の鳴り物が演奏される。最初は緩やかに、そして徐々に囃子が早くなり、曳き手も駆け足になる。そして曲がり角が近づくと両方の屋根に乗った大工方の指示で一気に曲がる。
 日没後は、だんじりに約二百個の提灯が灯り、子ども達が乗り込んで、灯入れ曳行きが行われる。
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2008/10/15


下総三山の七年祭り Shimousamiyama-no-shichinen-maturi 

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 下総三山の七年祭り(しもうさみやまのしちねんまつり)とは、千葉県船橋市三山にある二宮神社で開催される例祭である。
 丑年と未年にあたる年、つまり数え年で七年に一度の催行のため、七年祭りの名で呼ばれることが多いが、正式には「二宮神社式年祭」という。
 五百五十年以上の歴史があるといわれ、千葉県の無形民俗文化財にも指定されており、九月に小祭が、一一月に大祭が行なわれる。
 大祭は船橋市、千葉市、八千代市、習志野市の九神社の神輿が二宮神社境内に参拝に訪れる大規模な祭礼で、主として安産祈願のお祭りである。
 その特色として、参加する各神社の神輿が、それぞれ父役や母役、子供役、産婆役などになって神事を進行するところにあり、二宮神社での昇殿参拝が安産御礼の祭りに当たり、その後に行なわれる磯出式が安産を祈願するお祭りだといわれている。
 毎年の開催というわけには行かないが、今も多くの人々が訪れる、下総地方を代表する寄合祭りとなっている。
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