NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/17


兵主大社 Hyouzu-taisha Hyozu Taisha Shrine

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 兵主大社(ひょうずたいしゃ)は奈良時代の創建とされている。兵主を「つわものぬし」とも読めることから、朝廷や武士の信仰を集めた。
 美術工芸品などの社宝は武具から仏舎利まで幅広く、神仏習合の名残りを感じさせる。
 来たる人を待ち構えるかのように堂々とした朱色の楼門は足利尊氏の寄進と伝えられるもので、天文一九(1550)年の墨書が残る。格式の高い一間一戸の入母屋造で、左右の均整が美しく、県指定の有形文化財である。
 砂利の参道を歩くと、正面に檜皮葺(ひわだぶき)の拝殿がある。鰐口(わにぐち)に下がる太い朱紐が目を惹く。
 大規模な庭園は平安時代末期のもので、池を中心とし、庭の景観を楽しみながら歩く、池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)である。
 庭園は苔の絨毯で覆われ、梅雨の時期は香り立つような美しさだ。
 また紅葉の名所でもあり、毎年一一月中旬から下旬にかけてライトアップが行われる。
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2007/9/13


熊野本宮社 Kumano-honguu-sha Kumano Hongusha Shrine in Natori

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 名取市の高館には熊野信仰にゆかりの深い熊野本宮社(くまのほんぐうしゃ)がある。熊野信仰とは、熊野三山を聖地とする信仰のことで、同じ高館にある熊野那智神社、熊野神社新宮社とともに名取熊野三社のひとつに数えられる。
 熊野信仰は、神仏習合や浄土信仰の影響を受けて平安時代後期から盛んになった。高館山(名取山)を熊野連山に、名取川を熊野川に、仙台湾を熊野灘にみたて、奥州一の熊野信仰の場となっている。全国に熊野信仰に由来する神社があるが、三社が揃ってあるのはこの名取だけである。
 三社のなかで一番北に位置するのが本宮社である。平安末期、熊野権現を信仰していた老女のところへ山伏が尋ね、熊野の神のお告げを伝えた。保安四(1123)年、老女の勧請で創建されたという。本殿は木羽葺(こばぶき)で、落ち着いた風格である。
 本宮社には市の無形文化財の鹿踊りが伝わる。頭に鹿頭背を被り、赤地の旗には熊野本宮社、黄地の旗には五穀成就と記した二本の幟(のぼり)を背負った装いで踊る伝統的な芸態が伝承されている。
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神寺不動尊 松景院 Kamitera-fudou-son Shoukei-in Kamitera Fudoson Shokeiin Temple

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 神寺不動尊・松景院(かみてらふどうそん・しょうけいいん)は真言宗のお寺で、天正一九(1591)年、実恵法印(じつえほういん)によって開山された。
 当時この辺りは田尻川と美女川に挟まれ、梅の古木が混ざった松林が茂っていた。さらに川端にある芽を竹に見立て「松竹梅茂る目出たき処、ここに厄除開運の寺を建てん」との願いにより、「梅光山松景院」の名が付けられたと伝えられている。
 開山以来、ここでは神仏習合の修験道の作法を修行するため「神寺」と呼ばれていた。明治時代に行われた廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を免れ、神仏習合の信仰を今に伝える珍しい寺である。
 本尊である神寺不動尊は高さが約七メートル、重さ四〇トンを誇る規模である。二一万枚の護摩修行における護摩の木を、二一日間の断食修行でお焚き上げし、その灰を混ぜて造られたもので、世界でも類をみない大きさである。
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祇園山 Gion-yama Mt. Gionyama

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 宮崎県五ヶ瀬町にある標高1307メートルの祇園山(ぎおんやま)は、九州のほぼ中央に位置し、今から4億3千万年前に九州で最初に顔を出したといわれる山である。地質調査により、日本最古の山であることが判明し、九州島発祥の地ともいわれている。
 京都にある八坂神社が神仏習合の祇園感神院だったとき、感神院で修行した行者がこの山に入り修行し、麓に遥拝所(ようはいじょ)とよばれる、遠くからでも祈願が可能な場を建築した。遥拝所はその後、祇園神社といわれるようになり、山の名も祇園山と呼ばれるようになった。
 日本有数の古生代シルル紀の化石産地であり、山頂付近の石灰岩からこの頃生息していたクサリサンゴ、三葉虫など海に棲む生物の化石が出土している。
 祇園山一帯は多くの化石が見られるほか、高山植物の宝庫としても知られる。山頂からの二子山、阿蘇山などの眺めも素晴らしい。
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2007/9/11


館腰神社 Tatekoshi-jinja Tatekoshi Shrine

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 弘仁二(811)年に僧・空海がこの地に弘誓寺(ぐぜいじ)を創建するため、京都の伏見稲荷を分霊して作られたのが館腰神社(たてこしじんじゃ)である。弘誓寺の隣にある小高い丘に鎮座しており、奥州街道沿い、岩沼阿武隈の「要所」という意味でこの辺りが「館の腰」と呼ばれいたことから、館腰神社の名がついたという。
 ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)大宮姫神(おおみやひめのかみ)猿田彦神(さるたひこかみ)で、昔からこの地方の鎮守として知られる古神である。明治二年、神仏習合禁止により弘誓寺と分離した。
 この神社の入り口には、大正一三年建立の灯籠がある。お狐さまの入った灯籠を、四人の力士が支える珍しいものである。境内の石段を上がると山門や拝殿、本殿があるが、社殿はどれも昭和になってから造営されたものである。
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2007/9/6


薬湯山 泉明寺 Yakutou-san Senmyou-ji Yakutousan Myosenji Temple

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 薬湯山泉明寺(やくとうさんせんみょうじ)は、宮城県仙台市太白区の秋保町湯元薬師にある真言宗の寺である。本尊は薬師三尊。
 古来より薬師如来の霊応の地で、開湯1500年以上もの歴史を誇る日本三御湯の一つ「名取の御湯」の鎮護のため、慈覚大師円仁(794~864)によって開創されたと言われる。
 宗祖・弘法大師空海の神仏習合の流れをくみ、主に加持祈濤を行っている。
 本尊である薬師如来と、日光月光菩薩及び十二神将は、平安時代の比叡山の高僧の作品と伝えられている。
 寺の横には赤レンガ造りの秋保温泉共同浴場がひっそりと佇んでおり、毎年5月5日には泉明寺境内で秋保温泉子育薬師祭が行なわれている。
 薬湯山泉明寺は、長い歴史を誇る、温泉街の守護寺である。
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2007/8/15


秋田 真山神社 Akita Shinzan-jinja 

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 真山神社(しんざんじんじゃ)は秋田県男鹿市北浦真山に位置する神社である。
 景行天皇の御世に武内宿禰が、使命達成、国土安泰を祈願したのが始まりとされる。祭神は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)。
 平安時代には神仏習合の地として修験道の修行が盛んであった。江戸時代に入り、秋田藩主佐竹氏の祈願所として信仰され、大いに栄えた。
 境内には薬師堂、神楽殿などが並び、慈覚大師が植えたとされる県天然記念物にも指定されている、樹齢1000年以上の榧(かや)の大木が立つ。
 正月には神事である柴灯祭が行われ、柴灯を焚いて大餅を焼き、神に捧げ、五穀豊穣、海上安全を祈願する。
 二月の第二金・土・日曜日にはこの祭礼となまはげを合わせた行事「なまはげ柴灯まつり」が行われ、多くの観光客が訪れている。
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2007/4/23


愛宕神社 Atago-jinja 

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 地元民には「あたごさん」の名で親しまれている愛宕神社(あたごじんじゃ)は京都市右京区、愛宕山の山頂に位置する神社である。
 大宝年間(701〜704)に役小角と僧泰澄により開基されたと伝わる。神仏習合の社寺であり、修験道の修行の地としても信仰を受けた。
 祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、全国900余の愛宕神社の総本社でもある。
 古来より防火、鎮火に霊験あらたかと言われ、「火廼要慎(ひのようじん)」のお札は京都では多くの家庭に祀られている。また、3歳までにお参りをすると一生火難に遭わないという言い伝えがあり、多くの親子連れも参拝に訪れている。
 山頂から京都市内を一望できる隠れた眺望の地としても知られる。春には一月遅れの桜が咲き誇り、訪れる参拝客を楽しませている。
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