NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/10


東山温泉盆踊り Higashiyama-onsen-bon-odori Higashiyama Hot Spring Bon Dance Festival

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 福島県の東山温泉(ひがしやまおんせん)は、会津若松市郊外にあり、滝が連なり美しい景色で有名な湯川渓谷沿いに温泉宿が立ち並ぶ。
 その歴史は一〇〇〇年以上ととても古く、天平年間に高僧や行基によって発見されてから歓楽街として栄え、会津の奥座敷として今もその面影を残している。
 その温泉街で毎年八月十三日から六日間、盆踊り大会が盛大に開かれる。
 温泉街を流れる湯川の上に大きな櫓を組んで、たくさんの提灯を飾り、夜の温泉街が彩られる。市民とともに、浴衣姿の温泉客や東山の芸者衆など大勢の人々が参加し、「会津磐梯山」の音頭に合わせて櫓の周りを踊る。
 毎夜毎夜、テンポの良い音頭と賑やかな太鼓の音鳴り響く中を人々が踊り明かす、賑やかな盆踊りである。
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2008/4/22


和太鼓 Wadaiko Wa-daiko (Japanese Taiko Drum)

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 和太鼓(わだいこ)は、打楽器の一種であり、日本における太鼓の総称である。
 内部をくりぬいた、ケヤキなどの木でできた胴に主に牛の皮を張り、その皮を叩いて振動させて音を出す。
 構造が同じもので鼓(つづみ)があるが、手で叩くものを鼓、撥など道具を使って叩くものを太鼓と呼び、区別している。
 その歴史は古く、縄文時代にはすでに似たような構造のものが存在していたとされる。
 中世には、田楽などの庶民文化の発達などによってお囃子太鼓が隆盛し、戦国時代には陣太鼓、江戸時代には時報として江戸城内で太鼓を打つなど、人々の生活に根ざした音色を奏で続けていた。
 特に神と意思を伝達する手段、呪具として寺や神社で用いられていたことは、日本人の心に深く響く楽器となっている要因なのかもしれない。
 昭和に入ってからは様々な種類の太鼓を組み合わせた太鼓主体の音楽である組太鼓が出現し、日本人だけでなく外国の人々もその深い音色で魅了している。
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2007/11/15


古高鼓踊り Furutaka-ko-odori The Koodori Dance in Furutaka

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 古高鼓踊り(ふるたかこおどり)は、滋賀県守山市古高町の大将軍神社にて行われる神事である。県の選択無形民俗文化財に指定されている。
 大将軍神社は、衣装に工夫を凝らし拍子・物や歌に合わせ舞い踊る「風流踊り」の流れを汲む古高鼓踊りが継承されている社である。
 鼓踊りは鎌倉時代から始まったとされ、庶民の間で踊られていた田楽踊りに由来し、雨乞いや慈雨に恵まれた時のお礼参りに、独特の節回しの歌声に合わせ踊られる。
 日照りと干ばつに悩まされた農民はその昔、最愛の娘を人身御供に差し出して、雨乞いを祈願した事もあったと伝えられている。
 四人の音頭取りが中央で独特の歌詞を歌い、その周りで太鼓打ちや軍配を持った「ごんべ」や、団扇を持った五〇人の踊り子が二重の輪になって踊るなど、全部で一九もの踊りが存在する。
 古高鼓踊りは、庶民の思いが込められた伝統の民俗芸能である。
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2007/8/20


入谷の祭と打囃子 Iriya-no-matsuri-to-uchi-bayashi 

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 入谷の祭と打囃子(いりやのまつりとうちばやし)は、毎年の九月十五日に、宮城県南三陸町の入谷八幡神社で行われる例大祭である。
 打囃子が始まった時期は定かではないが、八幡神社に奉納したとされる太鼓に享和元(1801)年の年号が見られることから、その時期にはすでに行われていたと考えられている。
 秋の収穫も間近な頃、身を清めた神職らを先頭に、入谷八幡神社から祭りの行列がスタートする。
 花傘や花バレンに彩られた神輿、色鮮やかな衣装に身をつつんだ子供たちが、入谷の田園風景のなかを御旅所(おたびしょ)である田んぼの中に聳える一本松の元まで練り歩く。
 御旅所に到着すると、祇園囃子の流れを汲むといわれる打囃子が、五穀豊穣と家内安全を祈願して獅子舞と共に舞われ、奉納される。
 黄金色に輝く田んぼの中で、優雅に舞われるお囃子は、いつか遠い昔に感じた郷愁を見るものに思い起こさせてくれる。
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2007/1/11


エイサー Eisaa The Eisa Dance

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 エイサーは、沖縄の旧盆に行われる、盆踊りの様な行事である。
 1479年の「李朝実録」の中に、当時の那覇の記録としてエイサーが出ていて、この頃が始まりと考えられている。
 エイサーという名は、琉球歌謡集「おもろさうし」からという説や、「エイサー、エイサー」の囃子からという説があるが、どちらも確証はなく不明である。
 エイサーは自分のシマ(地域)の各家々を回る。このようにして家々を回り歩くことを道ジュネーと呼ぶ。特に15日の御送りを済ませた後に始める所が多いが、最近は旧盆の3日間行う所もある。
 エイサーの主体は太鼓と踊りである。地謡の演奏に合わせて太鼓を叩いていく際に、激しいアクションを見せる。数十人の太鼓踊りの統一感、一斉の躍動といった勇壮さが、エイサーの大きな魅力の一つとなっている。
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