NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/11


桜皮細工 Kaba-zaiku 

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 桜皮細工(かばざいく)は秋田県角館(かくのだて)に伝わる山桜の樹皮を材料とした伝統工芸品である。桜の木の皮を使った工芸品の歴史は古く、正倉院の御物の中にも見うけられる。
 角館で桜皮細工が始まったのは、天明年間(1781~1788)で、最初は下級武士の手内職として行われていたが、その後藩主が桜皮細工を地場産業として職人を育成し、それにつれて色々な技法も発展し編み出された。当初作られたていたのは胴乱と呼ばれる煙草入れや印籠だけに限られていたが、明治以降は問屋も出現し安定した産業へと発展していった。
 昭和に入ると、民衆工芸運動の先駆者であった柳宗悦(やなぎむねよし)らの指導の元に技術改良が進み、昭和五一(1976)年には秋田県で初めての経済産業大臣指定の伝統工芸品に認定された。現在では茶筒、茶道具、インテリアなど桜皮細工の世界は広がり、独特の色合いと手触りは多くの人を魅了し続けている。
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2008/2/22


会津 起上り小法師 Aizu Okiagari-koboushi 

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 会津起上り小法師(あいづおきあがりこぼうし)は、福島県会津地方に古くから伝わる郷土玩具の一つ。三センチほどの小さな和紙の張子細工で、稚児をかたどった姿が愛らしい。
 豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷(がもううじさと)が鶴ヶ城主として伊勢から国替えを命じられた際、下級武士の内職として作らせ、正月に売り出したのが始まりと伝えられている。現在も会津若松の中心街で毎年正月一〇日に開催される初市にて、風車などと共に縁起物として売られる。
 この起上り小法師は「七転八起」といって、転んでも転んでも起き上がることから、無病息災と家内安全を祈って神棚などに飾られる。また、家族と財産が増えるよう、家族の数より一個だけ多く買うのが習わしになっている。
 木型に和紙を張り、乾燥させた後に木型から外す。粘土を丸めたおもりを底にはめて糊付けし、赤と黒で彩色する。赤は魔除けを意味し、小法師の着る緋の衣は最高位を表している。
 平成九(1997)年三月、福島県の伝統的工芸品に指定された。
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会津天神 Aizu Tenjin 

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 猪苗代湖の西側に広がる会津若松市では、数々の郷土玩具が生産されている。中でも代表的なのが、会津若松張子(あいづわかまつはりこ)である。張子とは、人形の形をした木型に和紙を糊で幾重にも張り合わせて乾燥させた後、木型を取り出して和紙に彩色を施したものをいう。
 豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷(がもううじさと)が鶴ヶ城主として伊勢から国替えを命じられた際、下級武士の糧になるようにと京都から職人を招き、その技術を修得させたのが始まりといわれている。この地方の張子は「赤もの」とも呼ばれ、疫病除けに効果があるという赤色を基調に彩色されている。東北地方で作られる張子の中では最も古い。
 「会津天神」はその一つで、学問の神様として信仰される菅原道真にちなみ、頭が良くなるように、出世するようにとの気持ちが込められている。昔ながらの技法で丁寧に手作りされ、その顔つきの温和さと品の良さで人気が高い。平成九(1997)年三月、福島県の伝統的工芸品に指定された。
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2007/8/9


松川だるま Matsukawa-daruma Matsukawa Daruma Doll

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 仙台張り子の中でもよく知られているのが、松川だるまである。
 本毛の眉、ガラスの目、顔の周囲は海の青を表す群青色で彩色されている点が特徴である。
 腹部には浮き出しにした宝船や福の神、松竹梅、えびす大黒、滝のぼり、一富士二鷹三茄子、などの様々な縁起物が描かれていて、信仰の対象、縁起物として親しまれている。
 このような豪華絢爛な現在の様式に改良したのは、明治の仏師二代目面徳・高橋徳太郎(天保一(1830)年~大正二(1913)年)。
 古くから仙台庶民に親しまれてきたこの松川だるまは、今から約170年ほど前、伊達藩の藩士・松川豊之進が創始したことにより名付けられたという説が有力である。その後、藩内下級武士らの内職として制作されていた。
 最初から両方の黒目が塗られているのは、伊達政宗に配慮して、という説もある。
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2007/8/6


仙台張子 Sendai-hariko Sendai Hariko (Papier-Marche)

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 仙台張子(せんだいはりこ)とは、型を作ったその表面に十二支の動物や福助、お面などの描彩を施した紙製の玩具である。
 藩政時代の天保年間(1830~1844)に、伊達藩下級藩士が創始したといわれ、以来、明治の中ごろまで下級武士たちの手内職として普及、技術の確立が行われていった。
 明治以降には一端途絶えてしまうものの、大正十(1921)年に地元有志の手で復活し、現在に至っている。
 代表的な仙台張子としては「松川だるま」とよばれる、顔の周りを紺青に塗り、目にはガラス玉、腹部には福の神や宝船などがたくさん描かれた、正月の縁起物が古くから親しまれている。
 その他に動物やお面など、出来上がる型は様々あるが、どれにも共通する手作りの温かみと、機械では作り出せないユーモラスな造形が、二百年近くたった今も愛される由縁なのだろう。
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