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「礼」という省略された文字の形は、早くから使われていましたが、元の右側の旁(つくり)である「豊」の形がほとんどないため、この字が示す本来の習慣は全く見えなくなってしまいました。もともとは、「禮」という字が表すように、礼儀正しさと豊かさは、互いに深い関係にあるという考え方がありました。そのことが隠されてしまい、皮肉なことに、「禮」という文字に対して無礼なことになってしまったのかもしれません。
左側の「示」偏は、供え物などを置くための祭壇を表し、これを持つ字が宗教関係の字であることを示すのがもとの機能ですが、殷・周代の後に、字の主な意味を成す部分として不適切に認識されることがありました。白川先生から、直接教わったことの一つは「部首はよく間違っている」でした。この字もまさにそうで、原形は右の部分だけです。「示」偏は随分後の時代に加わりました。
右の「豊」は「豐」で、下の部分の「豆」は、食べ物の「まめ」ではなく、禾穂である「丰」を盛るための容器の脚(台)です。上の部分の「曲」にはもう一つの系統として楽器に関する象形文字もありますが、ここでは多くの「丰」(禾穂の供え物)が器に盛られた形を象っています。
「豊」の部首として「示」偏が加わり、台と容器が二つになって、神に禾穂を捧げることを示す字です。
■右 禮・金文(きんぶん)
■左 禮・篆文(てんぶん)
左側の「示」偏は、供え物などを置くための祭壇を表し、これを持つ字が宗教関係の字であることを示すのがもとの機能ですが、殷・周代の後に、字の主な意味を成す部分として不適切に認識されることがありました。白川先生から、直接教わったことの一つは「部首はよく間違っている」でした。この字もまさにそうで、原形は右の部分だけです。「示」偏は随分後の時代に加わりました。
右の「豊」は「豐」で、下の部分の「豆」は、食べ物の「まめ」ではなく、禾穂である「丰」を盛るための容器の脚(台)です。上の部分の「曲」にはもう一つの系統として楽器に関する象形文字もありますが、ここでは多くの「丰」(禾穂の供え物)が器に盛られた形を象っています。
「豊」の部首として「示」偏が加わり、台と容器が二つになって、神に禾穂を捧げることを示す字です。
■右 禮・金文(きんぶん)
■左 禮・篆文(てんぶん)
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