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倶利伽羅峠は、富山県と石川県の県境にある峠。かの有名な源平合戦があり、「火牛の計」の作戦により平家が敗れたところである。源平砺波山合戦にまつわる史跡が多い倶利伽羅峠古戦場。源平供養塔もその史跡のひとつだ。
寿永二(1183)年、源平合戦の際、源氏の軍勢は太鼓、ほら貝を用いて一斉にときの声を上げ、角に松明を付けられ猛り狂う五百頭の牛を平家軍に放った。京都からの長途の行軍に疲れまどろんでいた平家軍は、暗闇の中を慌てふためき、武具も整えられず右往左往するばかり。将兵は軍馬もろとも地獄谷へ駆けこみ落ちたという。これが後に「火牛の計」と名づけられ、源平盛衰記にも記されている。
源平供養塔は、「倶利伽羅公園」から小矢部市側に歩いて数分の猿ケ馬場にある。側には八重桜があり、見ごろの5月には、あまたの魂をなぐさめるように辺りを淡い桜色に染め上げるという。
寿永二(1183)年、源平合戦の際、源氏の軍勢は太鼓、ほら貝を用いて一斉にときの声を上げ、角に松明を付けられ猛り狂う五百頭の牛を平家軍に放った。京都からの長途の行軍に疲れまどろんでいた平家軍は、暗闇の中を慌てふためき、武具も整えられず右往左往するばかり。将兵は軍馬もろとも地獄谷へ駆けこみ落ちたという。これが後に「火牛の計」と名づけられ、源平盛衰記にも記されている。
源平供養塔は、「倶利伽羅公園」から小矢部市側に歩いて数分の猿ケ馬場にある。側には八重桜があり、見ごろの5月には、あまたの魂をなぐさめるように辺りを淡い桜色に染め上げるという。
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