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2008/10/24


養老の滝 Yoro-no-taki 

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 養老の滝(ようろうのたき)は、岐阜県にある風光明媚な滝だ。
 高さが30m、幅約4mの滝で、巨岩や老樹に囲まれた公園の奥深くにある。岩角を打って滔々と流れ落ちる水は清冽を極め、砕け散る飛沫が霧のように立ち籠める。夏は肌寒さを感じさせるほどだ。その見事な景観は名瀑の名に恥じない。日本の滝百選にも選出されている。
 また「孝子伝説」という話が伝わっている。親孝行な木こりの源丞内が、山中で滝を見つける。そこに流れる山吹色の水を老いた父に飲ませたところ、若返ったという。実はこの水、老父の大好きな酒であったとされる。この不思議な滝の出来事は都にも伝わり、奈良の元正天皇が早速この地に足を運んだ。自身で飲浴したところ「肌は滑らかになり、痛む所は治った。めでたい出来事で、これは老いを養う若返りの水」と言い、年号を養老と改めたとされる。
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2008/10/2


人形岩 Sendai Ningyo-iwa 

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 人形岩は、鹿児島県の西方海岸にある遠近に名高い奇岩。シルエットが親子の人形そっくりなことからこの名がついた。高さ10m以上もある巨岩である。
 夕陽が東シナ海に落ちていくときの人形岩のシルエットはまさに絶景。この岩には、海辺で亡くなった母親が人形岩の父と子に会いにいくためにできたという伝説が残る。この伝説を聞くと、子どもを見下ろす父親の岩の姿が一層哀愁漂うものに見えてくるから不思議だ。
 この人形岩の北側の砂浜は、昔から夏は海水浴場として賑わい、最近では冬も北西の大きな波を生かしたボートセーリングのメッカとして人気である。
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2008/9/29


瞰望岩 Ganbou-iwa 

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 瞰望岩(がんぼういわ)は、別名インガルシとも呼ばれ、アイヌ語で「見晴らしの良い所」を意味する。北海道遠軽町のシンボル的な存在となっている。町名である遠軽(えんがる)の由来もこの言葉からきているとされる。
 瞰望岩周辺の丘陵には広大な公園があり、春には山桜や芝桜が辺りをピンク色に染め、夏はヒマワリが咲き誇る。
 ひとたび高さ約80mの岩の頂上に登ると、360度見渡す限りの大パノラマが広がり素晴しい眺望がのぞむことができる。町のあらゆる所からその姿を望む事が出来る瞰望岩は、その昔アイヌの人々が集落同士で戦った古戦場としての悲しい伝説が残る場所でもある。
 北海道自然百選に指定されていて、頂上には開拓記念碑が建てられている。
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2008/9/9


神戸岩 Kanoto-iwa 

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 東京都檜原村に流れる北秋川の支流、神戸川の上流に部分的に発達した渓谷。その渓谷に聳える、沢を挟んで左右対になった大岩壁が神戸岩(かのといわ)である。
 その高さは約100m、幅は140mにも達する大きさで、元は一枚の岩であったといわれる。それがある時、大きな地殻変動によって二つに割れ、現在のような形になったと推測されている。
 左右の岩壁の隙間は、最も狭いところでわずか4mほどしかなく、まるで洞窟のような神秘的な光景を生み出している。
 その岩壁の岩伝いに歩道も通っており、また、右側の岩はくりぬかれてトンネルも整備されていて反対側に抜けることもできるようになっているため、大岩壁の持つ圧倒的な迫力を間近に感じることができる。
 この岩は大岳山の麓にある大嶽神社の入り口ともされており、それ故に神戸と呼ばれている。
 確かにこれだけ大きく、神秘的なものを生み出せるのは、自然をおいて神様しかいないかもしれない。
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2008/7/30


立神岩 鹿児島 Tategami-iwa Kagoshima Tategami Rock in Kagoshima

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 鹿児島県枕崎市の枕崎漁港の300メートル沖に、およそ42メートルの立神岩(たてがみいわ)と呼ばれる大岩がある。
 天を指し示しているような不思議な形状から地域のシンボル的存在で、港枕崎の航海安全と大漁満船を祈願する守護神だ。
 この立神岩と対面する赤暮山(あかぼさん)についておもしろい民話がある。立神岩と赤暮山にすむ神様がけんかをして、赤暮山の神は斧を投げつけ、立神岩の神は火を噴いた。このため立神岩は今の切り立った形になり、赤暮山は赤く焼けただれた色になった。この民話から立神岩は火の神様としても祀られており、この地の地名にもなっている。
 今は両者とも静かに枕崎市の漁港を守っている。
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2008/7/1


七里岩 Shichiri-iwa 

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 七里岩(しちりいわ)は、長野県諏訪郡から山梨県の峡北地方に舌状に広がる台地のことである。
 今からおよそ二五万年前に八ヶ岳連峰の阿弥陀岳付近を中心とした噴火が起こり、その際に発生した「韮崎岩屑流(にらさきがんせつりゅう)」と呼ばれる火砕流が形成した台地だ。
 台地の南側には釜無川、東側には塩川が流れ、それぞれが侵食崖を形成しており、高さ10mから40m、高いところでは150mにも達する断崖が連なっている。
 崖の南北の長さはおよそ28kmにも及び、昔はその長さが七里に相当したことから「七里岩」という名が付いたとされ、峡北地域における代表的な地質的景観を形成している。
 七里岩北部では水に恵まれいたため、縄文時代の遺跡が存在するなど、古くから人跡のある場所となっており、江戸時代には甲斐国の米どころとして発達した。
 また、台地の形が韮(にら)の葉に似ていることから、台地の先端地域は「韮崎」と呼ばれ、今のの韮崎市の名称になったともいわれている。
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2008/5/2


玉城城跡 Tamagusuku-jouato 

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 玉城城跡(たまぐすくじょうあと)は、沖縄県南城市玉城玉城にある城跡である。
 玉城城は別名「アマツヅ城」とも称され、城主などもはっきりわかっていないが、沖縄開闢の神・アマミキヨが築いた城であるとの伝説が残る。
 詳細は不明だが、13~14世紀頃の築城とされる。標高約181mで、一、二、三の郭からなる。一の郭以外は戦後米軍が建築用材として持ち出して、現在はほとんど残っていない。
 自然岩をくり貫いて作られた一の郭は、とても珍しい作りをしており、これが山の自然を利用した山城だと感じさせられる。
 王府時代から現在に至るまで東御廻い(あがりうまーい)の霊地として、参拝者が絶えない。
 玉城城跡は、神の子孫・天孫氏が治めたとも言われる、伝説の城跡である。
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2008/3/31


福林寺跡 磨崖仏 Fukurin-ji^ato Magai-gutsu Magaibutsu at Fukurinji Temple Ruins

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 福林寺跡の磨崖仏(ふくりんじあとのまがいぶつ)とは、滋賀県野洲市(やすし)小篠原の静かな林の中に点在する磨崖仏群の事である。
 福林寺跡は野洲中学校の裏道から林道を入った静寂な地にあり、周辺には小磨崖仏が無造作に点在している。
 大きな岩に高さ約45cmの地蔵菩薩立像13体が平肉彫りされている磨崖仏や、阿弥陀如来像2体と観音立像1体が彫り出されているものなどがあり、どちらも室町時代初期の作とされ、小さいながらまるで木に彫ったように細かく繊細な造りが特徴とされる。
 他に、石仏もそこかしこに転がっており、異世界のような不思議な雰囲気を醸し出している。
 その昔は、辺りにはもっと多くの磨崖仏があったというが、明治・大正のころ、大阪の富豪が自宅の庭に持ち去ったと伝わる。
 福林寺跡の磨崖仏は、何とも神秘的で奇妙な場所である。
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