NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/1


坊津 Bouno-tsu 

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 坊津(ぼうのつ)は、鹿児島県薩摩半島の西南に位置する。かつて、中国や南方諸島との貿易の窓口として発展し、筑前の博多津(現福岡市)と伊勢安濃津(現三重県津市)と並ぶ「日本三津(さんしん)」のひとつと謳われていた。
 坊津の海岸線は海に迫る山岳が多く、総長52kmにも及ぶリアス式海岸となっている。沿岸は景勝が多く、風変わりな岩礁が点在。雄大で荒々しい風光は全国でも珍しく、訪れる人々は皆感嘆の声を上げる。
 坊津は風光明媚な景観もさることながら、大小の瀬が点在し、釣り場の多さでは九州屈指。特にイシダイ釣りのメッカとして釣り愛好者たちの人気を集めている。
 また、海は九州随一の透明度を誇り、色とりどりの熱帯魚が見られ、一年を通して県内外から多くのダイバーたちが訪れる。
 
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2008/7/25


三陸リアス式海岸 Sanriku-riasushiki-kaigan  Saw-tooth Sanriku Coastline

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 三陸リアス式海岸(さんりくりあすしきかいがん)とは、青森県南東部~岩手県沿岸部~宮城県の牡鹿半島までの、総延長600kmのリアス式海岸の事である。
 三陸とは青森県の陸奥、岩手県の陸中、宮城県の陸前の総称で、リアス式海岸とは海岸線に対して垂直方向に伸び、河川により浸食されてできた開析谷が、谷が沈降してできた入り江になり、それが連続して鋸の歯のようにギザギザに連なっているような地形をいう。
 三陸海岸の沖合いは、寒流の親潮と暖流の黒潮が三陸沖でぶつかり、世界四大漁場と呼ばれるほど豊かな漁場が広がっている。
 また、海岸の断崖絶壁は、ミサゴ、ウミウ、ウミネコ等の野鳥の格好の繁殖地ともなっている。
 三陸リアス式海岸は、太平洋の荒波と風雨によって造り出された景勝地が、点在する海岸である。
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2007/11/5


日豊海岸 Nippou-kaigan Nippo Coast

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 日豊海岸(にっぽうかいがん)は、九州東部の大分県中部から宮崎県北部にかけての海岸線に設置された国定公園である。
 四国と九州を分断する豊後水道を形成した九州山地の地盤変動によって、陸地が沈水してできたリアス式海岸となっている。
 日豊とは現在の宮崎県である日向国と現在の大分県である豊後国とを指し、大分県佐賀関半島から宮崎県日向市の美々津海岸に至る、約120kmに及ぶ出入りの激しい海岸である。
 日向灘に突きだした日向岬から観る海岸は、そそり立つ断崖絶壁と、白い飛沫をあげて押し寄せる波の素晴らしいコントラストの絶景となっている。
 水温が高く透明度もあり、テーブルサンゴ類、キクメイシ類、ミドリイシ類などが生育している。
 日豊海岸は、多くが海中公園となっている景勝地である。
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2007/10/31


枯木灘 Kareki-nada The Karekinada Sea

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 枯木灘は和歌山県西牟婁郡すさみ町に面した白浜町と串本町の間にあるリアス式海岸線を指す。
 その枯木灘にある周参見(すさみ)港は、熊野灘の中で潮や波が荒れても寄航できる唯一の港として、古くから知られている。
 この灘の名は、熊野灘を航行する船にとって、休むべき木陰(港)がほとんど無く枯木ばかりであるという意味からであるとも、または強風と強い潮で木々が枯れるほどの荒海から来た名前であるともされる。
 熊野古道、大辺路の一部となっている海岸線は、巨岩、奇石が連なる景勝であり、断崖と荒磯が続くために険しい山道であるが、高所からの眺望は大辺路随一の景観と言われる。
 作家、中上健次の著書、「枯木灘」の舞台としても知られる。
 昭和四十三年に熊野枯木灘海岸県立自然公園の指定を受け、自然保全に力が入れられている。
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2007/10/11


法華津峠 Hoketsu-touge 

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 法華津峠(ほけつとうげ)は、西予市(旧宇和町)と宇和島市(旧吉田町)の境にあり、標高は436m。現在はJR予讃線と国道56号がトンネルで一気に通過するが、かつては宇和島街道最大の難所といわれた。今も峠越えの旧道が残ってはいるものの、通る車は少ない。峠の頂上に立つと、眼下にはみかんの段々畑と宇和海が広がる。リアス式海岸と紺碧の海とが織りなす景色は雄大で、晴れた日には遠く九州まで望むことができる。イカ釣りの季節には、漁火が幻想的に浮かび上がる。
 旧道の路傍には、世界的に有名な賛美歌404番の一節「やまぢこえて ひとりゆけど 主の手にすがれる 身はやすけれ」と刻まれた碑が置かれている。これは、キリスト教の教育と伝道に献身した松山市名誉市民の故・西村清雄(にしむらすがお)が、南予伝道の帰路、ひたすら神に祈りつつ作ったと伝えられている。
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高茂岬 Koumo-misaki 

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 高茂岬(こうもみさき)は愛媛県南宇和郡愛南町にある愛媛最南端、西海半島の西南端の断崖、豊後水道(ぶんごすいどう)に突きだした岬である。
 岬はリアス式海岸特有の、百メートルを越える男性的な断崖が連なり、岩礁に黒潮の波が砕け散る様は豪快且つ、心が洗われる思いである。一帯は足摺宇和海国立公園に属している。
 岬には遊歩道が整備されており、天気のよい日には九州が遠望でき、地平線に沈んでいく夕陽の美しい岬としても有名である。
 また、あたりには亜熱帯植物も多く生息し、秋には美しい野地菊が咲き乱れ、ススキが一面に広がる風景も展望できるなど緑に恵まれた岬である。
 また、小型の鷹の群生地としても有名で、秋の澄んだ空に群舞する鷹の姿は見ものである。
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2007/9/19


秋目浦 Akime-ura 

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 秋目浦(あきめうら)は、鹿児島県南さつま市坊津町秋目にある景勝地である。
 正面岬と呼ばれる岩山が北方より海上に突き出しており、その付け根に向かって南よりえぐり込む様に湾を形成する、こぢんまりとした入江である。
 天平勝宝五(753)年、唐の高僧・鑑真和上が、盲人となりながらも6度目の挑戦でやっと日国への上陸を果たした地として知られる。
 近隣の秋目浦を見下ろす斜面には、鑑真記念館と上陸記念碑が建っている。
 鑑真記念館では、当時の様子を伝える「東征伝絵巻」の代表的場面の電照パネルや、秋目上陸を再現したスライドやジオラマ模型、中国で作製された鑑真大和上座像の複製などが展示されている。
 秋目浦は、箱庭のような美しい景観を誇るリアス式海岸である。
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密貿易屋敷 Mitsu-boueki-yashiki 

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 密貿易屋敷(みつぼうえきやしき)とは、鹿児島県南さつま市坊津にある森吉兵衛屋敷の事である。
 リアス式海岸にある坊津は琉球・南方諸国に近く、古くから日本三津といわれた中国との玄関口として栄えた貿易港であった。
 江戸時代に入ると、幕府の鎖国政策により大陸との貿易は長崎の出島ひとつとなった。
 しかしこれは表向きのことで、そのあともこの港を本拠地として、薩摩藩は大陸との密貿易を続けたのである。
 屋敷は、万延元(1860)年、三代・森吉兵衛が建て、五代・吉兵衛まで住んでいたもの。
 屋敷内には隠密に貿易を行うため、中二階・覗き窓・隠し部屋など、構造上の様々な工夫がなされている。
 密貿易屋敷は、江戸の昔が偲ばれる史跡である。
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