NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/6


倶利伽羅峠 火牛の像 Kurikaratouge Kagyuunozou 

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 倶利伽羅峠(くりからとうげ)は、旧越中国(えっちゅうこく)である富山県小矢部市と、旧加賀国(かがこく)である石川県津幡町との境界である、標高277mの砺波山(となみやま)にある旧北陸道の峠である。
 火牛の像(かぎゅうのぞう)は、山頂にあるくりから公園内の、倶利伽羅古戦場猿ヶ馬場のすぐ近くにあり、角にたいまつをつけた牛が今にも突進しようとするその姿には鬼気迫るものがある。
 寿永三(1183)年、木曽で兵を挙げた木曽義仲は越中国から侵攻し、10万の軍を率いた加賀国側の平維盛の軍と倶利伽羅峠で対峙した。
 義仲は牛の角に松明をくくりつけ、牛を先頭に山を駆け抜けて平家を破った。これは、その「火牛の計」にちなんだモニュメントで、合戦ではこのような牛が4、5百頭平家の陣に襲いかかったという。
 倶利伽羅峠の火牛の像は、源平合戦の昔が偲ばれる彫像である。
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2007/12/7


桃岩 Momo-iwa Momo Rock

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 北海道の礼文島にある桃岩(ももいわ)は、南北に細長い島の南にある。ここはアイヌの伝説の古戦場でもあった場所である。
 実際、桃の形をしている。
 全体的に丸みを帯びた岩の先端部がキュッと尖って、岩を覆う緑の草は、まるで桃のビロードの果皮のようでその柔らかい感触までが伝わってくる。
 見上げるような巨大な奇岩のまわりにある展望台や遊歩道は、花の季節になるとレブンコザクラやレブンキンバイソウなど、礼文特有の高山植物が咲き誇り、屈指のビュースポットになる。
 天気のよい日、日本海の風を受けながらこの不思議な岩を眺めてみたい。
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2007/11/5


河後森城跡 Kagomori-jo-seki 

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 「河後森城跡(かわごもりしろあと)」と書かれた大きな石碑が立つ登山道入り口。そこから自然散策をしつつ、中世の歴史を残す城跡を見てまわることができる。また山頂からの素晴らしい展望も見物である。
 河後森城跡は伊予と土佐の国境におかれ、1997年に国の史跡に指定された、指定面積二〇二・〇三八平方メートルという県下最大級の中世城郭跡である。
 鎌倉時代から江戸時代初期まで、約四〇〇年あまりに渡ってこの地域を支配した宇和郡領主・西園寺氏の旗本、河原淵(かわらぶち)氏の豪壮な居城跡。戦国時代には長宗我部(ちょうそかべ)軍勢と戦った古戦場でもあるという。
 城郭内からは当時の面影を残す沢山の貴重な遺構や、当時中国から運ばれた陶磁器、国産の備前焼の壷、多くの瓦など、遺物が多数出土しており、現在も発掘調査や整備が続けられている。
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2007/10/29


がんぼう岩 Ganbou-iwa Ganbou Rock

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 北海道の東道、紋別郡遠軽町にある高さ78メートルの岩山。自然百選にも選定されている。
 頂上には展望台があり、徒歩で15分ほど。
 遠軽町のシンボル的存在になっているこの岩は「この町では朝日を真っ先に浴びる岩山」「夕日に暖かく包まれる岩山」として親しまれている。
 がんぼう岩の名の由来はアイヌ語の「インガルシ」(見晴らしの良いところ)からきている。アイヌ民族の古戦場とも呼ばれる、その展望台からの見晴らしはパノラマ360度のすばらしい眺望が広がる。
 周辺には岩山の登り口にもなっている「太陽の丘遠軽公園」があり、町民の憩いの場として親しまれている。
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2007/9/6


韮神山三十三観音 Niragami-yama-sanjuu-san-kannon Niragamiyama 33 Kannon Stone Statues

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 韮神山三十三観音(にらがみやまさんじゅうさんかんのん)は、宮城県柴田郡村田町沼辺の町はずれにそびえ立つ、標高94mの韮神山山頂にある石仏群である。
 韮神山は、黄韮が自生していたのでこの名前がついたとされる山で、かつては文治の役の古戦場であり、現在は藤原実方の歌碑が建ち、松尾芭蕉が歌を詠んだ地としても知られている。
 展望台からは雄大な蔵王連峰や白石川の大パノラマが体感でき、その展望台付近に三十三観音は祀られている。
 三十三観音は、弘化三(1846)年、大河原等の複数の寄進者によって韮神山の頂に建立されたもので、西国三十三観音をこの地に移したとされ、当時の厚い信仰心が込められている。
 韮神山三十三観音は、素朴な崇敬の念が感じられる仏像群である。
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2007/7/5


阿寺の七滝 Adera-no-nanataki 

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 愛知県新城市にある滝。日本の滝百選に選ばれている。また国の天然記念物にも指定されている。
 天竜奥三河国定公園内にあるこの滝は、巣山高原からの水が絹の姿のように、礫岩の断層崖から流れ落ちるもので、全長は62メートル。階段状に流れ落ちる7段の滝それぞれに滝壺があり、2番目、5番目の滝壺は大きな甌穴(おうけつ)をもち、礫岩にかかる滝としては学術上貴重なものとされている。
 この礫岩を子抱石といい、これを祀ると子どもが授かるという伝説がある。
 滝の中段あたりまで登ることができ、滝の上からも見渡すことができる。
 付近には長篠古戦場や湯谷温泉、赤引温泉などもあり、観光客などで賑わう。
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2007/6/4


鳴海宿 Narumi-juku Narumi-juku

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 鳴海宿(なるみじゅく)は江戸の五街道の一つ、京と江戸を結ぶ東海道の宿場であり、今の愛知県名古屋市緑区鳴海町にあたる。
 有名な安藤広重の「東海道五十三次」という作品にあるように、東海道には53箇所の宿場があるが、鳴海宿は40番目になる。
 この手前の池鯉鮒宿との間(間の宿)の有松で生産されていた木綿の絞りが街道筋の人気商品になり、鳴海宿には商家が立ち並ぶようになって栄えた。
 東海道五十三次にも鳴海宿の絞りのことが書かれている。
 また、俳人である松尾芭蕉とも縁のある場所でもあり、この宿にある誓願寺には最も古い芭蕉の供養塔がある。
 この鳴海宿を抜けると、かの織田信長の名を一躍世に知らしめた桶狭間の古戦場が見えてくる。
 江戸からの距離およそ350km。次の宮宿までおよそ13km。
 木綿の絞りを羽織って、芭蕉のように古戦場で兵どもの夢の名残に思いを馳せて次の宿場へ向かう。旅の冥利に尽きる一幕が、そこにはある。
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