NIPPON Kichi - 日本吉

記事数16件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/10/21


屈斜路湖 kussharo-ko 

Jp

 北海道の東端、川上郡弟子屈町にある屈斜路湖(くっしゃろこ)は、周囲57km、面積79.3平方kmの自然湖である。全域が阿寒国立公園に属している。
 日本最大の屈斜路カルデラの中に横たわるほぼ円形をなす巨大なコバルトブルーの湖で、その大きさは国内で6番目、カルデラ湖としては日本最大の広さを誇る。
 湖の周りから小さな川が流入し、南端から釧路川が流れ出している。屈斜路の名は、その釧路川が流れ出す付近にあった「クッチャロ」という名の集落からきている。クッチャロとは、アイヌ語で喉や口、流れ出口を意味する。
 湖心に浮かぶ中島は、周囲12km、面積5.7平方km。淡水湖にある中島では日本一大きい島で、湖を望む3つの峠に立つと、眼下に雄大な原生林に囲まれた湖を見下すことができる。
 昭和一三(1938)年、屈斜路地震で湖底から硫黄が噴出し酸性度が上がって魚類はほぼ全滅したが、その後酸性度は低減され、近年では十種類程の魚が見られる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/1


イナウ人形 Inau-ningyou 

Jp

 イナウ人形(いなうにんぎょう)は、北海道釧路市阿寒町近辺に伝わるアイヌの人形である。
 阿寒湖の湖畔にはアイヌの集落であるアイヌコタンがあり、イナウ人形はここで作られている。
 イナウとは、アイヌの祭具のひとつで、人間とカムイや先祖を取り持つものとされた。
 イナウは、形としては木の棒に2本の紙垂れをつけた神道の祭祀で用いられる御幣(ごへい)によく似ている。全て一本の木の棒から出来ており、ヤナギ・ミズキ・ハシドイなどの樹皮を剥いで、白木を薄く削ったものが垂れ下がっている。
 病気の回復や猟の安全と収穫の祈願、風水害にあった時など、イナウを作って神に捧げた。
 このイナウの手法を生かして作られたのがイナウ人形で、男女のアイヌ人像や弓矢を持ち狩りをするアイヌ人などが存在する。
 イナウ人形は、悪神を追い払う力もあると伝えられる、アイヌの郷土民芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/4/25


まりも Marimo 

Jp

 北海道釧路市の阿寒湖をはじめとした、湖の底に生息する植物を「まりも」という。
 阿寒湖のまりもは、明治三〇(1897)年、現在の北海道大学で当時の札幌農学校本科生であった川上農学博士により発見された。
 湖の底で、じゅうたんのような平な状態で繁殖していた藻が、湖水の緩やかな流れにより、小さな藻がからまって球をつくりあげたものと考えられたことから「毬藻(まりも)」と名付けられた。
 まりもは緑藻植物のシオグサ科に属する。繁殖方法や成長過程には多くの謎があり、貴重な植物として世界でも注目されている。阿寒湖のものほど見事な大型球形をつくりだしているものは、世界でも類がないといわれている。
 現在阿寒湖では二カ所、数一〇メートル四方にだけ生息しており、大きいものでは直径三〇センチメートルほどのものもある。まりもの推定年齢は、直径約六センチメートルあるもので一五〇~二〇〇歳といわれている。
 大正一三(1924)年に天然記念物、昭和二七(1952)年に特別天然記念物に指定された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/3


昆布刈石海岸 Kobukariishi-kaigan 

Jp

 昆布刈石海岸(こぶかりいしかいがん)は、北海道・浦幌町にある海岸道。十勝川河口から釧路方面へ続く道であり、江戸時代に開削された自然路の名残をとどめるものである。
 明治以前、漁業以外に産業のなかった北海道では、海岸のほかは道路の発達をみなかったという。山間部はアイヌの案内なくしては探検できず、川と海岸こそ十勝の唯一の道だったのである。
 昆布刈石海岸道は、風浪の激しい日には徒歩や馬でも通りにくい難所であったため、浦幌では文化二(1805)年に間道が開削され、十勝と日高、釧路を結ぶ幹線道路として重要な役割を果たすこととなった。
 昆布刈石海岸は、現在は砂利道として当時の名残をとどめるのみだが、広大な太平洋を一望できる景勝地として人気を集めている。海岸には昆布刈石展望台もあり、遥かに広がる水平線を眺望できる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/2


幣舞橋 Nusamai-bashi 

Jp

 北海道釧路市。その市内を流れる釧路川に架かっているのが幣舞橋(ぬさまいばし)だ。
 明治二二(1889)年に最初に架けられ、当時は全道一長い木橋と言われていた。
 現在の橋は昭和五一(1976)年に架けられた五代目にあたり、今も釧路市のシンボルとして市民に親しまれている。
 札幌市の豊平橋、旭川市の旭橋とともに北海道の三大名橋としても知られている。
 橋の左右の欄干には、春夏秋冬をイメージした「四季の像」が、それぞれ日本を代表する彫刻家4人の手によって制作、設置されている。
 夕暮れには、太平洋から差し込む紅の夕陽が、まるで東欧の小国にでもいるかのようなエキゾチックな香りを運ぶ。
 そして、夜になれば橋全体がライトアップされ、4つの彫刻の落とす影が、夕方にも増して幻想的な風景をかもし出す。
 全長124mのこの橋上は、まるで異国にいるかのような空気が流れている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/25


港文館 Koubun-kan 

Jp

 北海道釧路市の港に流れ込む釧路川河口を望む場所に、港文館が建っている。
 元々はかの石川啄木も短期間ではあったが、新聞記者として勤めていた釧路新聞社として明治四一(1908)年に建てられた、当時としては道東唯一のレンガ作りの洋風建築だった。昭和十七(1942)年以降は北海道新聞釧路支社として使用され、取り壊されることとなる。
 その後、平成五(1993)年に一階は港湾資料、二階は郷土資料の展示スペースとして、港文館の名で復元されることとなった。
 釧路の歴史や港湾史などをつぶさに見学できるのだが、郷土資料においてはそのほとんどが啄木のもので占められている。釧路での滞在はわずか76日だった啄木だが、後世に残した影響は色濃い。敷地内には啄木の銅像も建立されている。
 一階の喫茶スペースで、夕陽にまどろむ啄木像を眺めつつコーヒーを味わう。ほんの少し、自分も詩人になった気分に浸れるかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/22


釧路川 Kushiro-gawa The Kushiro River

Jp En

 釧路川は、北海道東部、阿寒国立公園内になる屈斜路湖をその源とする一級河川だ。
 急流の多い日本の川にあって、源流から河口までの高低差約120mと、とても穏やかで雄大な河だ。下流域には日本最大の湿原、釧路湿原が広がり、それ以外にも阿寒湖や摩周湖など名だたる名湖があり、その自然の豊かさは他に類を見ないものである。
 その自然はもちろん、レジャーのために訪れる人も多く、特にカヌーイストにとっては聖地とも称される河だ。一級河川には珍しく、源流である屈斜路湖から河口までダムが一切なく、そうした理由から全国から愛好者が訪れる河となっている。
 また、この釧路川を含めその支流域は「幻の魚」としても知られるイトウの生息域にもなっており、フィッシャーマン垂涎の地でもある。
 上流では雪と緑深き大自然の中を流れ、下流域では広大な湿原を潤す命の河。
 たとえ自然の形は違えど、川の流れはいつも雄大で、穏やかだ。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




別寒辺牛湿原 Bekanbeushi-shitsugen Bekanbeushi Marsh

Jp En

 北海道東部、釧路市と根室市のほぼ中間、日本最大の湿原である釧路湿原からおよそ50kmほど離れたところにその湿原がある。
 別寒辺牛(べかんべうし)湿原。その名前の由来はアイヌ語のベカンペ・ウシというヒシの多いところの意からとされる。
 総面積はおよそ8300ヘクタール。東京都江戸川区と葛飾区を合わせたほどの広さを持つ、日本でも3番目に大きな湿原だ。
 近くに釧路湿原があることから、あまりクローズアップされることのなかったが、1993年のラムサール条約への登録から一気に注目されることになる。
 国内有数の原生的な自然が残り、動植物の色濃い、まさに「野生の王国」がそこにはある。なかでも丹頂鶴の一大繁殖地であり、湿原全域に営巣、自然繁殖が行われている貴重な場所でもある。
 近くには水鳥観察館があり、様々な水鳥や丹頂鶴の子育てをスクリーンで見ることが出来る。
 湿原保護のバロメータである丹頂鶴を間近で見れば、感動のバロメータも自然と上昇するに違いない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数16件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter