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2008/8/13


強飯式 Gouhan-shiki 

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 栃木県日光市山内・輪王寺(りんのうじ)には、「強飯式(ごうはんしき)」という全国でも珍しい行事が今も伝えられている。
 毎年四月二日に行われる強飯式の由来は日光山の開山時期まで遡るという。日光山で修行を終えた修験者達が、供え物を持ち帰り、人々に分け与えたことがはじまりとされている。
 神事では山伏に扮した六人の僧が、檀家から選ばれた六人の頂戴人に、山盛りのご飯を「食え」と言って渡すというちょっと変わった神事である。「残さず食え」と頂戴人を責めたてる山伏の姿なども見所である。
 その後、僧と頂戴人による「がらまき」が行われる。がらまきには運を分ける「お裾分け」の意味が込められており、集まった参拝客にお菓子やおもちゃが撒き与えられる。
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2008/4/11


法然 Hounen 

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 法然(ほうねん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶。浄土宗の開祖。
 長承二(1133)年、美作国久米(現・岡山県)に誕生。
 9歳の頃、押領使だった父が殺され、住職だった叔父・観覚のもとに身を寄せ、仏教を体得。6年後、単身比叡山へ。源光・皇円・叡空などの師匠に才能を絶賛される。黒谷青竜寺への隠遁を許され、修行を積む。
 43歳の頃、唐の善導大師の『観経疏』によって、「阿弥陀如来の誓い=本願念仏」を辿り着き、承安五(1175)年に、当時としては革新的で独自性に満ちた教説を持つ、浄土宗を開いた。
 碩学の僧、聴衆300人を集め、浄土法門を論じ合った「大原問答」が有名。65歳で著した『選択本願念仏集』は、現在でも経典と同様の扱いで読み継がれている。
 晩年は、激しい弾圧、流罪などに見舞われた。80歳で往生。
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2007/12/26


禅 Zen 

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 「禅(ぜん)」とは仏教発祥の地、インドで始まり中国、日本へと伝わった宗教で、「達磨宗(だるましゅう)」「仏心宗(ぶっしんしゅう)」「楞伽宗(りょうがしゅう)」とも呼ばれる。
 釈迦から数えて二八代目の祖・菩提達磨が禅宗の開祖と云われ、中国で発展したのち、一三世紀頃の鎌倉時代に伝えられたとされている。しかし平安時代には既に伝わっていて、京都嵯峨野の檀林寺で禅が講義されたとの記録もある。
 インドで「ディヤーナ」と言われた教えが、中国で禅那(ぜんな)、禅(ぜん)として発展していき、日本へと伝わっていった。そして鎌倉時代以後、武士や庶民などを中心に広まっていき、各地に禅寺が建てられる様になった。
 ディヤーナは直訳すると「瞑想」で、静かに心を落ち着かせる瞑想を通して、悟りを開くというのが禅としての大いなる意義であろう。この背筋を伸ばし、呼吸、心を整える「坐禅」は禅の基本的な修行法である。
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2007/11/12


伊崎の竿飛び Isaki-no-saotobi Izaki Pole Diving

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 伊崎の竿飛び(いさきのさおとび)は、滋賀県近江八幡市白王町の伊崎寺にて毎年8月の第1日曜に行われる行事である。
 伊崎寺は、貞観年間(859~877)に開基されたと伝わる天台宗の寺院で、琵琶湖に突き出た小さな半島の先端に建っており、修行道場でもある。
 竿飛びは、今から約1100年前にこの寺で修行中の建立大師が、寺の眼下に広がる琵琶湖に空鉢を投げて、湖上を行きかう漁民たちに喜捨を乞い、その後自ら湖中に飛びこんで空鉢を拾いあげた、という故事に基づくと言われている。
 行事では、琵琶湖上に突き出た長さ13mの角材から、若者らが約7m下の湖面に飛び込む。強い日差しのもと、水しぶきをあげ豪快にダイビングする姿に、見物客からは盛んな拍手が送られる。
 伊崎の竿飛びは、荒行から生まれた厄除祈願・度胸試しの歴史ある伝統的行事である。
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2007/10/23


時田英明 Tokita Hideaki Hideaki Tokita

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 日本に数十人しかいないといわれる根付の世界で、大型新人として注目をあつめる根付師・時田英明(ときたひであき)。1979年、東京都生まれ。
 根付とは、江戸時代に流行した、印籠や巾着などを帯から提げるための「留め具」となる小さな飾り物のこと。現在、コレクターは日本よりも海外に多く、彼もまた留学先のニュージーランドで根付の存在をはじめて知り、翡翠彫刻を学び始める。
 その後同国にて、師匠となる彫刻家・ミック氏と出会う。彼に学びながら彫り始めた根付は、世界トップクラスの根付コレクターから絶賛、奨励を受けるようになっていき、2007年には国内でも「日本象牙彫刻会・新人賞」を受賞した。
 「観察する時間は、教わっている時間と同じ。たかが葉っぱ一枚でも、何かを得ようとする努力で、何かが得られる」
 自分をぎりぎりに追い込みながら、直感を研ぎ澄ます生き方の中で生まれる作品は、唯一無二の強烈な存在感を解き放つ。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2007/9/27


最澄 Saichou Saicho

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 最澄(さいちょう)は平安時代初期の僧。日本天台宗の開祖。
 天平神護二(767)年、近江国(滋賀県)の生まれ。中国からの渡来人・三津首(みつのおびと)の子孫で、幼名は広野といい、14歳で近江国・国分寺に出家し、名を最澄とした。
 19歳の頃、東大寺で正式の僧となるが、 官寺仏教に疑問を持ち、比叡山に一乗止観院(延暦寺の前身)を建立し、そこに籠もり修行した。開眼し下山するまで約12年を要し、それが「12年籠山」という修行規則として制度化されている。
 延暦二三(804)年に唐に渡り、円・密・禅・戒という四宗を学んだ。帰国後、桓武天皇の支持を受けて天台宗を創設した。『山家学生式』『顕戒論』『内証仏法血脈譜』などを記している。
 弘仁一三(822)年に比叡山の中道院で没。没後44年目に日本で最初の伝教大師の称号が与えられた。
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2007/4/12


源宗坊 Gensou-bo Gensobo Temple

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 明治39年に稲田源宗坊が開いたお寺で、門をくぐると道に沿って配置された15体の仏像を見ることができる。
 稲田源宗坊が諸国修行の後に、この地で3年間の荒修行を行い、諸人の病苦を除くことを発願し、薬草を煎じ病人を養い、独力で仏像を刻んだ。
 昔は四季折々の花の咲く公園のような場所だったそうだが、これまでに3度の水害により、仏像が破損するなどの被害を受けている。
 現在源宗坊の孫にあたる原田詳源さんは、人々の憩いの場所として利用されることを願い、仏像やお寺の管理を続けている。
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2007/4/3


石ヶ谷峡 Ishi-ga-tani-kyou 

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 瀬戸内海に流れる太田川の支流の水内(みのち)川の一支谷。
 花崗岩の河床に清流が流れ、竜頭の滝など多くの滝がある。峡谷内は、兜(かぶと)岩・名号岩などの奇岩に富み、なかでも屏風(びょうぶ)岩は直立40〜50メートルから120メートルにおよび、またこうもり岩は約300メートルで峡の二大景観をなしている。
 紅葉シーズンはハイキング客でにぎわいをみせ、一般的な折り返し地点「燈明滝」までは徒歩で片道約一時間半。
 渓谷入り口付近にそびえる「名号岩」には、修行僧が彫ったとされる念仏の文字を見ることが出来る。
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