NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/6


妙法院 Myouhouin 

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 妙法院(みょうほういん)は、数々の著名な寺社が立ち並ぶ京都府東山区に位置する天台宗の古刹である。
 古くから皇族や貴族の子孫が住持を務める寺院を「門跡」といって別格の扱いとされるが、この妙法院も門跡の一つであり、青蓮院、三千院と並び「天台三門跡」と称されてきた名門である。
 その創建には諸説あり、元は比叡山上にあった小寺院であるといわれ、開祖を最澄とするものや、後白河上皇が落飾後の永暦元(1160)年ごろ、比叡山の僧、昌雲が里坊を開いたのを始まりとするものなどがある。
 平安時代末期には京都市内に移転、その後は幕末まで代々法親王が住持を勤めていた。
 当時は広大な敷地面積を誇り、通し矢で有名な三十三間堂は、今も妙法院の管理するところである。
 豊臣秀吉が築いたといわれ、国宝にもなっている庫裏(くり)や重要文化財である大書院、狩野派の筆による障壁画が残る大玄関など、桃山文化の美が封印された大伽藍を今に伝えている。
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2007/10/17


東門院 守山寺 Toumon-in Moriyama-dera Tomonin Moriyamadera Temple

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 天台宗の開祖・最澄が延暦一三(794)年に開いたと伝えられている。これより六年前に建立された比叡山延暦寺の東門に当たることから東門院(とうもんいん)と呼ばれ、桓武天皇により比叡山を守る寺に名号されたことから守山寺(もりやまでら)とも呼ばれている。所在地名の守山はこれに由来するという。
 江戸時代には朝鮮通信使特使の宿舎にもなったが、昭和六一(1986)年に本堂、庫裏が火災で全焼。本堂に安置され傑作と賞賛された十一面観音像も同時に焼失したが、平成二(1990)年に本堂を再建、十一面観音像も修復された。
 焼失を逃れた護摩堂本尊の不動明王坐像、境内の片隅にある鎌倉時代の石造五重塔は国の重要文化財に指定され、その他の美術品とともに、千二百年余りに及ぶ寺の歴史を物語っている。
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2007/10/11


龍華山等覚寺 Ryuuge-zan-toukaku-ji 

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 伊達氏の城下町として発展してきた宇和島。JR宇和島駅の南側を流れる辰野川を挟むようにして、神社仏閣が建ち並ぶ。川辺の路地を上流へしばらく進むと、野川地区の入り口に龍華山等覚寺(りゅうげざんとうかくじ)が見えてくる。敷地には荘厳な墓石が連なる。ここは伊達家の菩提寺として知られる。
 等覚寺は元和四(1618)年、生母の菩提を弔うため初代藩主・伊達秀宗(だてひでむね)が建立。当時は白雲山龍泉寺と号したが、万治元(1658)年に秀宗の墓所となってからは浄妙山等覚寺と改め、さらに安永七(1778)年に山号を龍華山と改称して現在に至る。
 本堂と庫裏は、昭和二〇(1945)年の戦災により焼失したが、鐘楼のある山門だけは残り、わずかに当時を偲ばせる。
 墓には、初代~四代、六代、八代の各藩主のほかに、藩主夫人や殉死した藩士まで葬られている。墓からは宇和島城を望むことができる。
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2007/10/9


八王子 永林寺 Hachiouji Eirin-ji Eirinji Temple in Hachioji

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 八王子の永林寺(はちおうじのえいりんじ)は、東京都八王子市下柚木にある曹洞宗の寺である。本尊は、茶木尼(だきに)尊天。八王子八十八景のひとつに選ばれている。
 永林寺は大石定久の居館のあった場所で、定久が滝山城主として滝山城に移る天文元(1532)年、永鱗寺として創建した。
 その後、徳川家康が関東に入府した際、永鱗寺の林を誉めたことから永林寺に改称したとされる。
 伽藍は武蔵野屈指の大伽藍である。朱塗りの総門・楼門とあり、さらに朱雀門、そして本堂に庫裏がつながれてある。
 また、本堂裏手の高台には、大石氏の住居跡である由木城跡が存在している。
 八王子の永林寺は、壮麗な伽藍を誇る大石氏とゆかりの深い古刹である。
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2007/9/7


箱泉寺 Sousen-ji 

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 箱泉寺(そうせんじ)は、宮城県石巻市河南町にある古刹である。
 伝教大師の弟子の慈覚大師が貞観年間(859~877)に開いたとされる。
 天正三(1575)年に俊光と号する僧が中興に努め、真言宗にと改められた。
 寺は旭山の北側の斜面に位置し、周りは森で囲まれている。参道の石段を登ると、なんとも年代を感じさせる四脚門の山門が構えている。山門をくぐると、前方に本堂があり、本堂の右側は渡り廊下となり、玄関、庫裏へと続いていく。
 本堂の前には大杉と平成九(1997)年に根方山より勧請され、多くの人の願いをかなえてくれるといわれる千願石・万願石がある。
 この地は清水が豊富に湧き出る里としても知られており、境内にある独鈷水(おこうずい)は、慈覚大師ゆかりの水で、寺の名前の由来になっている。
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2007/9/6


長泉寺 Chousen-ji Chosenji Temple

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 長泉寺(ちょうせんじ)は、宮城県角田市角田長泉寺にある曹洞宗の寺である。本尊は釈迦牟尼仏。
 高源山または六国峯と号し、千葉県市川市総寧寺を本寺とする東北屈指の名刹である。
 永享八(1436)年、磐城国三芦城主・石川持光を開基とし、即庵宗覚禅師を開山として福島県石川町に創建された。
 石川氏の篤い外護を受けるが、豊臣秀吉の奥州仕置による石川昭光の角田移封にともない、慶長三(1598)年、寺籍を角田に移転し、現在地に長泉寺を移建した。
 本堂のほか客殿・位牌堂・書院・庫裏・表門・中門・鐘楼などを備え、中門はもと角田城の内門を移転したもの。
 本堂奥の霊屋(おたまや)には、石川昭光の木像と殉死七士像が祀られている。
 長泉寺は、石川氏ゆかりの落ち着いた古刹である。
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瑞巌寺 庫裏、廊下(国宝) Zuigan-ji Kuri,Roka Kuri and the Corridor at Zuiganji Temple (National Treasure)

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 瑞巌寺(ずいがんじ)は、宮城県宮城郡松島町松島にある臨済宗妙心寺派の寺である。本尊は、聖観音菩薩。
 天長五(828)年、慈覚大師円仁が開き、淳和天皇の勅願寺として平泉藤原氏の庇護を受けた延福寺が前身と伝えられる。正元元(1259)年、臨済宗に改宗し、繁栄した後、戦国時代に衰退した。 慶長一四(1609)年、伊達政宗により復興され、寺名を瑞厳円福禅寺と改めた。
 庫裏と廊下(くりとろうか)は慶長年間(1596~1614)の建立と考えられ、廊下は庫裏と本堂をつなぎ、縁に勾欄があり、繰形をつけてある。
 庫裏は切妻造、本瓦葺の巨大な屋根を架しており、妻飾り及び廊下の構成美が特に優れているとされ、国宝に指定されている。
 瑞巌寺の庫裏、廊下は、秀逸な意匠をこらした貴重な史跡である。
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2007/6/12


法源寺 Hougen-ji 

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 法源寺は、520年余の歴史を誇る古刹。松前城の近く、北海道松前郡松前町に所在する。
 開創は室町時代の文明元(1479)年。北海道曹洞宗の最古の寺院である。若狭国(現福井県)の禅僧・随芳が奥尻島に草庵を開いたことから始まる古寺で、延徳二(1490)年に奥尻よりこの地に移転した。
 幕末の戊辰戦争で本堂や庫裏は焼失したが、山門と経堂は難を逃れた。山門は安土桃山時代前期の作と言われ、平成五年に国の重要文化財に指定されている。道内最古の建造物のひとつである。
 また、当寺には松前を代表する画人、蛎崎波響(かきざきはきょう)の墓もある。
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