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2007/10/11


龍光院 Ryuukou-in 

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 龍光院(りゅうこういん)は縁起によれば、大同元(806)年、最澄(弘法大師)が四国八十八カ所霊場の開創を発願し成就したのを記念して、宇和島湾の九島に建立したのが始まりとされる。大師二回目の巡錫(じゅんしゃく)の際、島にあるのは不便だとして現在地に移された。寛永一五(1638)年に京都大覚寺二品親王空性が四国遍路の折り、臨海山福寿寺(ふくじゅじ)の号を与えた。昭和二〇(1945)年、大戦の空襲に見舞われたが、その後復興された。
 111段の石段を上るにつれ宇和島城が見えてくる。階段を上り切ると本堂や大師堂が現われ、境内には芭蕉の句碑や、大阪の俳人・椎本芳室(しいもとほうしつ)を称える宇和島最古の文学碑などが置かれている。本尊は十一面観世音菩薩。山頂にある白亜の除災招福大観音は平成二(1990)年、万民の平和と幸福を願い建立された。一石彫りとしては西日本随一の大きさを誇る。
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2007/6/26


阿吽寺 Aun-ji 

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 阿吽寺(あうんじ)は、北海道松前郡松前町にある高野山真言宗の古刹。
 開基は室町時代の永享五(1434)年。蝦夷地における最初の寺院と言われている。阿吽寺の名は、真言密教の奥義「阿吽の呼吸」に由来するとか。
 寺には弘法大師作と伝わる不動明王のほか、江戸期作の曼荼羅がある。不動明王像の光背に慶長九年と銘打たれているが、この時期の不動明王像は作品が少なく、大変歴史的価値の高いものである。この像は北海道の有形文化財に指定されているが、現在一般公開はされていないという。
 北海道では、四国のお遍路に倣い平成十八年に北海道の八十八箇所巡りの霊場を定めたが、この阿吽寺は第57番目の札所に数えられている。
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2007/5/22


長尾寺 Nagaoji 

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 天台宗。ご本尊は、聖観世音菩薩。
 遍路八七番目の札所である。
 寺伝によれば、聖徳太子が開創と伝えられており、天平十一(739)年に行基がこの地で、霊感を得て聖観世音菩薩を彫り安置をしたと伝えられる。
 当初は、法相宗であったが、天長年間に真言宗となり、その後に天海によって天台宗に改められた。
 源義経の側室である静御前が得度した寺ともされており、位牌や、剃髪した際の髪を埋めた塚も残っている。
 毎年1月2日には、三味線のお囃子にあわせて餅をつく「三味線餅つき」や、1月7日には、そのついたもちを運搬できる距離を競う「大鏡餅運搬競技」等が行われる。
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2007/5/7


高知 金剛福寺 Kouchi Kongoufukuji Kongofukuji Temple

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 四国霊場
 第38番札所。
 弘仁年間、弘法大師はこの地を行脚して千手観世音を感得した。この足摺岬は四国の最南端に位置することから観世音の理想世界の地として朝廷へ奏聞し、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅額を賜った。その後、弘仁十三年、伽藍を建立し、千手観世音を安置する。
 仁王門に掲げられた扁額(へんがく)は嵯峨天皇の直筆である。
 37番岩本寺からの距離は約88km。遍路の中でも最長距離である。土佐の京都といわれる中村より四万十川を渡り、伊豆田峠を越え下ノ加江より以布利へ、ここから土佐清水を経て海沿いに窪津、稲荷崎、足摺岬へ。岬の突端に近づくと急激に海へ迫り、アコウや天然のツバキ林を抜ければ、12万平方メートルの広大な境内に本堂をはじめ諸堂が点在する。
 平安時代後期には観音道場として信仰を集め、和泉式部が建てた逆修塔もある。
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2007/1/23


多度大社 Tado-taisha Tado Taisha Shrine

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 多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町にある神社である。祭神は天照大神の第3子、天津彦根命。
 主祭神が天照大神の御子という事もあり伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などともいわれる。
 本宮である多度神社の他、別宮一目連神社(祭神・天目一箇命)・摂社・末社を合わせて多度大社と呼ぶ。
 古来より標高403mの多度山が神体山として信仰され、古代祭祀を物語る磐座が山の中腹にある。五世紀後半、雄略天皇の頃に社殿が創建されたと伝えられる。
 1571年、織田信長の焼き打ちに遭うが、1605年、本多忠勝により再建される。多度峡重要文化財「神宮寺伽藍縁起並資財帳」他、7つの文化財を所持。
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2007/1/22


宇治橋 Uji-bashi Uji-bashi Bridge, Ise

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 宇治橋は、三重県伊勢市にある伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の参道口にある橋である。別名、御裳濯橋(みもすそばし)。京都の宇治橋とは別である。
 檜で創られており、長さ101.8m、巾8.42mで、五十鈴川にかかっている。
 以前は式年遷宮の年毎に掛け替えていたが、世界大戦よりずれが生じ、以後式年遷宮の4年前毎に掛け替えられている。
 橋の両側の鳥居の高さは7.44mで、外側の鳥居は外宮正殿の棟持柱の古材から、内側は内宮正殿の棟持柱の古材から作られる。宇治橋が架け替えられると外の鳥居は桑名の七里の渡しの鳥居に、内の鳥居は鈴鹿峠の関の追分の鳥居となる。御用材として、合計60年の努めを果たすのである。
 神域と地上を結ぶ橋であり、「俗界と聖界の境にある橋」と言われている。
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おはらい町 Oharai-machi Oharai-Machi Town

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 おはらい町は、三重県伊勢市にある、昔ながらのおみやげ屋などが並ぶのが有名な、伊勢神宮の門前町である。
 神宮内宮宇治橋前から五十鈴川に沿って続く「おはらい町」は、内宮の鳥居前町として発達してきた。
 伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の土産物店や銘菓の老舗、旅館が軒を連ね、神宮道場や祭主職舎などの歴史的建造物もある。
 宇治橋から800m続き、町の一角には、江戸時代「おかげ参り」で賑わった事から、新しく伊勢路の町並みを復元した観光名所の「おかげ横丁」がある。
 おはらい町には、昔ながらの食べ物屋やみやげ物屋が並び、ただ歩いているだけでも知らない内に時が過ぎてしまう。
 時間を忘れて楽しめる場所、それがおはらい町である。
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2007/1/11


大窪寺 Ookubo-ji Ookubo Temple

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 香川県さぬき市にある四国八十八ヶ所(お遍路)の八十八番目のお寺。
 四国霊場八十八ヶ所は弘法大師空海が自らの修行の場、さらに大衆の災難を取り除くために開いた霊場である。「八十八」は人間の煩悩の数と言われ、お遍路さんが八十八ヶ所を巡ることにより、すべての煩悩を消し去り、願いを叶えることができるとされている。
 八十八番目、「結願所」とされるこの寺は、本尊の薬師如来が安置されている。本来、像の右手には「薬のつぼ」を持っているが、ここの像は「ほら貝」を持ったものである。
 人々の苦しみや悩みを吹き払うためといわれている。
 本堂奥にはきらびやかな二重多宝塔がある。またその奥には、空海が修行した岩窟も残っている。
 お遍路さんは、この寺で結願を済ませると、無事お役目を果たした証として杖、菅笠をこの寺に奉納する。その数は数え切れない。
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