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2008/8/19


阿弥陀ケ滝 Amidaga-taki 

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 阿弥陀ケ滝(あみだがたき)は岐阜県郡上郡白鳥町、長良川の上流に位置している。落差は約六〇メートル。豊富な水流が真っ直ぐに滝つぼへと落ちていき轟音をとどろかせる。
 この滝の由来については、天文元(1532)年、白山中宮長滝寺の僧、道雅法師という僧がここで修行し護摩をたくと、阿弥陀如来の姿が浮かび上がったところから、阿弥陀ケ滝と名づけられたといわれている。
 現在も滝つぼ近くではみそぎなどの滝行が行われている。
 国重要無形民俗文化財である郡上おどりでも、この滝の雄大な様子を「見たか聞いたか阿弥陀ヶ滝を 滝の高さとあの音を」と歌の一説としている。
 阿弥陀ケ滝周辺は自然が深く、森林浴や散策に訪れる観光客も多い。滝壷の近くまで遊歩道が整備されており、水しぶきをあげる阿弥陀ケ滝の勇姿を間近に楽しむ事ができる。
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2008/8/14


福井 お水送り Fkui Omizu-Okuri 

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 福井のお水送りは、福井県小浜市の若狭神宮寺にて行われる神事である。
 若狭神宮寺は天台宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。和銅7(714)年、泰澄大師の弟子、沙門滑元が創建したと伝えられる。
 天平勝宝四(752)年、インドの渡来僧・実忠和尚が国家安泰を祈願してお水送りを創始した。お水送りが始まった年は東大寺の大仏造営の翌年であり、大仏造営にあたって大量の水銀などを使用した鉱物汚染を若狭の清らかな水で清浄化したとも推定される。
 毎年3月2日、この鵜の瀬で行われる「お水送り」は、鵜の瀬で大護摩に火を灯し、炎が遠敷川の川面に燃え広がるなか、鵜の瀬の水が奈良へ送られる。若狭地方では「お水送り」が終ると春が来るとされている。
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2008/6/18


法金剛院 Houkongouin 

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 京都府右京区にある「法金剛院(ほうこんごういん)」は、通称「蓮の寺」と言われており、関西花の寺第一三番霊場として知られている。七月から八月に咲く蓮の花は、極楽に咲く花といわれ、世界から集められた約八〇品種の清楚で華麗な蓮が咲きそろう。
 平安時代初期、この地は右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)の別荘だったが、没後、寺とした。その後平安時代後期の大治五(1130)年、鳥羽天皇の中宮である待賢門院の御願により復興し、法金剛院を建立した。
 丈六の本尊「阿弥陀如来坐像」は、像高が二メートル以上もある大作で、仏師・院覚(いんかく)の作と伝えられる。平安時代後期の代表的な仏像として、重要文化財に指定されている。その他、金属工芸を施した「十一面観世音菩薩像」、一木彫の「地蔵菩薩像」など、多数の重要文化財の仏像が保存され、それらは拝観することもできる。
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2008/6/10


定義如来夏祭り Jouge-nyorai-natsu-matsuri The Summer Festival at Jogi Nyorai

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 定義如来夏祭(ぞうげにょらいなつまつり)は、宮城県仙台市にある定義如来西方寺の祭りで、毎年八月の第一土曜に開催されている。
 西方寺は仙台市の都心からずっと離れた山形県に近い山奥にある。平安末期、平家随一の忠臣だった平貞能(たいらのさだよし)がこの地に落ち延び、「定義」と名前を変えて庵を結んだ事から始まるとされる。遺言通り、側近らによって墓に小さな堂と阿弥陀如来が据えられ、後世に語り継がれて来たという。
 八月に行われるこの夏祭りは、平貞能の魂を鎮め、なぐさめる祭りである。神輿、練り行列、奉納演芸などが披露され、夜も更けてくると漆黒の空に美しい奉納花火が打ち上げられる。
 花火が彩る夜空に、西方寺の五重の塔のシルエットが映え、美しく幻想的な姿を見せるという。
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2007/12/6


浄感寺(長八記念館) Joukan-ji(Chouhachi-kinen-kan) Jokanji Temple (Chohachi Memorial Museum)

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 浄感寺(じょうかんじ)は、静岡県賀茂郡松崎町松崎にある浄土真宗本願寺派の寺である。本尊は、阿弥陀如来。
 永仁年間(1293~1299)に創建され、浄信上人によって開基された。元禄の大火で全焼してから衰退していたが、本多正観によって本堂が再建され、隆盛を取り戻したとされる。
 寺の本堂が、長八記念館(ちょうはちきねんかん)となっている。
 入江長八は、漆喰細工の名人とうたわれた左官職人で、江戸に多くあった代表作はそのほとんどが震災や戦災で焼失してしまったが、ここには長八の傑作として有名な、天井に描かれた「八方睨みの龍」や、「飛天」など約20点の作品が残っている。
 また、境内には長八の墓と胸像、記念碑が立つ。
 浄感寺は、長八の菩提寺であり、古来より災いを除き幸運を招く寺としても名高い寺院である。
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東福寺 五百羅漢 Toufuku-ji Gohyaku-rakan The Frescos of Five Hundred Rakan at Tofukuji Temple

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 東福寺(とうふくじ)は、静岡県賀茂郡西伊豆町中にある臨済宗の寺である。本尊は、阿弥陀如来。
 天福年間(1233~1234)に建立され、天福寺と称されていたが、嘉元年間(1303~1305)に、現在地に再建され、東福寺となったと伝えられている。
 五百羅漢は、東福寺本堂の天井に描かれている漆喰画で、仏師・田村利光により四年八ヶ月の歳月をかけて作製された。
 羅漢とは、仏道の修業者又は悟りを開くために修業中の修業僧の意で、中央に描かれた龍とそれを取り巻く五百羅漢、四方に配した天女からなる天上界の図は迫力満点である。
 田村利光は通称・のんべえやす、とも言われた酒飲みで、五百羅漢は大正末期に完成させている。
 東福寺の五百羅漢は、現代でも立体的で綺麗な色彩に驚嘆する、漆喰の天井絵である。
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2007/12/3


高知 岩本寺 Kouchi Iwamoto-ji 

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 四国霊場第37番札所である岩本寺(いわもとじ)は奈良時代、行基が聖武天皇の勅願により高岡神社の別当寺として造立したものとされる。
 天正年間(1573~1592)の兵火によって焼失、その後釈長僧都により再興され、寺名を藤井山・岩本寺と改め現在に至る。
 本堂は昭和五三(1978)年の再建で、格天井には壇家を中心とした人々によって奉納された極彩色の板絵、575枚がはめ込まれており、阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩の五体の本尊がある。
 寺には、一年に三回実るといわれる「三度栗」や、旅の女性を安産に導いた「子安桜」など、弘法大師ゆかりの七不思議が残されている。
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2007/11/26


拝島 大日堂 Haijima Dainichi-dou 

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 東京都昭島市の拝島町にある大日堂(だいにちどう)は、正式には「拝島山密厳浄土寺(はいとうさんみつごんじょうどじ)大日堂」という古刹である。
 その創建は天暦六(952)年といわれ、寺伝によれば多摩川上流にあった日原村の尊像が、大洪水によって流され、同寺近くの中洲に流れ着いたものを安置したものが始まりとされている。
 また、その尊像を村人が拝んだことから拝島の地名が起こったという言い伝えもある。
 戦国時代には北条氏の城であった滝山城の鬼門除けとして、同氏の庇護を受けていたとされる。
 境内には昭島市の重要有形文化財である仁王門や、内部に安置されている木造金剛力士像、寺宝である釈迦如来坐像や阿弥陀如来坐像など、様々な歴史物に彩られている。
 また、北条氏の家臣石川土佐守の娘おねいがそこで洗眼したところ、眼病が治ったという伝説を持つ「おねいの井戸」や東京都指定の天然記念物である「拝島のフジ」などもあり、歴史の重みと伝説に溢れた名刹として知られている。
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