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山形県米沢市にある、上杉家の墓所。
上杉家歴代藩主の廟所で、初代謙信公を中央にしてその両側に御遺骸、遺骨を収めた、12代までの藩主の廟が並んでいます。
廟は2代から8代までは社造りで、材質もケヤキを用い、柱は丸柱となっています。9代から12代までの廟は10代藩主鷹山公の考案による宝形造りで、材質もスギやヒノキを用い、柱は角柱と簡素になり、いずれも上杉家の家風がよく表れている。
謙信公の遺骸は、甲冑をつけ甕に納められ、越後春日山(現新潟県上越市)から会津(現福島県会津若松市)を経て米沢城へ移され、明治9年に現在の場所に移葬された。昭和59年1月「米沢藩主上杉家墓所」として国指定史跡となった。
上杉家歴代藩主の廟所で、初代謙信公を中央にしてその両側に御遺骸、遺骨を収めた、12代までの藩主の廟が並んでいます。
廟は2代から8代までは社造りで、材質もケヤキを用い、柱は丸柱となっています。9代から12代までの廟は10代藩主鷹山公の考案による宝形造りで、材質もスギやヒノキを用い、柱は角柱と簡素になり、いずれも上杉家の家風がよく表れている。
謙信公の遺骸は、甲冑をつけ甕に納められ、越後春日山(現新潟県上越市)から会津(現福島県会津若松市)を経て米沢城へ移され、明治9年に現在の場所に移葬された。昭和59年1月「米沢藩主上杉家墓所」として国指定史跡となった。
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