NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/22


大滝山福生寺 三重塔 Ootaki-san-fukushou-ji Sanjuu-no-tou 

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 かつてこの場所に大滝山福生寺(おおたきさんふくしょうじ)という古い寺があった。創建は奈良時代で、鑑真和尚の開基と伝えられる。備前四八箇寺の一つでもある。
 南北朝時代には足利氏が再興し、全盛期には三三の僧房があったという。現在、福生寺という寺の存在はなく、福寿院、西法院、実相院という三寺が残されている。しかし、三重塔や仁王門など、往時をしのぶものもある。
 三重塔は、嘉吉元(1441)年に六代将軍・足利義教の再建といわれる。屋根は方形造の本瓦葺で、国指定重要文化財となっている。高さは約20メートルで、三重塔としては低い方であるが、室町時代の様式を備えた風格のある塔である。
 回りの僧房がすべて山野に戻ってしまい、三重塔だけが今も山の尾根に残されている。
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2007/1/25


あご湾の真珠 Agowan-no-Sinjyu Pearls of Ago Bay

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 三重県志摩市は、「真珠のふるさと」英虞湾をはじめとした真珠産業が盛んであり、真珠養殖の発祥の地としても有名である。
 三重県における真珠養殖は、1893年に御木本幸吉が実験中のアコヤ貝より半円真珠5個を発見、アコヤ貝による養殖法を発明して以来、英虞湾を中心に発達したものである。
 現在、8真珠養殖漁業協同組合、4漁業協同組合が免許を取得し、真珠養殖を行っている。
 真珠養殖はその過程に応じていくつかの条件の異なる漁場が必要となり、水温、赤潮などに細心の注意を払いながら管理しなければならない。
 現在、三重県の真珠養殖技術は全国的にも高く評価されており、全国真珠養殖品評会においてもほぼ毎年受賞するなど、品質の高さが認められている。
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2007/1/23


御城番屋敷 Oshiroban-yashiki House for Castle Guards

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 御城番屋敷とは、三重県の松阪市殿町の、かつて紀州藩藩士が住んでいた組屋敷の事である。
 文久三(1863)年に建築された屋敷は、松阪御城番40石取りの紀州藩士20人と、その家族が住んでいた。主屋2棟・前庭・畑・南竜神社・土蔵よりなり、周囲には槇垣(まきがき)が巡る。
 主屋2棟は重要文化財、土蔵は県指定文化財(建造物)である。
 屋敷は今も子孫が維持管理し、実際に住んでいる。全国的に現存例の少ない武士の組屋敷であり、小路を挟んで2棟からなる構成も他に例を見ない。
 なお、松阪市は1戸分を借用して復元整備した上、1990年より一般公開している。
 ここは槙垣と石畳をはさんで静かに息づく歴史空間であり、時代劇に出てくるような長屋は、江戸の風情を今に伝える貴重な財産であると言える。
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2007/1/22


三重 千枚田 Mie Senmaida Maruyama Senmaida Ricefields

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 三重県の熊野市紀和町にある丸山千枚田は、日本の棚田百選にも選定された美しい田んぼである。
 千枚田というのは、丸山にある何枚もの小さな水田の事である。
 「一枚足りないと思ったら笠の下にかくれていた」といわれる位小さな田が幾重にもかさなり合っており、その数は合計約1300枚強と言われている。
 一時期は過疎によって500枚ほどにも減った千枚田だが、地元住民と紀和町の協力によってオーナー制を取り入れ、復興した。
 最も狭い田は畳2枚分ほど。高低差は100mある。急斜面ゆえに機械は入れず、収穫期には1株ずつ鎌で刈り取る。
 山の斜面に沿って細かく区切られた棚田は全国にあるが、丸山千枚田は保存状態と景観の美しさで群を抜く。まさに自然と人の調和によって生まれた景観と言える。
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